Interview #211 (アーカイヴ)ゲイリー・ピーコック

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ゲイリー・ピーコック (bassist)

 

Interviewed by Nobu Stowe(須藤伸義)
Photo by 神山博彦

@ バードランド(NYC)2007年8月25日

取材協力: ティナ・ペリカン(ECM USA)/Birdland, NYC

ゲイリー・ピーコックは、ポール・ブレイpとポール・モチアンdsと共に“ピーコック/モチアン/ブレイ”として2007年8月22からの4日間、ニューヨークのバードランドへ出演。(*注1) このインタビューは最終日(25日)の第1セットと第2セットの間の休憩時間にバードランドの楽屋で行われた。この日のライブリポートにも書いた様に、第1セットは隣のオフィスの火災警報器の誤作動で中断させられた。そんなアクシデントの後だったが、ゲイリーは終始上機嫌でインタビューに応じてくれた。

*注1:このトリオの作品としては、『ウィズ・ゲイリー・ピーコック』(ECM, 1963年録音)、『ノット・ワン、ノット・トゥー』(ECM, 1998年録音)の他、ジョン・ギルモアを加えた『ターニング・ポイント』(IAI, 1964年録音)等がある。

須藤伸義 (以下NS):まず初めに自分の事なのですが、JazzTokyoへの最初のインタビューをいちばん好きなべーシストのゲイリーさんとすることになり、結構緊張しています。

ゲイリー・ピーコック(以下GP):(笑)まあ、気楽にいこうよ。

NS: ゲイリーさんは今日一緒に演奏したポール・ブレイを含めキース・ジャッレットや菊地雅章さんといった、異なる個性のピアニストとのトリオをパーマネントに続けています。気持ちの切り替えは特に意識して行うのですか?

GP:うーん、特に意識して気持ちの切り替えはしないな。即興の基本は耳を使うこと、“聴く”という行為なんだ。例えばキースとポールではピアノ・音楽に対するアプローチ、また付随するコンテクストは全然違うけど、耳を使いながら弾く音を選ぶ作業に変わりはない。即興演奏家の個性というものは、例えるなら“聴く”という共通・共有な土壌の上に咲いた花だ。その花には色々な種類、色、香りなどあるけど育っている土壌は変わらない。

NS:個人的な見解ですが、ユング派心理学の人格タイプ (*注2) を即興演奏のタイプに当てはめると、キースの即興は外向性直感型、ポールのは内向性感覚型に分類できると思っているのですが、どうでしょうか?例えれば、キースの即興の基本姿勢はチャーリー・パーカーasやジャンゴ・ラインハルトgといった(外向性直感型の)ミュージシャンに近く、ポールのは菊地さん(内向性感覚型)の即興に近いと思います。

*注2:スイスの心理学者カール・ユング(1875-1961)が提唱した、心理学的類型論。外向・内向の2つの主要型と思考・感情・感覚・直感の4つの下位類型から成り立つ8つの基本類型(例:外向性指向型・内向性感情型)で人格(パーソナリティー)を理解・分析する理論。

GP:それは、本人たちに聞いてみてくれないと(笑)。まあ、ようするに、それら違うタイプが花の種類・色に順ずるものだ。たしかに、違うミュージシャン・状況によって自分の演奏スタイルに変化は生じる。しかし、それはすべて即興の基本 “聴く”という作業による必然的・無意識的な変化なんだ。

NS:じつはこのトリオをバードランドで観るのは2回目です。最初に観たのはま6-7年ぐらい前です。その時のコンサートには、本当に耳を開かされました。3人ともランダム (フリー) に音を発しているように聞こえるのに、その発された音は皆必然性をもって一つの音楽として統合されていました。その臨場体験に、ものすごい衝撃を覚えました。もちろんそれまでも、CD・レコード等でこのトリオを含む前衛系の音楽は聴いていました。しかし楽器の音を含む“ノイズ“が音楽へと生まれ変わるプロセスを言葉本来の意味で“体験”しました。

