Interview #210 川嶋文丸 〜新刊『バード:チャーリー・パーカーの人生と音楽』を中心に

閲覧回数 1,608 回

川嶋文丸(かわしま・ふみまる)

1947年生まれ。東京外国語大学英米語学科卒業。BMGでジャズを中心に洋楽A&R勤務を経て、RCAアリオラ・ジャパン社長を務めたあと独立。CDの企画制作、執筆、翻訳活動に従事。訳書『クリフォード・ブラウン〜天才トランペッターの生涯』(2003/音楽之友社)によりミュージック・ペンクラブ賞を受賞。ほかに、『マイルス・デイヴィス「カインド・オブ・ブルー」創作術』(2014/DU BOOKS)、『ジョン・コルトレーン「至上の愛」の真実』(2014/DU BOOKS) など。

Interview 設問:竹村洋子+稲岡邦彌
photos チャック・へディックス写真:竹村洋子

Part 1
JT:チャック・へディックス著『バード:チャーリー・パーカーの人生と音楽』の邦訳、出版おめでとうございます。今のご気分を一言お聞かせください。

川嶋:ありがとうございます。パーカーは大好きなミュージシャンのひとりなので、この仕事をやる機会を与えてもらい幸運だと思います。今はようやく出版の運びになり、ほっとしています。ちょっと大げさですが、手塩にかけて育てた子供が一人前になって家から出るのを見送るような気持ちです。

JT: 翻訳に着手される前、チャーリー・パーカーをご自身の中でどのように捉えていらっしゃいましたか?

川嶋:パーカーのレコードを聴いていつも思っていたのは、彼の演奏には独特の品格とか美的感覚のようなものが備わっているということでした。彼のサウンドは、どんなに速く、激しく、奔放に吹いても、けっして粗野になったり下卑たりせず、いつも凄さのなかに美しさを保っています。そこには整合性があり、一聴、脈絡のないフレーズのように聞こえても、全体を通して聞けば、なくてはならないものだったと感じさせます。いっぽうで、パーカーという人は、金を浪費し、他人を騙し、約束を破る、天衣無縫、やりたい放題の子供みたいな人間でした。というわけで、彼の音楽と人間性には大きな落差があると感じていましたが、そんな人間だからこそあのような演奏ができるのだという思いも抱いていました。

JT:パーカーの自伝は既に、ロス・ラッセルの『バードは生きている』、ロバート・ライズナーの『チャーリー・パーカーの伝説』他、多くの出版物が出ていますが、へディックス氏の原著(2013年出版)はお読みになっていらっしゃいましたか?また、へディックス氏の存在をご存知でしたか?

川嶋:ヘディックスさんの原著は、今回、翻訳に取りかかって初めて読みました。この本について、またヘディックスさんについては、それより少し前、文藝別冊のムック『チャーリー・パーカー』で、JazzTokyoのコラムから転載された竹村洋子さんの紹介記事、竹村さんと稲岡邦彌さんによる著者インタヴューで知り、興味を引かれていました。

JT:他の本と、へディックス氏の『バード:チャーリー・パーカーの人生と音楽』は何が一番違うと思われますか?

川嶋:伝記的な記述の正確さ、詳細さでしょうね。ここまで余すところなくパーカーの人生を追いかけた本は、これまでなかったと思います。ここにはパーカーが、いつ、どこで、何をしたかが、簡潔な筆致で根こそぎ書かれています。とりわけ、これまであまり知られていなかった、ニューヨークに出てくる前のカンザスシティ時代のパーカーについては、新発見だらけです。地元の多くの資料や知人たちへのインタヴューにより、彼が生まれてからの軌跡、家庭環境、小中学生時代、楽器へのなれそめ、クラブに出入りし始めたときの状況、さまざまなバンドでの修練などが、丹念に記されています。また、ニューヨークに出てきて以降、亡くなるまでの彼の行動も、当時の時代状況とともに、裏も表も含めて、赤裸々に描かれています。

JT:へディック氏がこの本を書いた、特にその意図が感じられる箇所はありましたか?

