Interview #203『David Matthews デヴィッド・マシューズ』

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『ONE MORE TIME / 札幌ジャズ・アンビシャス』

札幌のジャズ・ビッグ・バンド「札幌ジャズアンビシャス」と新しいステージを築きつつあるデヴィッド・マシューズへのインタビュー。マシューズといえばに国内では1980年代からのマンハッタン・ジャズ・クインテット(MJQ)、マンハッタン・ジャズ・オーケストラ(MJO)に代表される「ジャズの一般への普及」で知られた人。でも、それだけの人なのだろうか、と長いあいだ考えてきたのです。1970年のジェームズ・ブラウンのアレンジャーに始まるキャリアは “ジャズ” のカテゴリーにとどまらず音楽全体を大きく俯瞰している。ギル・エヴァンスの研究家でもある彼の軌跡にはただならぬ要素が複雑に絡み合って現在に至っているのだと思う。デヴィッド・マシューズが札幌や東京のクラブで夜な夜な「マンデーナイト・オーケストラ」を率いて新たな実験を繰り広げる、などという妄想までを抱いてしまうのだ。彼が日本に滞在するようになり、現在では北海道の千歳に住んでいる心境を伺ってみた。

Interviewed by Takashi Tannaka 淡中隆史
Translated by Atzko Kohashi 小橋敦子

Q1:どのような理由で北海道の千歳で暮らすことになったのですか?札幌ジャズ・アンビシャスの音楽監督になった経緯などもお聞かせください。

マシューズ:日本に住み始めたのは6年前で、最初は熊本に住んだ。その後、日本の友人の誘いで札幌シティ・ジャズの音楽監督に招かれた。今、僕は北海道の千歳に住んでいるが、「なぜまた千歳に?」と皆に聞かれる。実は、妻(日本人)の家族が仕事の事情で千歳に転居し、今は皆で一緒にここで暮らしている。千歳空港は自宅から15分という至近距離、ここから世界中どこにでも簡単に飛んでいくことができる。それに、札幌ジャズ・アンビシャス・ビッグバンドは大きなプロジェクトがいくつもあるので、この辺りに住んでいるととても便利だ。

『大きなプロジェクト』というのは、たとえば、北海道の5つの学校から140人の生徒が一同に会して僕らのアンビシャス・ビッグバンドとコンサートで共演したこともある。北海道には、小さな町にでも若いミュージシャンのためのジャズスクールがあるんだ。札幌ジャズ・アンビシャスは、こういったジャズスクールと提携し合っている。このイベントに参加するために、5時間もかけてやって来た生徒もいた。僕らアンビシャスのメンバーも、同じように遠方まで出かけて行った。僕は若いミュージシャンが一生懸命にジャズに取り組んでいる姿を見るのが本当に楽しい。

Q2:マシューズさんは日本の多くの音楽ファンから敬愛され親しまれています。そして、ここ日本で大きな成功をおさめてきました。あなたにとって日本は特別な国なのだと思います。あなたの日本人観を教えてください。

日本人には独特の音楽の好みや受け取り方の特殊性があると感じますか?また、海外のミュージシャンが日本で成功する秘訣は?

『Special Edition』

マシューズ:もちろん、僕にとって日本が特別な国であるのは言うまでもない。30年以上も前のことだが、僕は日本で大ヒットを飛ばした。マンハッタン・ジャズ・クインテットだ。この大ヒットのおかげで僕は有名になり、ある意味ではふつうのガイジンとは違った目で日本を見ることができた。僕がミュージシャンとして思う存分に活動できたのもこの成功があってこそ。これから残りの人生は、日本のファンのため、興味を持ってくれるすべての人のために、僕はできるだけ多くの音楽を創っていきたい。