GP:そう、“体験”しないとノイズが音楽へ変わるプロセス、サムシングは、理解し難いものなんだ。このサムシングを色々な言葉のフレームに入れて言い表す事はできる。でも、言葉のフレームに入れた途端、このサムシングは意味を失うんだ。もちろん、色々なミュージシャンの音楽・アプローチを言葉を使って分析する事に意味が無い訳ではない。でも、自分が一番興味があるのは「その言葉の分析の向こうに在るのは何か?」という事なんだ。

NS:確かに「その時 “体験”したサムシングを言葉で言い表せ」と言われても、大変難しいですね。強いて言えば、あなた達の演奏から、太極拳のマスターの名演舞を見ている様な錯覚を感じました。

GP:(笑)それは、悪くない表現だね。

NS:でも、抽象的な表現ですよね。

GP:うん、“体験”することは出来る。でも、具体的な表現で言い表すのは難しい。

NS: 今日のレパートリーは、スタンダード中心でした。これは誰のチョイスによるものですか?

GP:誰の、チョイスによるものではないよ。ブレイが弾き始めたから、自分もモチアンも付いて行っただけだ。音楽に関する事前の打ち合わせは無しさ。僕のチョイスは、スタンダードであろうと、フリーであろうと、何でもプレイする事さ。

NS:今日のレパートリーは、最初の曲を除き知っている曲でした。最初の曲のタイトルは何ですか?

GP:覚えてないな、何を弾いたかも(笑)。でも、これは最初の曲や今日のレパートリーに限らず、何時ものことさ。特に、調子が良かった日にはね!

NS:稲岡編集長が、今年(2007年)の5月10日新宿・厚生年金ホールでの演奏は、今年で25周年を迎える通称 “スタンダーズ・トリオ” ( キース・ジャッレットp/ゲイリー・ピーコック/ジャック・ディジョネットds) の彼が今まで体験した数あるコンサートの中でも、最高だったと言っていました。彼の意見に賛成ですか?

GP:確かに、そのコンサートの出来は良かった。だけど、今回の日本ツアーの他のコンサートも全部最高の部類だった。キースも、ジャックも、自分も全員コンディションが良く、インスピレーションも高かった。

*ここでポール・モチアン来室。

ポール・モチアン(以下PM):ヘイ!

GP:やあ、ポールどうしたんだい?

PM:いや、別に何も。ただ、楽屋に戻ってきただけさ。

GP:そうかい。まだ、非常サイレンは鳴っているのかい?

PM:鳴っているよ。たぶん、隣で大火事が起こっているんじゃないかな。僕らのために、ウォームアップしてくれているんだ。

一同:(笑)

PM:じゃあまた後で来るよ。

GP:OK、ポール。

NS:今年(2007年)の10月にECMから“スタンダーズ・トリオ”結成25周年記念として2001年モントルー(スイス)でのライブが発売予定です。(注3)この時の演奏は特別だったので、25周年記念までの5年間温存していたとの情報が入っています。その特別性とは?

注3:ジャッレット/ピーコック/ディジョネット『マイ・フーリッシュ・ハート』(ECM、2001年録音)

GP:そのモントルーでの演奏は、20周年記念の一環として行われたものなんだ。確かに演奏・録音内容は高いと思うけど、どうして5年間も温存しているのかは、マンフレッド(アイヒャー:ECM プロデューサー)か、キースに聞いてみないと分からないな。でも、結成25周年のセレブレーションをする計画はあるよ。このモントルーでのライブ演奏もその一環さ。3人の人間が、25年も同じフォーマットで、ほぼレギュラーに活動しているという事実は、そうある事じゃないからね。とくにそのトリオの音楽が、演奏者本人達にとっても、聴衆にとっても、結成25周年を向かえた今でも新鮮に響いているという事はかなり稀な事だと思うよ。

NS:スタンダーズ・トリオのメンバー間では、喧嘩とか口論は、あるのですか?

GP:例えば、どんなことについて?

