Interview #190 映画「ジョアン・ジルベルトを探して」 ジョルジュ・ガショ監督

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Where are you, JOÃO GILBERTO?

Interview with Georges Gachot

Interviewed by Makoto Ando 安藤誠 @新宿区神楽坂 2019年8月

撮影 Makoto Ando 安藤誠 スチール写真 ©Gachot Films/Idéale Audience/Neos Film 2018

既報の通り、7月に逝去が伝えられたジョアン・ジルベルト。晩年は外部との接触を拒み、ほとんど人前に姿を見せなかったというジョアンだが、彼の周辺にいた人々への丹念な取材を元に、その人となりと芸術の核心に迫った映画「ジョアン・ジルベルトを探して」が先月から公開されている。本作の監督であり、ジョアンの姿を追い求めて旅を続ける「探偵役」でもあるジョルジュ・ガショ氏に、本作の制作に至った経緯と見どころ、ジョアンへの想いについて聞いた。なお、本インタビューには所謂「ネタバレ」に該当するかもしれない記述がいくつか含まれるので、未見の方はご注意のほど。

 

ドキュメンタリーではなく「フィクション」

——映画監督を志したきっかけから聞かせてください。フィルモグラフィを見るとほとんどが音楽関連の作品ですが、最初から音楽ドキュメンタリー志向だったのでしょうか。

ジョルジュ・ガショ氏(以下ガショと表記):まず音楽との関わりからお話しましょう。家族には、音楽や映画と特に関係のある人はいませんでしたが、パリに住んでいた幼少期からピアノを習っていました。弾いていたのはバッハやベートーヴェン、モーツァルトなど。その頃はクラシック以外の音楽は全く聴くことも弾くこともありませんでした。

18歳になった時チューリッヒに行き、両親の希望に沿ってエンジニアになるため大学に入ったのですが、だんだん勉学に興味が持てなくなり、大学にも行かなくなってしまいました。その頃のめり込んだのが映画です。映画なら、音楽を習うことで培った繊細な感受性を活かすことができるのではないか、そう感じ始めていました。

そんな時に耳にしたのが、ブラジルのミュージシャン、パウリーニョ・ダ・ヴィオラの歌でした。その歌の歌詞というのが、「私の父は私がエンジニアになることを望んでいるけれど、私は音楽家になりたいんだ」というような歌詞だったんですね。まさにその時の自分の気持ちが彼の歌とぴったりと重なったのです。その歌と出会ったことで、自分が求めているものはブラジル音楽の中にあるのではないかと感じました。

——ブラジル音楽を題材にした映画を本作以前に3作撮られていますが、それらの映画のテーマは本作とも通底しているのでしょうか。

ガショ:その3作品は、それぞれ別個のミュージシャンにフォーカスして、ドキュメンタリーとして撮った映画でした。しかし本作「ジョアン・ジルベルトを探して」はそれらとは全く異なる、自分にとって特別な意味のある作品です。その理由として、一つはこの映画の中には私自身も登場していること、それによってドキュメンタリーというよりは「フィクション」に近い構成になっていることがあります。

この映画では、2人の探偵のような人物(ガショ監督とアシスタントのハケル)がジョアン・ジルベルトを探します。以前の3作品はどちらかというと直接的なポートレート、つまり登場するミュージシャン本人に焦点を当てていましたが、本作はそうではなく、2人を通した間接的なポートレートになっています。たとえば通常のドキュメンタリーでは、様々なアーカイブ映像を使うのが常套手段ですが、本作ではそういう手法をあまり使っていません。一般的なドキュメンタリー作品とはかなり異なる作り方をしている訳ですが、それによって却ってより強くジョアン・ジルベルトという存在を表現できたのではと思っています。

 

亡くなった作家に捧げる作品

——アーカイブ映像を挟み込まず、基本的に監督の主観と体験で構成されている。それが「フィクション」ということでしょうか。

ガショ:もう少しこの映画の撮影作業について詳しくお話ししましょう。マーク・フィッシャーというドイツ人作家がジョアンについて書いた本(Ho-ba-la-lá – À Procura de João Gilberto 上記写真)があって、私はまずこの本を下敷きにこの映画の台本を書きました。映画全体を42のシーンに分けて記述し、どのように撮影するかを決め、他の資料、たとえばマークが撮った写真などを使いながら構成していきました。その台本はある意味スリラー小説のような形になっており、それを基盤に撮影作業を行ったのです。