川嶋:事物や人物の具体的な記述に、できるだけ正確を期そうという著者の意図が表れていると思います。カンザスシティでパーカーが演奏したクラブや、パーカーの一家が住んだ場所などが、通りの名前や番地や周囲の環境まで、驚くほど明確に書かれています。ニューヨークやロンサンジェルスについても同じことが言えます。それによって、その場所を知らなくても、情景が目に浮かぶように感じます。“細部の描写が全体の真実を支える”ということでしょう。

JT:翻訳していて、楽しかった箇所、苦労された箇所はどこだったでしょうか?理由もお聞かせください。

川嶋:楽しかった、というよりも印象に残るということで言えば、パーカーとチャン・リチャードソンが出会い、恋に落ちるプロセスが書かれた箇所です。これはチャンの文章の引用というかたちで紹介されるエピソードですが、チャンの誕生日に2人が夜明けのニューヨークの街を散歩するくだりなどは、訳していて心に触れるものがありました。それから、パーカーがマクシャン・バンドに入って初めてニューヨークに出て、サヴォイからのラジオ放送で〈チェロキー〉のソロがセンセーションを巻き起こす箇所、ハインズ・バンドでガレスピーとともに切磋琢磨する箇所なども胸が躍りました。苦労した箇所というのはあまりないですね。

JT:翻訳では人名や地名の表記に苦労されると思います。例えば、日本ではジョージ・ウェインとして通用している George Weinをあえてジョージ・ウィーンと正しく表記されています。表記の基準をどこに置かれましたか?

川嶋:固有名詞のカタカナ表記は、訳していて時々頭を悩ます問題です。できるだけ発音に近い表記にしたい。そのいっぽうで、すでにファンに浸透している表記は尊重したい。ぼくは基本的に、一般的に通用している表記はそれを優先させ、そうでない場合は発音に近い表記にする、というやり方でやっています。問題は、一般的かどうかの判断です。ぼく個人は一般的ではないと思っていても、人によっては一般的だと言うかもしれない。その点では、今回は、本の編集とデザインを担当された、ジャズの知識が豊富な池上信次さんのサジェスチョンを得ることができて、助かりました。

JT:邦訳は細かい記述の翻訳が非常に正確で、解り易く読めました。今回、この本の翻訳にあたって、特別に心掛けられたことはありましたか?

川嶋:ありがとうございます。訳文はできるだけ読みやすく、分かりやすくというのが基本ですが、あまり熟なれすぎるとコクがなくなってしまうので、ある程度のメリハリが必要です。ヘディックスさんの原文は簡潔で、主観を排して書かれており、それだけにイメージが膨らみます。ぼくもそれに沿って、過度な思い入れを交えず、できるだけ平明に訳すよう努めました。

JT:翻訳前と翻訳後ではご自身のパーカーに対する人間的な面、音楽的な面での印象は変わりましたか?

川嶋:パーカーには、一言で言うと破滅型の天才というイメージを持っていましたが、この本を読んで、思っていた以上にいろんな矛盾を抱えた、通常の尺度では測ることのできない、途方もない人だったのだということを実感しました。パーカーのなかには人間的な意味でも音楽的な意味でも、神と悪魔が同居していたと言えます。そんなところも、ぼくたちがパーカーに惹かれる魅力の理由のひとつなのでしょう。

JT:カンザス・シティに対する印象は如何ですか?

川嶋:ジャズ史の本により、カンザスシティがトム・ペンダーガストが支配した遊興の街であり、モダン・ジャズの揺籃地だったということは知っていましたが、なぜニューヨークでもシカゴでもフィラデルフィアでもロスでもなく、この米国のほぼ真ん中、中西部の地方都市でモダン・ジャズが発祥したのか、不思議に思っていました。この本を読んで、その疑問は解明されましたが、それでもなお、この街がレスター・ヤングを呼び寄せ、チャーリー・パーカーを生んだのは、理屈では説明できない、奇跡的なことだったと思われてなりません。

JT:ご自身の過去の邦訳作業と比較してこの本の作業は如何でしたか?

川嶋:前にも話したように、原文は全体的に平易で難解な言い回しもあまりなく、またパーカーに関する知識もある程度は持っていたので、翻訳は比較的スムーズに進みました。

JT:最近は本を読む人が減少傾向にあると思います。今回の本の装丁は堅苦しいハード・カバーでなく、文章の文字間も広くコンパクトな形に仕上がり、難しいジャズ本という感じではなく、気軽に手に取れそうな印象を受けます。装丁は版元の仕事ですが、訳者として仕上がりについてはどのような印象を持たれましたか?