NS: えーと。長く続いているロック・バンドなんかでは、よく起こる事だと思うのですが。

GP:喧嘩とか口論とかは、無いよ。3人の関係は何時でも凄く良いよ。僕ら3人にとって、いちばん重要なのは音楽だ。だから、3人の音楽に“意味”がある限り,そんな事は起こらないと思う。

NS:ゲイリーさんとの共演歴も多い、富樫雅彦perさんが、8月22日に死去されました。

GP:聞いているよ。凄く残念な事だ。

NS: 富樫さんの事を聞きたい理由は、ゲイリーさんが、富樫/菊地雅章p/村上寛dsさんと共に創った『ヴォイセズ』(SONY, 1971年録音)が自分にとって物凄く重要なアルバムだからです。それまで日本的という事を、半ば無視していた僕は、このアルバムによって耳を開かされました。とくにゲイリーさんの作曲と富樫さんとのリズムの絡み合いに、日本的な“間”を強く意識させられました。

GP:君が言いたい事はよく解るよ。富樫さんは、希有なミュージシャンだった。日本という、ジャズを生んだアフリカ・西欧文明から遠く離れた異国で生まれ育ったバックグランドを持ちながら、彼は直感的に “スウィング” を理解できたユニークな存在だった。彼のような才能は、本当にレアだと思うよ。彼のような才能と、日本で出会えたのは、新鮮な驚きだった。富樫さんのへのトリビュート・コンサートは、計画されているのかな?

NS:僕には解りません。でも、JAZZ TOKYOでは追悼特集を組む予定です。もしよろしかったら、一筆お願いできませんか?

GP:それは、もちろん。何か書かせてもらうよ。

NS: ゲイリーさんは70年代の初頭一時期、音楽活動を中止してを日本に滞在していました。『ヴォイセズ』は、菊地/村上さんとのトリオ作『イーストワード』(SONY, 1970年録音) に続くカムバック第2弾ですが、カムバックのきっかけは?

GP:プー(菊地さん)に説得させられたんだ。プーが、一緒に共演して欲しいと熱心に頼みに来たんだ。SONYとのアルバム契約もプーが持ってきてくれた。プーと何枚かアルバム(*注4)を一緒に創った後、アメリカに戻ってきた。そうこうしている内に、ポール・ブレイから、バリー・アルトシュルdsとのトリオで日本ツアーの誘いがあった。1976年の事だ。

*注4:その他の、ゲイリー在日時の菊池さんとのコラボレート作には、山本邦山(尺八)『銀界』(PHILIPS, 1970年録音)、菊地さん、富樫さんとのトリオ作『ポエジー』(PHILIPS, 1971年録音)、『ヴォイセズ』のクァルテットで渡辺貞夫さんasをバックした『ペイサージュ』(SONY, 1971年録音)等がある。

NS: それが、『ジャパン・スイート』(IAI、1976年録音)になるわけですね。

GP:そうだ。その次は、キースとジャックとのトリオによる最初のアルバム『テイルズ・オブ・アナザー』(ECM、1977年録音)だ。

NS:そのトリオは、どういった過程で生まれたのですか?

GP:マンフレッド・アイヒャーからアルバム制作の問いかけがあったんだ。ピアノ・トリオでやりたいことをマンフレッドに伝えたら、ドラムにジャックはどうだと聞かれた。ジャックとは日本で『ハブ・ユー・ハード』(SONY, 1970年録音)というアルバムを創っていて、相性の良いのが解っていたから直ぐにOKを出した。マンフレッドは、ピアノにキースを推薦してきたんだけど、キースのプレイは良く知らないと伝えたんだ。マンフレッドは、キースのアルバムを何枚か送ってきてくれた。それらのアルバムを聞いて直ぐ、“このピアニストだ!”と思ったね。

NS:今回のバードランドでのコンサート(8月22-25日)は、“ゲイリー・ピーコック/ポール・モチアン/ポール・ブレイ”となっていますが、これはあなたのリーダー・ギグとして解釈して良いのですか?このトリオの“通常表記は“ブレイ/ピーコック/モチアン”だと記憶しているのですが。

