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InterviewsR.I.P. マッコイ・タイナーNo. 264

Interview #204 マッコイ・タイナー(アーカイヴ)

1972年11月3日
特急「ハクタカ」及び富山「ステーション・ホテル」にて
インタビュアー=杉田誠一・窪田のぞみ
写真:杉田誠一
協力=あいミュージック


東京はニューヨークほど触発されるエネルギーを抱摂してないとはいえるでしょう(マッコイ・タイナー)


Q:バイ・マンスリー『ジャズ』誌は、ジャズ・ピープルの手になる雑誌です。強行スケジュ-ルで、ご多忙のところ、インタビューに快よく応じていただき、本当に有難うございます。

マッコイ・タイナー:『ジャズ』誌は知っていますよ。『スイングジャーナル』誌と、これが日本にはあるのですね。『スイングジャ―ナル』は、どうも厚く重すぎるように思います(笑)。

Q:まず最初に、日本での演奏旅行の印象などについてうかがいたいのですが

マッコイ:持に今回は、自己のクヮルテットと一緒ですので、実に素適ないい旅になりました。日本の文化にも大変爽昧をもっていますし、国そのものも気に入っています。

Q:来日は、確か2回目ですね。

マッコイ:ええ、1966年、エルヴィン・ジョーンズ、トニー・ウィリアムズ、アート・ブレイキーたちと一緒のいいコンサートでした。すっかり、日本が好きになりまして、特にグリーン・ティは、今でも毎日飲んでいます。

Q:現在は、どこに住んでいるのですか。

マッコイ:ニューヨーク郊外のニュージャージーで、グリーニングが行われていて、実にいい所です。わたしは都市よりも田舎の方が好きです。静かですからね、しかし、生の音楽は聴けません。ミュ-ジシャンが都市を離れられないのは、それだけ音楽を愛しているからですよ。日本の場合でも、生の音楽は殆んど東京に集申してしまっています。

Q:ジャズを都市音楽のーつとして認識するとき、それぞれの都市個有のエネルギーが問竃になってくるでしょうね。

マッコイ:ニューヨークと東京を比べると、ジャズにとって東京は、ニューヨークほどには触発されるだけのエネルギーを抱摂できないとはいえるでしょうね。ニュ-ヨークをどう思いますか。

Q:非常に危険すぎますね(笑)。

マッコイ:そういう意味では、ひどい都市だとわたしも思いますよ。杉田さんはビッグ(警官)にニコンを強奪されたそうですね。内藤(忠行)さんは、ホテルの部屋にカメラ・バッグを置いていったため、留守申にそっくりやられてしまった、と先日話していました。東京はまだそこまでは、都市化していない(笑)。

Q:ところで、家族で音楽をやってる人は、いるのですか。

マッコイ:母がやっていますが、母からピアノを教わったわけではありません。母は私を一生懇命励ましてくれtした。母は美容師ですが、わたしがピアニストになることを熱望していました。

Q:ピアノを始めた動機は、ありましたか。

マッコイ:別にこれといったものはありません。ピアノを始めたのは、13歳のときで、当時はピアノを弾くのがあまり好きではありませんでした。そのうちだんだんに好きなってきました。別に誰かにピアノをやれ、といわれたらけではなかったのですが。自然に自分で弾きたくなったというわけです。学校から帰宅すると、毎日毎日練習してましたよ。(日本語で)イチ、ニ、サン、イチ、ニ、サンっていう具合にですね。

Q:最初から、ジャズに興味をもっていたのでしょうか。

マッコイ:家には、TVがありましたから、R&Bにまず関心を持ちました。その後、多分、14,5歳の時からR&Bからジャズに興味を覚え始めたように思います.あの頃、すごくR&Bが流行ったんです。15歳(1953年)のとき初めてわたしのジャズ・コンボをもちました。


コルトレーンの死後ジャズが低迷していると考えるのはそれだけコマーシャリズムに毒されているということです(マッコイ・タイナー)


Q:ジョン・コルトレーンとの出会いについて話してください。

マッコイ:宿命的なことに、コルトレーンの元の奥さん、ネイマと、私の妻のアイジャは、子供の頃からの友達だったのです。わたしがコルトレーンに会ったのは17歳のときです。ホーム・タウンのフィラデルフィア(ペンシルパニア州)でした。その頃、わたしはコルトレーンの友達のカルヴィン・マーシィのハンドで働いていました。コルトレーンとマーシィは、幼な友達でした。コルトレーンはまだ、自分のパンドをもっていませんでした。マイルス・デイビスなんかと一緒にやってた頃で、お母さんと一緒にフィラデルフィアに住んでいたのです。

