Interview #202 アオキ裕キ(ダンサー/振付家/「新人Hソケリッサ!」主宰)

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Interviewed by Makoto Ando 安藤誠 @調布市仙川niwa-coya 2019年1月

スチール写真 ©Tokyo Video Center

路上生活者や路上生活経験者だけで構成されたダンスカンパニーとして、国内のみならず海外からも高い評価を受けている「新人Hソケリッサ!」。東京都美術館や金沢21世紀美術館、山形ビエンナーレでの公演を始め、リオ五輪プログラム「with one voice」や、イギリスでの公演も実現してきた彼らのドキュメンタリー映画「ダンシングホームレス」(監督・撮影=三浦渉)が、3月7日から公開される。このユニークかつ唯一無二のダンス集団の創設者であり、15年間に亘ってホームレスの「おじさんたち」を引っ張ってきたダンサー・振付家のアオキ裕キに、ソケリッサ!立ち上げに至るまでの自身のヒストリーについて聞いた。

 

マイケル・ジャクソンに魅せられて

——お生まれは。

アオキ裕キ(以下アオキ):京都で生まれて、幼少のときに大阪に行って、そのあとは兵庫県です。

——小さい頃はどんな子供でしたか。

アオキ:ソケリッサ!のダンサーのおじさんたちと比べると、やはり恵まれてはいましたね。親に愛されて好きなことをやらせてもらえて、たくさん遊んでもらえて、いろんなものに触れる機会をくれたことには感謝しています。自分もいま子供がいるけど、それはすごく大事なことだと思ってて。それがあると安心して外に飛び出していけるというか、冒険できる。いろんな路上生活者のおじさんに会うと、ずっと愛を探し続けてる人もいるんですよね。

——実際、家庭に問題を抱えていた方も多いんでしょうか。

アオキ:うーん、でもあんまり出自とか、家庭のこととか聞かないんで……今回の映画でわかったことのほうが多いです。

——普段、そういうことはあまり話さない。

アオキ:全然ないですね。向こうから話してくればもちろん聞くけれど、基本的には必要ないんで。

——ダンスとの最初の出会いについて聞かせてください。

アオキ:マイケル・ジャクソンですね。「ビリー・ジーン」とか、あの時代。で、あの動きに衝撃を受けて。ああいう動きをやってみたいと思ったのがきっかけです。それまでは絵が好きで描いていて、そういう方向に進もうと思っていたんですが、マイケルと出会ってダンスに進もうと。スポーツも好きだったんですが、もっと表現というか、ゼロから何かを生み出すことに惹かれました。

最初はデザイナーになって、収入を得ながらダンスを続けていこうと考えていたんです。それで美大を受けたんですけど落ちて、じゃあ踊りしかないと思って東京に出てきて。でも今みたいに情報が簡単に手に入らない時代だったから、どこで踊れるかも全然わからない。ある日新聞を見てたら、児童劇団の募集広告が出ていて、その講座内容にダンスと書いてあって、ここに行ったら踊れるかなと思って行ってみたんです。しばらくそこに通っていたんですが、ある日サンリオピューロランドの仕事をやりませんかというチラシを見つけ、そこで踊れるならと劇団を辞めて、ピューロランドでキティちゃんと一緒にパレードダンサーをやってました。満面の笑みで(笑)。

——キティちゃんからホームレスのおじさん。振り幅がすごいですね(笑)。いわゆる商業ベースの仕事をやっていたと。

アオキ:はい。そのときはいまの3〜4倍くらいの収入がありました。今より羽振りがいい時代だったのもありますが。で、今度はそこでストリートダンスをやってる方に出会いました。もともとマイケルに憧れてこの世界に入ったので、自分もやりたいなと思ってサンリオを辞めて、ダンススクールにしばらく通いました。そこで習ってた方がタレントの振り付けをやっていた縁で、コンサートなどでタレントのバックダンサーをやらせてもらって。そんな流れで、流行の踊りを踊ってお金が入ってくるようになってきました。

 

同時多発テロをきっかけに再出発

——2000年にニューヨークに渡られますが、安定した生活と収入を捨ててまで行こうと思ったのは何故ですか。

アオキ:タレントをやたらと持ち上げたり、クライアントにペコペコしながら一方で罵声が飛ぶような現場にいて、これってなんだろうなー、というのは以前からあったんです。バックダンサーとしてアイドルの人たちと付き合う機会も多かったんですが、幼少からずっとそういう世界で生きてきて、世間一般の社会に触れてない状況で、たとえば解散したりすると、もう何をすればいいのかわからない。そういう姿を間近で見ていて、これってすごい変な世界だなと。にもかかわらず自分がその中にいることで、何か葛藤みたいなものはありました。そういうこともあって、自分が影響を受けてきたものを改めて考えたときに、アメリカから来たものがすごく大きかったので、やっぱり本場に行って勉強したいなと。それで向こうに渡って1年くらい経ったときに、同時多発テロと遭遇したんです。

テロのときはハーレムにいました。知り合いの伝で米国人の家にホームステイみたいな形で住んでたんですが、寝てたところを叩き起こされて、テレビを見たら飛行機がビルにぶつかる映像が流れている。彼もすごくパニックになってたし、街も騒然としてて。ものすごく恐怖を感じました。

