Interview #77 「マンフレート・アイヒャー」 Part 2

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interviewed by Kei Sato 佐藤 敬
2009年11月
ハイデルベルクのECM40周年フェスティバル会場にて
Questions by Kei Sato, Nobu Stowe, Masanori Tada & Kenny Inaoka
Photos : Courtesy of ECM
Translated by Kenny Inaoka

♫ 音楽以上に素晴らしい表現手段は存在しない

JT: 先日あなたからキース・ジャレットはあなたの友人であると同時に「師」でもあると伺いましたが、あなたがジャレット氏から学んだことを教えて下さい。

ME: 40年間にわたる音楽上の恊働作業をひとことで言い表すことは難しいが、キースの規律性、貢献、開放性にはつねに触発されてきたといえる。彼は如何なる即興的状況においても、触媒的な力を音楽の向上に転化させる許容力を持っているのだ。

たとえば、ヤン・ガルバレク、パレ・ダニエルソン、ヨン・クリステンセンがジャレットとの『ビロンギング』のレコーディングで到達した新しい表現のレヴェル、あるいは、ゲイリー・ピーコックとジャック・ディジョネットとの「スタンダーズ」が実現した既成曲の再生、ソロ・コンサートの創造的な流れを考えてみたら理解できるだろう。ECMにとって、キース・ジャレットは重要な同盟者であり続けた。僕らが70年代初期にソロ・コンサートを通じて共に獲得したものは、ジャズが逆の方向に向って動いている時代にアコースティック・ミュージックの可能性についてある決定的な信号を発するものだったと思う。

JT: テクノロジー、とくにメディアの変化は人びとの感受性を変化させました。人びとの音楽に向う姿勢が徐々に真剣さを失ってきていると思うのですが、このような状況をどのようにお考えですが。

ME:われわれが1969年にレーベルを設立以来事態を悪化させる機会は少なからずあったと思う。しかし、幸いにも、ゲームや携帯電話よりも音楽が好きなミュージシャンやリスナーがそれなりに存在していると思う。

JT:現代の若い世代に期待すること、憂うことはありますか。また、彼らになにか特別なメッセージはありますか。

ME:「メッセージが欲しければ、ウェスタン・ユニオンに行け」と言ったのはソウル・ベロウだったと思う。ECMには探索すべきさまざまなジャンルの音楽がある。若い世代であれ年配の世代であれリスナーはどうぞその中にそれぞれの意味を見出して欲しい。どのように解読するか、どのような “メッセージ” を見出すか無限の可能性がある。

JT:若い世代の音楽家のレヴェル・アップにあなたが果たした貢献についてはどうお考えですか。

ME:おそらく、知識と経験だろう。私ができることは若い演奏家が彼らの仕事の本質的な要素から逸脱しないように手を貸すことだ。1千回以上のレコーディング・セッションを経験して、この点についてはある種の洞察力を持てたと思う。

同時に過去の業績についても知識はある。彼らの音楽には焦らず充分耳を傾けてきた。このことはプロデューサーになるための重要なポイントだ。

JT:音楽の最高の可能性は何だと思いますか。

ME:どれほど厳格なフォームを持っていようと音楽は自由だ。使い方を間違わなければ音楽以上に素晴らしい表現手段は存在しない。言語を超えて、感情を手際よくまとめるためにサウンドを使って、他の芸術では到達できない精度を持って音楽は感情に方向性を持たせることができる。そして、次の瞬間には、音楽は強制的にそして不可思議に曖昧なものになる。そのような両義性は音楽の持つ限りない魅惑の一部だ。

JT:以下、Jazz Tokyoのコントリビュータからの質問を代理でお尋ねします。まずは、ピアニストでもあるボルチモア在住の須藤伸義さんの質問です。

ECMは“ヨーロッパ的な”響きをもった”ジャズ“の創造に成功したと思います。一方でECMは、“アフリカン・アメリカン系ジャズ・ミュージシャン”のレコーディングも行なってきました。事実、ECMの最初のレコードはマル・ウォルドロンの『フリー・アット・ラスト』でした。また「アート・アンサンブル・オブ・シカゴ」(AEC)やそのメンバーのレコーディングも積極的に行なってきました(AECのモットーは、“グレート・ブラック・ミュージック”です)。AEC、ロスコー・ミッチェル、レスター・ボウイー(他に、レオ・スミス、ベニー・モウピンなど)のECM録音は彼らのECM以外の録音に比較して”ECM”的、あるいは“ヨーロッパ的”な響きがします。AECなどと契約した理由はどこにありますか。