——成り行き任せのように見えるけど、実はしっかり構成されていると。

ガショ:構成され、あらかじめ準備されていていた訳ですが、撮影の過程では、当然ながら予測していなかった事態が起こってしまいますよね。たとえばジョアン・ドナートとミウシャ(ジルベルトの元妻)が歌っているところ、そして最後にジョアン・ジルベルトの——会ったか会ってないのかは、作中ではぼかしてありますが——歌を聴くことができた、というシーンなどです。事前の構成に沿って進めつつも、その中でいろいろな偶然や予測しなかったことが起こり、そういった場面も効果的に使いながら制作した、というのが実際のところです。

——別のインタビューで、監督はマーク・フィッシャー氏の遂げられなかった旅を引き継いで映画にしたと語っていますが、個人的には、引き継いだというよりはマークとジョアンの2人を同時に探しているような印象も受けました。二人の影をずっと追いかけているような……。

ガショ:この映画を作るにあたって一つの目標にしていたのは、ジョアン・ジルベルトに会うということでした。彼はブラジルのミュージシャンとして非常に重要な人物であり、私としてはこの映画を作るずっと前、10年くらい彼に会おうと試みていたんですが、結局うまくいかず、その間に他の作品を3つ作ることになりました。

もう無理かなとあきらめかけたところで、マークの本と出会い、これをベースにしてジョアン・ジルベルトの映画を撮れるんじゃないかというアイデアが浮かんできました。つまりジョアン・ジルベルトを探していたのはずっと前からだけど、映画そのもののアイデアはこの本に影響を受けて出来上がったと言えますね。

質問にあった、マーク・フィッシャーを探していたのでは……という指摘については、そういう意識はうっすらとはあったと思うのですが、私は彼に近づきすぎることについては正直、恐れを感じていました。というのも、彼がどういう結末を辿ったかは事前に知っていましたから(注:フィッシャーは本の出版後に自殺した)。ただ、マーク・フィッシャーのためにもジョアン・ジルベルトを探そう、そういう考えがあったのも確かです。映画では最後に、ジョアン・ジルベルトにドアの向こうで歌ってもらいますが、私としてはそれはマーク・フィッシャーへのプレゼントと考えていましたし、この映画もジョアン・ジルベルトだけでなく、マーク・フィッシャーにも捧げる作品となっています。

 

姿が見えないこと、それはボサノヴァのエッセンス

——あなたとジョアン・ジルベルトの関わりについて聞きたいのですが。この映画を制作する前に、コンサートなどで彼を観たことはあるのでしょうか。

ガショ:ありません。今回、私は自分がこれまで会ったことのない人についての映画を作りました。モーツァルトについての映画を作ったのと同じですね。映画の中でジョアン・ジルベルトは姿を現しませんが、私が感じるのは、そのことによって(映画としての)表現はより強さを増しているということです。さらに言えば、この映画で彼の姿が見えないこと、あるいはかくれんぼしているように見えることは、それ自体がボサノヴァという音楽の本質を表しているようにも思います。

たとえば私が撮ったマリア・ベターニアの場合、彼女自身が映画の中に姿を現し、舞台に登場してもらわないと、映画自体が成立しません。それに対して、ジョアンが創造したボサノヴァは、自分だけのためだけに口ずさんでもいい、あるいはドアの向こうに流れているのを聴いてもいい、要するに直接的に表現するものでなくてもいいわけです。ボサノヴァという音楽そのものに、「姿が見えない」「隠れている」という要素がエッセンスとして含まれている、そんなふうに言えるかもしれません。ボサノヴァはとてもインティームなもの、個人的で自分の周りで楽しむものですから。

初めてジョアンの音楽を聴いたのは学生時代、チューリッヒの大学に通っている時でした。数学を専攻していた友人がいて、彼は自分の部屋で勉強する時によくジョアンの音楽を聴いていました。当時私はブラジル音楽について全く知らなかったのですが、その部屋で初めてそれを聴いた時、非常に奇妙な感覚に襲われました——その部屋の中に、友人と私だけではなく、その歌手自身も存在して歌っているような。そんな体験は、それまで聴いたどんな歌手でも起こらなかったことです。