あの日はすごい青空で、その青空を背景に飛行機がビルとぶつかって真っ赤な炎が上がって……ある意味、きれいじゃないですか、絵として。その中に人の恨みとか、悲しみとか怒りが凝縮されている。これまで自分が見てきた人間の、もっともっと深い部分がそこにあるような気がして、それまで自分がやってきたことがすごく軽く思えてしまった。表面的な部分、形だったり格好良さばかり意識してきたことにショックを受けて、自分を——というか、今までやってたこと、自分のスタンスですね、それを否定したくなって。それで東京に帰ってきました。

——踊りで社会との接点を持ちたいと思ったきっかけになったわけですね。

アオキ:それまでは明確ではなかったんだけど、「これが自分が求めてた踊りの世界なのかな」と考えていたことが、テロに遭遇したことで顕になったと思います。帰国してからは、自分のアイデンティティにもっと向き合うことを念頭に、国内の踊りにも目を向けるようになりました。笠井叡さんのもとに舞踏を習いに行ったり。

——それまでコンテンポラリーダンスとはあまり接点はなかったんでしょうか。

アオキ:森山開次と同じ事務所だったので、彼と一緒に踊ったりとかはありました。尊敬している気持ちもあったし、そっちを覗いてみたいという思いは持っていましたね。でも、帰国してからしばらくは何をしていいかわからなくて模索していた時期が続きました。

そんな中で偶然出会ったのが、ホームレスの人でした。ある日新宿南口でストリートミュージシャンが演奏していたんですが、その横でお尻出して寝てた人がいた。ミュージシャンたちがすごく盛り上がっている傍らで、お尻を半分出して寝てるおじさんには誰も目を向けてなくて。

——でもアオキさんは、おじさんの方に眼が行った。

アオキ:両方ですね。これは何なんだろうと。熱狂する若者たちと、路上に寝そべっているおじさんとの対比的な構図というか。もしこのおじさんが人だかりの方に行って、何かパフォーマンスをやったらどうなるんだろうと。あるいは、自分は衆人環境でお尻を出せる感覚は持ってないけど、なぜあのおじさんはそれができるんだろうと。そんなことを考えていました。そのときは、そういう人間の核心的な部分を構成する要素に意識が向いていたんでしょうね。ただ、じゃあ彼らと踊ろう、踊ってもらおうというふうにすぐ思ったわけじゃなくて。自分の中で日が経つにつれて徐々にそういう思いが形になってきて、やってみたいなと。

 

路上生活者との対話からソケリッサ!へ

——映画の中でも語られていますが、最初はなかなか簡単にはいかなかったのでは。

アオキ:全然簡単じゃないですね。まず話しかけても大丈夫かなとか、そういうレベルからですから。自分もそんな快活な方じゃないんで、もう本当にドキドキしながら、丸一日かけて一人とか二人とかにようやく話せるような感じで。で、ちょっと話すようになって、何回か通って、思い切って踊りをやりませんかと切り出すと、そんなのできる訳ないと。その繰り返しでしたね。本当にしんどかったです。

そんな試行錯誤が半年くらい続いたころ、知人からビッグイシューのことを聞いたんです。ビッグイシューは路上生活の人たちが売ってる雑誌を販売してる会社で、そこを通じてならもうちょっと前向きな意識を持ってる人にアプローチできるかなと思って、代表の佐野さんに話をしたら、面白がってくれた。売ってる場所の地図と、定例サロンというミーティングのことを教えてくれて、そこで口説いてみなさい、それができたらあとはお好きにと言ってくれました。

さっそく販売しているところに行って声かけて回ったんですが、それでもなかなかわかってもらえないし、自分自身、やりたいことを口でうまく説明もできなかった。だったらこれはもう実際に観てもらうしかないなと思ったんです。スタジオ借りたので、そこで踊るんで観てくださいと。30人くらいに声かけて、来たのが5〜6人くらいかな。その場で即興的に自由に踊って「いま自分は自由に踊りました。自分もみなさんの自由な踊りを観たいんです」と話しました。そしたらそのとき来てた人がみんな「やります」って言ってくれて。

後にも先にも、いちばん緊張した踊りでしたね。これでみんなを引っ張れなかったらどうしよう、という切実な思いがありましたから。

——自分が提示できる最後のものですものね。

アオキ:そうそう。そこで面白くないと言われたらそれでもう手はないわけで。最後に自分の本質的な部分を見せて、YESと言ってもらえたのは嬉しかったですね。

 

苦難の末に立ち上がったソケリッサ!の現在の活動ぶりと、彼らが見せる魂の踊りは、映画「ダンシングホームレス」の中でたっぷりと描かれているので、ぜひご覧になっていただきたい。

 


アオキ裕キ

ダンサー/振付家。チャットモンチーの「シャングリラ」やL’Arc-en-Cielの「STAY AWAY」を初め、数多くのMVやCMなどの振付けを手掛ける。2005年に「新人Hソケリッサ!」を創設。言葉による振り付けと、それぞれの個人にしか生み出せない身体の記憶をもとにした踊りは、社会的弱者の社会復帰プログラム、またダンス教育のアプローチとしても評価が高い。2004年NEXTREAM21最優秀賞受賞。一般社団法人アオキカク代表。

映画「ダンシングホームレス」は3/7(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー。 配給:東京ビデオセンター

 

安藤誠

安藤誠

あんどう・まこと 広告プロダクション代表。街を回遊しながらダンサーとミュージシャンの即興セッションを楽しむイベント「LAND FES」ディレクター。障害児向けイベントやワークショップの企画・運営も手がける。

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