それからわたしはジャズテットに参加し(1959年)、コルトレーンはマイルスの乙もとを離れて自己のグループを結成しました。1960年、わたしは、ジャズテットを必然的にやめて、コルトレーンのグル―プに参加したのです。コルトレーンの演奏に、感動したからです。コルトレーンが死んだ年から数えて2年前(1965年)までわたしは、ずっと一緒に演奏を統けていました。

Q:何故、コルトレーンのグルーブから離れたのですか。

マッコイ:別に、これといったスキャンダラスな理由はありません。

Q:コルトレーンの死以降、ジャズ・シーンは低迷してしまったと思いますか。

マッコイ:そういうことを考えるのは、コマーシャリズムや本に毒されているか らです。本にね(笑)。誰かを批評するということは、レベルの問題ひとつを考えてみても、わたしは不可能だと思います。何故なら、音楽は生活と同じようなものですから。五歳であることと、三歳であることと、どちらが好ましいと思いますか。

Q:よく質問の意味が判らないのですが(笑)。

マッコイ:わたしが言いたいことは、音楽は常に発展していくものだということです。だから、五歳の子供が三歳の子供よりもの知りだ、というのと同じ類のレベルで批評するのだとしたら、全く馬鹿げていると思うのです。赤ん坊が成長していくのをみて、うまくなったとかと批評するのは、馬鹿馬鹿しいと思うでしょう? 音楽を表現することは非常に難しい。音楽はプレイすることです(笑)。批評すること、話すことは音楽ではありません。

Q:テーマは変わりますが、マッコイさんは、このところあまりレコーディングしていませんが、何か理由はあるのでしょうか。

マッコイ:音楽を売りものにすることが好きではないからです。へたをすると、音楽もジャケットと同じような扱いを受けることがありますから。ずっと昔、ハリウッドは、わたしの音楽をマシンと同類にみなしました。

Q:しかし、レコードを通じてしか音楽を聴けないジャズ・ピーブルが、ここ日本にも大勢いるのですが。

マッコイ:...レコードに関してもう少し言わしてもらえるならば、スタジオの場合、どうしても時間的制約があるわけです。心理的に時間のことが気になりまして、限界づけられてしまいます。さらに殆んどの場合、対象つまり聴衆がいないので、反応が判りません。コミュニケーションがないので、音楽をやりたい気持にさせるものがないのです。ですからライヴ・レコーディンゲの方が好ましいてすね。

Q:ジャズ・クラブとかですか。

マッコイ:かといって、クラブが好きというわけでもないんてすよ。わたしは、女と酒が嫌いですからね(笑)。シゼンショク(日本語で)が、一番です(笑)。


わたしは回教徒です。信仰はアフリカにごく近いところで生きることを助けてくれます(マッコイ・タイナー)


Q:『サハラ』を聴きますと、1960年代の演奏とかなりの違いがあるように思うのですが。

マッコイ:ええ(笑)そうですね。私が成長したということです。つまり、自己の音楽を発展させたということです。

Q:『サハラ』の吹込みにあたって、何か特別な考えを持っていましたか。

マッコイ:そうですねえ...北アフリカにある砂漠の歌、トラブルな歌やダンス...それにドラマ...わたしは「エボニー・クィーン」が大好きなのです。(日本語で)オクサンのために書いた曲で、彼女は、女王です(笑)

Q:アフリカヘの回帰志向について話してください。

マッコイ:わたしは信仰(回教)をもっています。信仰は、自然(アフリカ)にごく近いところで生きることを助けてくれるわけです。生(せい)の初原に近づくことをです。神は万物の創造主です。自然は、わたしたちの神の創造主です。自然は、わたしたちの神の偉大さの反映(リフレクション)にしかすぎません。自然に密着しているということは、生の初原の自覚です。たとえば、一本の花が美しいというとき、それをかつて創造した神は、はるかに美しいに違いありません。