GP:(笑)いや、大した理由でこの順番になった訳ではないんだ。ただ今回のギグの話があった時、いつもと少し傾向を変えてみようと思った。ベーシストの名前が最初に書かれていれば、ピアニストがリーダーのトリオとは違う音楽を観客が期待して来ると目論んだ。違う方向にもって行き易くなるという事だ。だから、この順序にしたんだよ。自分のリーダー・トリオというわけじゃない。音楽を聴いてもらえれば分かるとおもうけれど、絶対的なリーダーというのはこのトリオには存在しない。ブレイがリードする時もあるし、モチアンがリードする時もある。もちろん、私がリードして行く時もある。これは“フリー”の洗礼を受けている事が物を言っている。本当のフリーにおいては、全員がリーダー及びサイドの役割を常に同時的に、担当するものなんだ。

NS:次のリーダーアルバムの予定は?

GP:うーん、今のところ無いな。今年は結構忙しかったので、少しリラックスをした後で、今後の事について考えるつもりだ。

NS:アルバム制作以外の今後の予定は?

GP:眠る事かな(笑)。9月の下旬にポルトガルでのフェスティバルがマーク・コップランドpとビル・ステュアートdsとのトリオ(注5)で入っている。その後は、同じトリオで10月下旬から11月上旬にかけてのヨーロッパツアーが入っているハズだ。キースとジャックとは2008年にアメリカ各地でのコンサートが入っている。それぐらいかな?

注5:マーク・コップランド『MODINHA』(PIROUET、2006年録音)

NS:菊地さんとのギグの予定は?

GP:今のところないけど、プーとは何時でもプレイしたいね!

NS:誰か有望な若手ベーシストをご存知ですか?

GP:もちろん誰かいると思うけど、ちょっと思いつかないな。そうだ、プーの話によると、最近彼と一緒に演奏している25歳のベーシストがイイらしい。名前はちょっと出でこないけど、プーは良い耳を持っているので、彼の意見は信用できるんだ。(編集部注)Thomas Morgan トーマス・モーガンではないかと思われる。

*ここで菊地雅章さんが来室。

GP:オー、来たか!

菊地雅章(以下MK):ニッティング・ファクトリーに顔を出してから来たんだ。けど、そこ(SOHO)から1時間半もかかったよ!(*注6)整備やら、何やらで地下鉄が遅れたんだ。アメリカは、本当にファック・アップしているよ。アメリカ市民としてゲイリーは何かするべきだよ!

*注6:バードランドはタイムズ・スクウェアの側。通常SOHOからは、20-30分ぐらい。

GP:(大笑)ニューヨークに、もう住んでいないからなあ。今住んでいる所は、そこまでファック・アップしていないよ。でも、ニューヨークはひどいな。今晩も非常ブザーのおかげで演奏が2回も中断したんだ。

MK:ポール(モチアン?)から聞いたよ。

NS(菊地さんへ):初めまして。稲岡さんが編集長をしているJAZZ TOKYO用のインタビューをゲイリーさんから取っているところです。

MK:何でもいいよ(笑)。じゃ、また後で来るよ。

GP:じゃあな、プー。

NS: じつは、今、初めて菊地さんに会いました。いつか、テザード・ムーン(菊地雅章/ゲイリー・ピーコック/ポール・モチアン)のライブをぜひ観たいとおもっています

GP:そうかい!