ただ、ブラジル音楽に専門的に関わり取り組むようになったのはもっと後、36歳のころです。ジョアン、そしてブラジル音楽について少しずつ理解を深め、彼がブラジル音楽においていかに大きな役割を果たしたかについても理解するようになりました。私にとって2回目の人生が始まったと言えるほど、大きな転換期でしたね。その時に生まれ変わったとすればまだ17歳ですから、ブラジル音楽に関して言えば、私はまだ子供というか学生のようなものです。

——あなたにとっていちばん重要な、あるいは影響を受けたジョアンの曲は。

ガショ:“Chega De Saudade”(想いあふれて)ですね。非常に印象深い曲です。ブラジル音楽は大変詩的な側面を持っており、またジャズやクラシックとの融合によって創られてきました。ラフマニノフと米国のジャズを融合し、その中に詩的な要素を取り込んでいる、それが私にとってボサノヴァが魅力的である理由で、この曲はそうしたボサノヴァの象徴的な曲と言えるでしょう。

——この映画のテーマでもあると思うのですが、ジョアンの音楽が世代や国境を超えて波及力・影響力を持っている理由は。

ガショ:考えられるのは、(ジョアンの生み出した)ボサノヴァがとてもオープンなものであるということです。たとえばサンバをボサノヴァ風に演奏することもできるし、ポップミュージックをボサノヴァとして演奏することもできる。あるいは同じボサノヴァの曲を、様々な形で演じるのも可能です。可変的で、プレイヤーが好きなように自分の思う形で演奏できるというそのオープンさ、開放性がボサノヴァの強みであり、また国や世代を超えて影響力を与えられる一つの理由ではないでしょうか。

逆のケースで一つ例を挙げましょう。映画「ボヘミアン・ラプソディ」では、観客はフレディ・マーキュリーの世界、彼の音楽に入り込むことを否応なく求められます。それと反対にボサノヴァは、観客が自分の好きなように感じて構わないし、ミュージシャンも好きなように演奏します。ジョアン自身、同じ曲を演奏したとしても、2度と同じものにはならないでしょう。私も以前はアーティストの世界に引き込まれるような音楽を好んでいましたが、今はボサノヴァのようなオープンな音楽の方が、自分にとっては価値があると感じています。日本人がボサノヴァを好むのも、「自分にとってのボサノヴァ」を見つける、そういう行為が好きなんじゃないかと思います。

実際、ジョアン・ジルベルトは来日して“想いあふれて”を歌い、同じ歌を同じ時期にパリやカーネギー・ホールでも歌っていましたが、それぞれ毎回違う曲想になっていました。ミウシャもよく言っていました。「ジョアンは同じ曲を一日中弾いていることもあった。でもそれは毎回違う形で、決してこの曲はこういうスタイルだと固定できなかった」と。

 

ジョアンと話してみたかったこと

——映画の話に戻ります。監督は作中でジョアンを探して苦労を重ねる訳ですが、もしたまたま制作過程の早い段階でジョアンに会うことができていたらどうなっていたと思いますか。

ガショ:とてもおもしろい質問です。少なくとも、全く違った映画になっていたでしょうね。そしてもし最後のシーンでジョアンが扉を開け、彼の姿がカメラに写ったとしたら、そのことによって映画はすべて崩壊していたと思います。

この作品が上映されている2時間ほどの間、観客はそれぞれの想像力を駆使して、ジョアン・ジルベルトという芸術家、この人前から隠れ続ける芸術家に関して、様々な像を作り上げています。その挙げ句、最後に彼が本当に姿を表してしまったら、どうでしょう?すべてが崩壊してしまうのではないでしょうか。