Q:ジャズの起源もまた、アフリカにあるということになりますね。

マツコイ:この音楽は、アフリカから入ってきたわけですから、アフリカのリズムをもっています。もっとも、わたしがいっていますのは、西アフリカのことですが、そのリズムが広がゥていくにつれて、様々な形態に変わっていくのです。すべての形態というものは、それぞれに自らの故郷に起原をもっているのです。だからといって、ジャズをブラック・ビープル以外の人間がやってはいけないという理由にはなりません。この音楽はインターナショナルなものですよ。

Q:神にとって、マッコイさんを含めたジャズ・ミュージシャンとはなんなのでしょう。

マッコイ:つまり、人々は神に指示される者であって、人々の行為はその表示にしかすぎないのです。重要なことは、神すなわち創造主をみつめること、すべての形態を成すものがどこに由来するかをみつめることです。...カリフォルニアの博物館に行ってみるといいですよ。わたしは、そこでアルフィン・トスや、カ―ヴィングを見て、泣いてしまったのです。実に美しかった。あれほど美しいものをわたしは見たことがありませんでした。ファンタスティックといってもいいすぎではありません。...すべて形を成しているものは、創造されているのであって、世界はそれを評価するためにあるのです。起源ということは、単に、わたしたらが認識するという意味で重要になってくる、というだけのことです。わたしは美しいことだと思いますよ、人々が何かを認識するということは。創造主は知りつくしています。人々が一緒に演奏し、楽しめることも知っていますよ。別に、インターナショナルな共同体を構築するとかというような意味においてではありません。わたしたちがこうして話しているよりかはるかに、音楽を通しての方が楽しいですよ。

Q:マッコイさんにとって、聴衆はどのように位置づけられますか。

マツコイ:ミュージシャンにしろ、リスナーにしろ、人それぞれ違うわけです。ですから、ミュージシャンにとっては、まず自分自身が演奏することが第一で、聴衆の問題はその次のことです。自分が弾いていることが楽しめなくなったら、全くつまらないことです。たとえ、聴衆が楽しんで笑っていたとしてもです。わたしは、プレーすることの中に自分の生活をもたなければならないと思います。

人々の生活を創るために..わたしが演奏していることを好んでいたら、聴衆もそれを好きになってくれるはずです。

Q:何故、アコースティック・ピアノに執着されるのですか。

マツコイ:わたしは、アコースティック・ピアノが好きだからです。わたしにとって、エレクトリック・ピアノは、自分の個性を取り去ってしまいます。どうしても、エレクトリック・ピアノですと、誰もが同じ音になってしまうのです。表現上、どうしても限界を感じざるをえません。

Q:日本製のピアノを弾かれて、どうでしたか。

マッコイ:...残念なことに、わたしのスピードについてこれないピアノがいくつかありました。次の音を叩いても、まだ鍵盤があがり切っていないというようなのもありました(笑)。


ブラック・ピーブルに対する差別も結局は個人の問題に還元されてしまいます(マッコイ・タイナー)


Q:<ニューヨーク・ミュージシャンズ・ジャズ・フェスティバル>で持に実感したのですが、ブラック・ピープルの音楽は、よりナショナルに、よりラジカルになってきていますね。

マッコイ:それは、アメリカの情況がそうだからですよ。馬鹿げたことに、すべてのものが社会的条件といったことに関係しているわけです。いいですか、わたしたちは実感として自分のまわりに起こりつつあることに—その関係に—気づきはじめているのです,誰かが、自分のまわりで事件が起きれぱ、その原因を探求するわけですよ。もちろん、自分の問題としてです。グループを形成して、真実な何かを強く探求するのです。そこには反動が生まれてもくるわけです。

Q:<ニューヨーク・ミュージシャンズ・ジャズ・フェスティベル>についてはどう思われますか。

マツコイ:そのフェスティバルについてわたしは聞いていますが...多くのミュージンャンが仕事を得ることができないのが実情というものです。嘆かわしい不毛な現況です。<ニューポート・ジャズ・フェスティバル>には、秀でた限られたミュージシャンにだけ演奏の機会が与えられるわけです。<ニューヨーク・ミュージシャンズ・ジャズ・フェスティバル>に参加したミュージシャンは、認められることを望んでいるのです。