川嶋:時代の流れとはいえ、本を読む人が減っているのは悲しいですね。本の装丁については、ぼくは基本的にハードカヴァーよりソフトカヴァーのほうが好きです。本は軽くて読みやすいのが一番です。これまでぼくが関わった本についても、意見を言う機会があれば、ソフトカヴァーにしてほしいと出版社に言ってきました。今回の本の装丁は、全体にシンプルですっきりしていて、良いかたちに仕上がったと感じています。

Part 2
川嶋さんご自身について伺います。

JT:音楽、とくにジャズに興味を持たれたのはいつ頃からですか? また、最初に耳にされたジャズは何でしたか?

川嶋:ぼくは中学から高校1,2年ごろまで、音楽は洋楽ポップスを中心に聞いていましたが、ときおりラジオやテレビで流れるジャズにも惹かれるものを感じていました。初めて聴いたジャズは、たぶん中学2年前後のころ、何かの番組でラジオから流れたアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの〈危険な関係のブルース〉だったと思います。カッコいいなと思いました。リー・モーガンのトランペット、ウェイン・ショーターのテナー、そして何よりもブレイキーの迫力あるドラミングにしびれました。そして高校3年ごろからポップスに飽き足らなくなり、ジャズの魅力に取りつかれるようになりました。

JT:長く音楽プロデューサーとして仕事をされていますが、音楽の世界に入るきっかけは何だったのでしょう?

川嶋: じつは特に音楽業界で働きたいと思っていたわけではなく、たまたまそうなったんです。就職活動の際、一般企業ではなく、マスコミ、出版社、レコード会社のようなところで仕事したいと思っていた矢先、大学に求人があったのでビクターの入社試験を受けたら、運良く受かったんです。

JT:音楽プロデューサーとしての実績の代表的な例をいくつか、具体的にお聞かせ下さい。

川嶋:ジャズの制作を担当し始めた当初、ポスト・コルトレーン派の若くて生きのいいミュージシャンが続々と現れていました。そんななかで、これからのジャズを背負うだろうと思ったトランペットのハンニバル・マーヴィン・ピーターソンとテナーのビリー・ハーパーのレコードを何枚か制作しました。必ずしもそうはなりませんでしたが。それから前衛派のマリオン・ブラウンの叙情的な側面を打ち出したアルバムも作りました。わりあい評判良かったです。よりオーソドックスなラインのものには、フィル・ウッズ、フレディ・ハバード、レッド・ガーランドといったベテランのアルバムもあります。それから、コンピレーション物として、親会社のアメリカRCAがモダン以前のニューオーリンズ~スイング系の音源の宝庫だったので、それらを100枚のLPシリーズに集大成した日本独自の企画も手がけました。

JT:音楽プロデューサーのキャリアのなかで一番心に残った仕事についてお聞かせください。

川嶋:ぼくが手がけたアーティストのなかに、秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンドがあります。アルバムは秋吉さん本人のプロデュースで、ぼくはA&Rという立場でしたが、デビュー作の『孤軍』が大きな話題になってジャズとしては破格のベストセラーになり、年1作という発売ペースで10年続く長期プロジェクトになりました。秋吉さんとは個人的にも親しくなり、その含蓄ある人間性と強固な意志力に感化されました。自分がプロデュースしたアルバムのなかではフレディ・ハバードの『バラの刺青』が記憶に残っています。これは時に羽目を外して吹きすぎるフレディの抑制された魅力を引き出すため、全編ミュートをつけて吹いてもらったアルバムです。プロデューサーとしてスタジオで録音するとき、あまり口を挟まなくてもスムーズに進む場合と、あちこちでサジェスチョンや注文をする場合があります。このフレディの録音は後者で、この曲は3拍子でやってみたらとか、この曲はブレイクを入れたらとか、いろいろ提案して納得のいくものに仕上がったので、特別な思い出があります。

JT:今まで多くのジャズ本の翻訳の実績があり、『クリフォード・ブラウン〜天才トランペッターの生涯』ではミュージック・ペンクラブ賞も受賞されています。ご自身の実績について簡単にご紹介いただけますか?

川嶋:クリフォード・ブラウンの伝記は初めて翻訳した思い出深い本です。ぼくはブラウンが大好きで、たまたまこの原書を見つけ、出版社の友人に翻訳の話を持ちかけたところ、運良く採用されて発刊に至りました。その後、アシュリー・カーンという評論家が書いた、マイルスの『カインド・オブ・ブルー』とコルトレーンの『至上の愛』という、ジャズ史上屈指の名盤の創作秘話を追った2冊のドキュメンタリー本を翻訳しました。コルトレーンではもう一作『私は聖者になりたい』という評論本、それにマイルスも『ビッチェズ・ブリュー』の研究本を訳しました。メンバーの変遷を通してジャズ・メッセンジャーズの足跡をたどった『ハード・バップ大学』や、友人だった2人の作家がチャールズ・ミンガスの思い出を書いた『ミンガス/ミンガス~2つの伝説』といった通好みの本も訳しています。最近のものではハービー・ハンコックの自伝の翻訳が、中身も面白かったし、好評でした。

JT:翻訳作業の面白いところ、苦労するところはどんな事でしょうか?