——結果的に姿を現さなくてよかったということですね。

ガショ:この映画は彼自身についてではなくて、彼の芸術について撮った映画ですからね。

——監督としてそう考えているのは理解できますが、一人のファンとしてはやはり会ってみたい気持ちは強かったのでは。

ガショ:もちろん先程申し上げたようにジョアンに会うことが目標でしたし、個人的にも会えればいいなと思っていました。もし会えていたら、グレン・グールドやバッハなどについて彼がどのように思っているのか聞いてみたかった。というのも、私の関心の対象となるテーマというのは常に、「橋をかける」こと——つまり文化と文化、伝統と伝統の間にどうやって橋をかけるのか、そしてそれを芸術がどのように果たすか、という点にあるからです。先程もお話ししましたが、私はボサノヴァはユニバーサルミュージックだと思っていますから、ボサノヴァが文化と文化、そして音楽と音楽の間にどのように橋をかけているのかについて、ぜひ彼と話したかったですね。

——この映画にはジョアンと親しかった一般人からミュージシャンまで、様々な立場の人物が登場しますね。個人的にはマルコス・ヴァーリの登場はやや意外な気がしました。

ガショ:ヴァーリのことはそれほどよく知りませんでしたし、彼はどちらかというとポップミュージック寄りの方向性なので、特に好きという訳でもなかったのですが、彼と話せたこと自体は映画にとってはよい結果につながったと思っています。

ボサノヴァを創始したのは誰かという問いについては、ブラジルでもいろんな論議があり、もちろんジョアン・ジルベルトはボサノヴァの父と言われているけれど、たとえば本作中に登場する人物の中でも、ホベルト・メネスカルは自分がボサノヴァを始めたと語っていますし、ヴァーリも自分が創始者だというようなことを言っています。そういった様々な人々を、パノラマのような形で登場させるのが、この映画にとっては大変重要でした。

たとえば“Garota de Ipanema”(イパネマの娘)を作曲したアントニオ・カルロス・ジョビン。彼があの曲を作曲したこと自体は事実ですが、とはいえジョアンの影響があってこそあの曲ができたとも言えます。あるいはジョアンがボサノヴァとして演奏していたいろんな曲がありますけれど、それらの曲自体は以前からすでに存在していて、それを彼が自分のやり方でボサノヴァにしたという言い方もできる。いずれにせよ、ジョアンの影響力が非常に大きかったのは間違いありません。

——映画の中で、監督との会話中にミウシャが電話でジョアンからの電話に出るのですが、そのまま監督に代わらず切ってしまうシーンがありましたね。あの時の気分はどうだったのでしょう。

ガショ:あのシーンは、撮影作業の取材期間中に起こりました。まったくの偶然で、たまたまあそこに皆がいて話していたんですけど、そのときにミウシャの携帯がずっと鳴り続けているのをマネージャーが指摘したんです。ジョアンかもしれないから、出たほうがいいよって。そしたら実際ジョアンで、そのことに気がついたブラジル人のカメラマンは、撮影をストップしてしまいました。それで私はまた自分でカメラを回して撮影を続けたのですが、全く期待も予想もしていなかったことが、現実にここで起こっている、そういう不思議な気持ちでした。

ミウシャは途中で私が撮影していることに気づいて、「このシーンは映画じゃ使っちゃだめよ」と言ったんですが、私は入れることに決めました。編集が終わったあと、このシーンが入った完成版を彼女に見せましたが、結局はとても喜んでくれたんですよ。

ジョルジュ・ガショ Georges Gachot

1962年10月8日、フランス近郊のヌイイ=シュル=セーヌ生まれ。フランスとスイスの2つの国籍を持つ。2002年にアルゼンチンのピアニスト、マルタ・アルゲリッチを取り上げた映画「Martha Argerich, Evening Talks(原題)」で、イタリア放送協会最高賞のイタリア賞を受賞。2005年には、ブラジル音楽にまつわる映画3部作の第1作目である「Maria Bethânia: Música é Perfume(原題)」を撮影。その後2本の長編ドキュメンタリー映画「Rio Sonata:Nana Caymmi(原題)」(2010)、「O Samba(原題)」(2014)を監督した。

*映画「ジョアン・ジルベルトを探して」は、8 月 24 日(土)より新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMA ほか全国順次公開。

安藤誠

安藤誠

あんどう・まこと 広告プロダクション代表。LAND FESディレクター。障害児向けイベントやワークショップの企画・運営も手がける。

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