Q:それだけが唯一の理由でしょうか。

マッコイ:全くその通りです。たとえぱここに五つのカッブにお茶が入っていてですよ、それに七人の人がいたらどうなりますか。それと同じことですよ。

Q:ブラック・ナショナリズムを通過した後の、ニュー・アフリカン意識について話してください。

マッコイ:アメリカの人々が、アフリカについて、より深く認識しはじめたということです。アメリカは、最も多くの人種が混在している国です。ブラック・ピープルに対する差別も、結局は個人の問題に還元されてしまいます。たとえば、あなたが中国へ行って、そこの市民になった、という仮説をしてごらんなさい。自分の民族は日本人だ、ということであっても、中国に住めないということはないですよ。でも、あなたが攻撃的だったとして、つまり中国人になろうとしたならば、そこに葛藤が生まれます。どう考えても、中国人にはなれません


結局のところ、ジャズは多かれ少なかれ拡大再生産されていく。私にとってジャズは、全体験の永続的止揚過程です(ソニー・フォーチュン)



Q:現在のグループに加わる以前の仕事について話してください。

ソニー・フォーチュン:私はフィラデルフィアに住んでいました。そして、今から五年前にニューヨークヘ出てきました。私がニューヨークで初めてやった仕事は、エルヴィン・ジョーンズと一緒のグループでした。それは、ほんの少しの期間だったのですが。その後、マンゴ・セントメリア(モンゴ・サンタマリア)と一緒に.これは数年続きました。それからしばらく、レオン・トーマスのもとで演奏し、それ以後はずっとマッコイ・タイナーと一緒にやっています,

Q:現在のグループで、どのようなジャズを志向されているのでしょう。

ソニー:そうですね...はっきり言葉でいい衷わすことはできませんし、適切な言葉があるとも思えません...私が考えているのは、ジャズは常に即興的な音楽であり、自然にあふれ出てくるものだということです。私たちは、そういったことを踏まえて演奏しています。たとえ、誰がどのようなことをいおうと、それはもう言葉では表現できない問題です。そう思いませんか。

Q:ソニーさんにとって、音楽とはなんですか。

ソニー:私の音楽に対する考え方は、非常にユニークなものです。まず、私は自分の体験したことを認識します。それは完全な個人としての私に多様な欲望を誘引します。それらが、私にとっては実に多くのソース(源泉)として、私を触発してくれます。たいていの場合、それらのソースがすこふる攻撃的でかつ慣習的なものであることを発見するのです。ですから、私にとって音楽は、全体験の永続的止揚過程とでもいえましょう。

Q:ジャズはブラック・ピープルにとっての音楽だと思いますか。

ソニー:それは、よく判りませんね。ジャズの背景を問題にするということになると...まあ、ずっと以前は、ジャズといえば、ブラック・ピープルの音楽として意味づけられていましたが、ブラック・ビーブルに源をもっているということしかいえませんねえ(笑)。アメリカでは、どのようなバンドでも、上手にジャズを演奏できますし、日本のジャズでもけっこう上手です。そうなると、一つの尺度で計ることが必要になってきます。段階とか水準とかを含めてですね。問題は、いかにブラック・ピープルに源をもっているジャズを適応変化させていくのか、ということだと思います。ユニヴァーサルなアプルーヴァル(賛同)といえましょう。結局のところ、ジャズは多かれ少なかれ拡大再生産されていくということです。

Q:日本の聴衆については、どのように思いますか。

ソニー:日本は大変気に入っています。日本の聴衆の反応は、大変にビューティフルです。静かですが、注意深くよく曲想をとらえています。こういうことは、あえて比較的なもののいい方をすべきではないと思うのですが、アメリカの聴衆は、まあ想像ですが...片手を握りしめて、もう一方では別の何か(お金)を握っている(笑)。いずれにしろ、私は同じだと思います。ほぽ同一の空間を享受しているわけですから、そのような状態にあって、真実は唯一だということです。

Q:月並みですが、日本のミュージシャンについてお伺いします。

ソニー:日野皓正や菊地雅章は、実にいいバンドをもっていますね。日野とは、銀座「ジャンク」などで何度も一緒にやる機会を持ちました。本当にビュ―ティフルなトランペッターだと思います。


誰もが最初から「スラッグス」や「ヴィレッジ・ヴァンガード」なんかで演奏できるわけじゃない(カルヴィン・ヒル)