ME:まず、レスター・ボウイーの『アヴァン・ポップ』や『グレート・プリテンダー』の響きのどこが “ヨーロッパ的” なのだろう。われわれはミュージシャンを民族的なバックグラウンドで括るようなことはしていない。たとえば、ベニー・モウピン、ロスコー・ミッチェル、レオ・スミス、レスター・ボウイー、マル・ウォルドロン、皆、それぞれ独自のキャリアを持った極めて個性的な演奏者たちだ。ECMは彼らの個性を尊重し、その時点で彼らが望む音楽を創る手助けをしたのだ。ベニー・モウピンは、2007年に行なわれたインタヴューで、『ザ・ジュエル・イン・ザ・ロータス(邦題:ロータスの宝石)』(ECM) こそ彼のアーチストとしての意図を完全に実現することができた唯一のレコーディングであったと語っているのだ。アート・アンサンブルのメンバーも折りにふれて、ECMのアルバムが彼らのベストであり、彼らの主張をもっとも体現している、と発言している。

何故私がアート・アンサンブルをレコーディングしたのか? 私は、NessaやDelmark に始まる60年代以降の彼らのレコーディングを追いかけ、楽しんで来た。

それに、彼らのフランス時代のレコードも大好きだ。とくに、『Les Stances A Sophie(レ・スタンス・ア・ソフィー)』(Soul Note) や『People in Sorrow(邦題:苦悩の人々)』(Pathe-Marconi / Nessa) はね。彼らがパリに滞在している時に会いに行き、それから数年後に一緒に仕事を始めたんだ。

♫ キース・ジャレットが好きなファンは誰も菊地の歌に滅入ることはないさ。

JT:次は、多田雅範さんからの質問です。

武満徹や三善晃などの日本の現代音楽作曲家に興味はありますか。近々、彼らの作品を録音する具体的な予定はありませんか。

ME:直近の予定はない。ただし、細川俊夫の作品については、2010年にミュンヘン室内オーケストラとチカーダ四重奏団によるアルバムが2作発売予定になっている。

JT:New Series では多くのユダヤ系の作曲家や演奏家を起用していますね。ユダヤ人に対してとくに共感するところがあるのですか?

ME:New Series の中でユダヤ系の音楽家が占める割合がとくに多いか? 考えたこともないね。ECMにはユダヤ系のジャズ・ミュージシャンもいるし、クリスチャンもいれば、モスレム、スーフィ、仏教徒、ヒンズー教徒、グルジェフの信奉者、サイエントロジスト、ラスタファリアンもいる。それに多くの倫理学者と論理学者もね。私はそれらのすべての音楽家に共感を持っている。さもなければ録音することもないだろう。しかし、彼らとの親和性は芸術的な互換性に基づくものであり、宗教的な遺産に基づくものではないんだ。

JT:以下は、あなたの友人でもあるケニー稲岡氏からの菊地雅章さんに関する質問です。

あなたの菊地雅章に対する興味は彼が70年代にゲイリー・ピーコックらと制作した『銀界』(Philips)にまで遡りますが、彼のどこに音楽的興味があるのですか。

ME:私がECMで採り上げた他の多くのミュージシャンに共通するのだが、彼の演奏の許容範囲、つまり、ジャズとコンテンポラリー・ミュージックに対する該博な知識があって、トーナルとアトーナルなアプローチを使ったフリーからリリシズムまでをカバーする懐の深さ、を楽しんでいる。

JT:彼は時として演奏中に大きな声で唸りますよね。彼の唸り声は気になりませんか。リスナーの妨げにはならないでしょうか。

ME:仕事中に声を上げる人は多いさ。音楽の世界では、ライオネル・ハンプトン、エロール・ガーナーからグレン・グールドまで唸りの長い歴史がある。たとえば、キース・ジャレットが好きなファンは誰も菊地の歌に滅入ることはないさ。

JT:菊地雅章のレコーディング『ソロ=アット・ホーム』(ECM2008)の発売は2007年に刊行された『Horizons Touched』で予告されていますが、未だにリリースされておりません。発売が遅れている理由はどこにありますか。

ME:特別な理由はない。発売予定が前後することはままあることで、ECMの混み合った発売スケジュールの中でタイミングの良い発売時期を待っているんだ。

JT:菊地の次のアルバムの録音予定はありますか。

ME:NYで、ポール・モチアンdsとトーマス・モーガンbのトリオで録音は済ませてある。

*初出:Jazz Tokyo #131(2010年2月12日)

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