川嶋:自伝や伝記を訳していると、まるで著者と一緒にその人の人生を追体験しているような気持ちになります。それから、知らない英語の言葉を調べると、それが昔アメリカで流行ったお菓子だったとか、人気になったテレビ・ドラマだったとかいうことが分かり、新しい発見になります。英語を翻訳することは英米の文化を翻訳することだ、ということを実感します。それが面白いところですね。苦労するのは、やはり原文を日本語で言い表すのに、適切な語句、ぴったりの言い回しがなかなか出てこないときです。翻訳は英語力というよりも、むしろ日本語力の問題なのです。訳していて、ぼくはいつも日本語の語彙の乏しさを痛感しています。

JT:今後、翻訳してみたい原著がありましたらジャズに限らずお聞かせください。

川嶋:ジャズの巨人で言えば、いろんな人の本が翻訳されているなかで、アメリカでは何種類か出版されているバド・パウエルとソニー・ロリンズの評伝が日本で翻訳されないのはおかしいですね。ぼくが訳したいというよりも、個人的に読みたいです。それから、時代はもう少し古くなりますが、レスター・ヤングやバニー・ベリガンの伝記本の翻訳にも興味がありますが、現実的には難しいでしょうね。ジャズ以外の分野で言えば、映画監督フリッツ・ラングの評伝です。欧米のたいていの巨匠監督に関する本は手に入るのに、ぼくが好きなフリッツ・ラングのまともな本は日本で出版されていません。出ていないのなら定評のある評伝を自分で翻訳したいという気持ちになります。

JT:現在の業界は、CDを中心に、ハイレゾを含む配信、アナログ(LP)の復活などメディアが混在していますが、現状をどのように俯瞰されていますか?

川嶋:CDなどのパッケージ商品の売り上げが落ちているいっぽう、配信は伸びており、アナログの需要も少しずつ増えているようですが、CDの落ち込みをカヴァーするまでには至っていません。時代の流れで趣味の多様化とともに音楽を聴くスタイルも変わってきているのは確かです。CDの売り上げが下げ止まりになればいいんですが、今後どうなるかを予測するのは難しいです。

JT:新型コロナウイルスの感染防止のため自粛が求められ、音楽業界は激変、厳しい状況に直面していますが、「新しい日常」で音楽がどのように発信されていくようになると思われますか?

川嶋:コロナ禍はなかなか収束せず、長期化しそうな情勢です。元の状態に戻るには、何とか耐えしのいで、ワクチンと特効薬が開発されるのを待つしかないでしょう。

JT:好きなミュージシャン、愛聴盤について理由も合わせてお聞かせください。

川嶋:好きなミュージシャンはクリフォード・ブラウンとウィントン・ケリーです。愛聴盤は、ブラウンは『ブラウン&ローチ・イン・コンサート』、ケリーは『ウィスパー・ノット』です。どちらもそれぞれのジャズ・プレイヤーとしての本質が端的に示されています。最近よく聴くのはリー・ワイリーの『ナイト・イン・マンハッタン』やポール・デスモンドの『デスモンド・ブルー』といった、心安まる寛いだアルバムです。

JT:音楽以外の趣味がありましたら。

川嶋:映画が好きで、もっぱらDVDで日本と欧米の40年代から50年代にかけて作られたモノクロ映画を見ています。邦画で最近はまっているのは成瀬巳喜男の作品です。洋画では光と影のコントラストを生かしたフィルム・ノワールが好きです。カラーよりもモノクロの画面のほうに奥深さと真実味を感じます。それから、ぼくは学生時代から海外ミステリーが好きで長年にわたって愛読しており、いまも新作を読み続けています。

JT:最後に、ご自身の夢をお聞かせください。

川嶋:叶わぬ夢ですが、タイムマシンに乗って過去に行き、チャーリー・パーカーとクリフォード・ブラウンの生の演奏をこの目で見たいです。

有難うございました!

竹村洋子

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に寄稿。(2016)

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。