Q:いつ頃からどのような動機で音楽をやり始めたのですか。

カルヴィン・ヒル:ベースを始める前は、クラシカルな音楽を広範囲にやっていた。ハイスクールに入ってからベースを演奏しだした。ベースも、クラシカルなすごく古典的なものから手をつけた。その理由は、僕はリズムが好きで、その次にメロディが好きなわけ...ベースというのはリズムとメロディを両方もってるから、すっかりとりつかれた。バックにドラムスを置くことで、多くのリズムを奏することができる。ピアノの場合は、どうしても実際的にはよりメロディーを弾くわけで。もちろん、リズムもやるけど...むしろメロディ楽器だ。ビアノと異り、ベースは、最もリズム・プレイを発揮できると思う.そういう意味では、僕はドラマーがものすごく好きだ。ソウルで、リズムを叩き出せるからね。

Q:マッコイ・タイナーとは、いつ出会ったのですか。

カルヴィン:二年前、ボストンにいたときだった。

Q:マッコイの音楽について、どう思いますか。

カルヴィン:すばらしいの一語につきます(笑)。

Q:ジョン・コルトレーンについては、いかがですか。

カルヴィン:ジョン・コルトレーンの死後、ジャズ・シーンが総体的にみて底迷していることは、事実だ。それだけ、コルトレーンが偉大な人物だったっていうことだ。誰も、コルトレーンのようにはとてもなることができないし、コルトレーンのような人物はもう再び出現しないだろう。

Q:音楽観について、述べてください。

カルヴィン:僕が今いえることは、ただただ演奏するだけだ、ということしかない。自分の内的感情を表出し、自らの音楽を創造するよう努力する以外、別に語ることは何もない。

Q:赤黒緑の旗をかかげた<ニューヨーク・ミュ-ジシャンズ・ジャズ・フzスティバル>についてどのように考えていますか。

カルヴィン:あれはブラック・ナショナリストの旗だ。若くて、まだ世に認められていないミュージシャンを紹介したりチャンスを与えたりすることは、もっともっと必要なことだと思う...。<ニューヨーク・ミュージシャンズ・ジャズ・フェスティバル>は、そういう点においてまず、意義があった。ニューヨークじゃ、ミュージシャンは、ジャズ・クラブといわれるところではなく、コーヒー・ハウスでしか名前がないと演奏のチャンスを与えられない。自らの個有なフォルムを構築していくためだ。自分で仕事の場所をつくる以外、無名時代は他にすべがない。誰もが最初から「スラッグス」や「ヴィレッジ・ヴァンガード」なんかで演奏できるわけじゃない。


俺たちのジャズこそがフリーだ。「ウェザー・リポート」にはやたらと規制が多すぎてねえ(アルフォンズ・モウゾン)


Q:いつ頃からドラムスを始めたのでしょう。

アルフオンズ・モウゾン:五歳の時からテーブルを叩いてた(笑)。ハイスクールに入った頃(十二歳)ドラマーになろうと決心して、本格的に始めたんだ。

Q:どのようなドラマーに影響を受けてきましたか。

アルフオンズ:そりゃあ、全部さ。すべてのドラマーを尊敬してるよ。俺は、チャールストン(南カロライナ州)生まれの田舎者なんだよ。ジョージアの近くだからさ、影響されたっていっても、実際に生でやってるのを聴いたわけじゃないんだ。レコードで一生懸命聴く以外になかったよ。好きなのは、マツクス・ローチやバディ・リッチ。その次ぐらいに好きなのが、エルヴィン・ジョーンズ、トニー・ウィリアムズ、アート・ブレイキー、ロイ・ヘインズ。名前をあげてけばとにかくきりないね。

Q:家族で、音楽をやっている人は他にいるのですか。

アルフオンズ:俺だけさ。家族が現在、この時間に何をやってるかなんて俺には判んないけどね(笑)。おふくろは料理人さ、ときには床みがきもやるよ。今は庭仕事もやってる。弟は軍隊にいる。それから妹は、医療技師になるための学校へ行ってるんだ。

Q:「ウェザー・リポート」に加わる前のことを少し話してください。

アルフオンズ:ロイ・エアーズの所にいた。その前は、ブロードウェイのショー「プロミシス、プロミシス」でやってたよ。ギル・エヴァンス、レス・マフキャン、フレディ・ハバード。チャビー・チェッカーと「カモンナ・レッツ・トゥイスト・アゲイン/」(唄い出す)なんてのもやっちゃった。