日本人の音楽の好み、受け取り方の特殊性? 世界中の誰もがそれぞれ異なる独自の音楽観を持っているのだと僕は思う。この件に関して「国民性」は問わずだね。

初めて日本にやって来た30年以上前とくらべると、日本人ミュージシャンの能力は驚くほど進歩している。ただひとつ気がかりなのは、多くの日本人ミュージシャンがアメリカのスタンダード曲をあまり知らないということ。スタンダードの有名曲は一応すべて習得して欲しいんだが...。

ミュージシャンの成功の秘訣? どのミュージシャンも素晴らしいアイデアを持っている!それが全て秘訣だ。僕もそれを聞きたいよ。

Q3:今後、札幌や北海道での音楽活動がますます活発になると思いますが、地元でジャズを広めていく上で現実にはどのような問題、課題があるのでしょうか。

マシューズ:僕は地元の人をと思っているわけじゃない。アメリカ人、日本人、ヨーロピアン...というような思いもない。僕の頭にあるのは音楽と音楽家たち、それだけだ。

札幌エリアに素晴らしいミュージシャンが大勢いることを知って僕は本当に嬉しかった。そんな彼らとできるだけ多く一緒に音楽を創っていきたい。そしてもちろんミュージシャンは観客があってこそ。ここには、たくさんの素晴らしいジャズ・ファンもいる!より多くのファンのために演奏していきたい。

北海道の歴史を知っているだろう。北海道が未開の地だった頃、日本全国から開拓者たちがやって来た。彼らは、新たに発見した土地に自分たちの故郷の村や町の名前をつけた。僕が日本に来た目的を知っているかい?日本の音楽のジョニー・アップルシード(Johnny Appleseed)になること。(*注:アメリカ合衆国初期の西部開拓期の伝説的人物の1人。西部の開拓地一帯を回りリンゴの種を植えて回ったという。)「少年よ、大志を抱け!」――北海道に来た僕の目的にぴったりの言葉だ。

Q4:これからマシューズさんは今までにない新しいジャンルに挑み、様々な試みをなさるだろうと確信しています。皆がデヴィッド・マシューズの新しいサウンドを期待しています。今後の方針、構想など聞かせてください。

マシューズ:実は、今まで僕のファンがこれまで耳にしたことのないような曲を書きためてある。クラシック音楽のようなものを書いた。シンフォニー、弦楽四重奏、サクソフォン・カルテット、金管四重奏や金管合奏、三つの行進曲、その他たくさんの室内楽曲など。いつかこれらの楽曲が演奏される日が来ることを願っている。

幸運にも僕は日本で多くのミュージシャンに出会った。その時アイデアが湧いてきて、彼らのために曲を書いたんだ。僕の人生はいつもそんな具合いだ。ミュージシャンに出会い、その演奏を聞き、アイデアが浮かぶ、そして曲を書く、というように。

僕は音楽の土壌に音の種を撒かなきゃならない。

Q5:演奏家、コンポーザー、アレンジャー、音楽監督、教育者、そして著者であるデヴィッド・マシューズさんの今後の活躍が大いに期待されます。この日本でたくさんの可能性がありますね!今後のあなたの夢を聞かせてください。

マシューズ:ずっと昔の僕の最初の夢は、音楽家として生きていくことだった。そして、それから何年も何年も経った今、僕の夢はそのときと同じだ。音楽活動を続けることに残りの人生を費やしたい。この夢が叶うよう手伝ってくれる日本の友人やファンの人たちに心から感謝する。(January, 2020, Chitose, Hokkaido, Japan)

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淡中 隆史

淡中隆史Tannaka Takashi 慶応義塾大学 法学部政治学科卒業。1975年キングレコード株式会社〜(株)ポリスターを経てスペースシャワーミュージック〜2017まで主に邦楽、洋楽の制作を担当、1000枚あまりのリリースにかかわる。2000年以降はジャズ〜ワールドミュージックを中心に菊地雅章、アストル・ピアソラ、ヨーロッパのピアノジャズ・シリーズ、川嶋哲郎、蓮沼フィル、スガダイロー×夢枕獏などを制作。

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