Q:「ウェザー・リポート」を何故やめたのですか。

アルフオンズ:そりゃあ、マッコイとやってる今の音楽の方が、愛があってずっと美しいからさ。ここにはより多くの音楽に対する尊敬があるよね。俺のプレイを比べてもらえれば判ってもらえると思うけど、全然違ってるはずだ。マッコイのグループの方が、エネルギッシュで自然だ。俺はより自由に演奏できる。「ウェザー・リポート」のときには、やたらと規制が多くってね。全部が組織的に創られてしまってるわけよ。まるでショーみたいにさ。それで自由さがないんだ。

Q:独特のンンバル・ワークについて説明してください。

アルフオンズ:こんな風にやってるのは俺だけさ。とても高いから、すごく難しいんだ。俺にとってはやりやすいんだけどね、とっても成功してる。五フィート九インチ、俺の背たけと同じなんだよ。

Q:ミルフォード・グレイブスとサニー・マレーのドラムについてどう思われますか?

アルフオンズ:俺はミルフォ-ドを実際に聴いたことは一度もないけど、名前は耳にしている。サニーは二、三回聴いたことがある。サニーのプレイには、全く時間の概念がないんだよね。サニー自身のスタイルを持っててね、本当にすごくいい奴だよ。

Q:フリー・ジャズには、あまり関心がないようですね。

アルフオンズ:フリー・ジャズ・ミュージック...そうねえ、俺が思ってるのは、自由を意味する音楽、面白いことにそれは前衛って意昧になってきてるけどね。すべてのことが、時間を有せず、何ものにも拘束されないという、俺にとっては未踏の定義だ。フリー・ジャズは別に決定的な形式なんかじゃないよ。そう思うだろう?クッキーと同じことよ。形でクッキーを食べるかい?形の気にくわないクッキーなら食べない?ジャズだって結局、同じさ(笑)。ときどきさ、人が勝手にフリー・ジャズって呼ぶんだけど、とっても難しい定義なんだ。俺なちはね、自分の思ってる通り感じてる通り、自由にコード進行させて演奏してるわけ。俺たちにとっては、俺たちのジャズがフリー・ジャズだってことよ。マッコイと一緒の俺たちの音楽は、唯一の無限の音楽さ、そう、薬...薬だよ。音楽も薬も同じ言葉なんだ。俺たちの間で通じあえる、俺たちの天国でね...。

Q:『サハラ』の創作意図はどのようなものですか。

アルフオンズ:そう、あれはサハラ砂漠の絵だよ。例えばさ、俺のトランペットは象だ。シェイクがこうシュッ、シュッ...次に鳥だね。ブルルルルルル、またシェイキングね。シュッ、シュッ、シュッ、そしてアフリカ人が走り出すわけ。象がいななく、ブルルルル(笑)。象が鳴き止んだあと、ピアノが雷のように入ってくる。あるいは、神がね。天国の、稲妻のように、雷のように...もう一度レコードを聴いてごらんよ、象がちゃんと鳴いているからさ。

Q:アフリカをどのように認識しているのですか。

アルフオンズ:ジャズのルーツがアフリカだよ。でも、まあ今日はルーツっていってもアフリカに限らずどこにだってある。合衆国にだってね。どこからでも、引き出される源泉はある。でも、ルーツっていうと少しニュアンスが違うかな。別のリズム、別のメロディになっちやうからね。文化の違い...日本のミユージシャンだったら、釈迦の教えを描こうとするというようなね。自分の文化にそってさ、それぞれが信じているものが違うってことかな。

Q:リズムの機能について、どう思われますか。

アルフオンズ:リズムは実に沢山のインスピレーションをそれぞれの源泉にとって、基盤にとって、生み出す。基底になるものよね。例えば、スープのベース、ミソシルのね。ミソはペースト、それは底。リズムさ。メロディはトップに浮いてるネギで、音楽は全体的なスープさ。どうだい、こういう例えは?(笑)


初出:月刊 JAZZ  No.16 early spring 1973


 

杉田誠一

杉田誠一 Seiichi Sugita 1945年4月新潟県新発田市生まれ。獨協大学卒。1965年5月月刊『ジャズ』、1999年11月『Out there』をそれぞれ創刊。2006年12月横浜市白楽にカフェ・バー「Bitches Brew for hipsters only」を開く。著書に、『ジャズ幻視行』『ジャズ&ジャズ』『ぼくのジャズ感情旅行』他。

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