NS: ゲイリーさんがいちばん影響を受けたベーシストは誰ですか?少し遅く、ベースを始めたと聞いていますが。

GP:そうだ、ベースは20歳の時に始めたんだ。1955年の事だ。その当時のフェイバリット・ベーシストは、レッド・ミッチェル、パーシー・ヒース、レイ・ブラウン、オスカー・ぺティフォード、だったかな。1年ぐらいして、マイルス・デイヴィスのアルバムを聴いて、ポール・チェンバースに凄く感動した。

NS:じつは、ゲイリーさんが参加したアルバムなら、何でも買い揃えています。最近バド・シャンクasとボブ・クーパーts/oboe 等との1957年のヨーロッパツアーの音源(*注7)を手に入れました。フリーに接近する前のアルバート・マンゲルスドルフtbやアッティラ・ゾラーg等との演奏です。

*注意7:アルバート・マンゲルスドルフ・ウィズ・ジャズ・セックステット『ヨーロピアン・ツアー‘57』(LONEHILL JAZZ、1957年録音)

GP:そんなアルバム、よく手に入れたなあ。そのツアーは、私にとって最初のヨーロッパ公演で、ベースを初めてから1年半ぐらい経った時だ。

NS:でも、テックニックは、もうかなりのレベルに達していると思いますが。

GP:そうかな?(笑)

NS: フリーに目覚めたのは何時ですか?

GP:ポール・ブレイに会った時だから、1958年だな。

NS:それは、ロス・アンジェルスで?

GP:そうだよ。

NS: (ゲイリーさんと活動歴が似ている)チャーリー・ヘイデンbも、その当時から、ポール・ブレイと演奏していた、と聞いています。ブレイのバンドでの活動時期は、ヘイデンとはオーバーラップしていたのですか。

GP:いや、していなかったと思うよ。ポールに会うまではストレイト・アヘッドな仕事が中心だった。バド・シャンクasやバーニー・ケッセルg等とのね。(注8)ポールに会って、まずデュオ(注9)で、ロスの喫茶店を中心に、ライブを何回かやった。確かな手応えを感じたんだ。そして、ドン・エリスtpとのクァルテットでアルバムを1枚吹き込んだ。1961年の事だ。

注8:ゲイリーは、バド・シャンクがブラジル出身のローリンド・アルメイダgと組み、ボサ・ノヴァ誕生にも影響を与えた双頭コンボの作品『ブラジリアンス VOL.2』(WORLD PACIFIC/BLUE NOTE、1958年録音)や、バーニー・ケッセルのリーダー作『スウィンギン・パーティー』(CONTEMPORARY、1960年録音)などに参加。

注9:このデュオで、『パートナーズ』(OWL、1989年録音)や『マインド・セット』(SOUL NOTE、1992年録音)等の作品を残している。

NS:エリスがリーダーの『エッセンス』(PACIFIC JAZZ、1961年録音)ですね。

GP:よく知っているね。その少し後、ポールがニューヨークに戻った。彼とのプレイを継続する目的で、自分もニューヨークに進出した。

NS:そして、アルバート・アイラーtsやドン・チェリーtp等と出会い、当時台頭していたニューヨーク・フリー・シーンで、精力的な活躍をされる事になるわけですね。(注10)

注10:この時期のゲイリーの重要参加作品として、アイラーとサニー・マレイds とのトリオによるフリー・ジャズを代表する名作『スピリチュアル・ユニティー』(ESP、1964年録音)や、アイラー、チェリー等と組んだ サントラ作『ニューヨーク・アイ・アンド・イアー・コントロール』(ESP、1964年録音)などが挙げられる。

GP:そういう事だよ(笑)。

NS:ゲイリーさんがスコット・ラファロbを引き継ぐ形で、ビル・エヴァンスpのトリオでポール・モチアンと共に吹き込んだアルバム『トリオ‘64』(VERVE, 1963年録音)は、僕の愛聴盤の一つです。ゲイリーさんとラファロの演奏には共通点が多くあると思います。ラファロとは、活動時期がオーバーラップしていますし、お互いに影響を与えあったのですか?

GP:いや、そんな事は無いよ。私が、スコットの革新性に、影響を受けた方だよ。スコットと最初に会ったのは、確か1958年か1959年だったと思う。彼がスタン・ゲッツtsと一緒に、ロス・アンジェルスに来た時だったと思う。スコットは本当に革命的だった!最初に聴いた時、戦慄を覚えたからね。(注11)

注11:ラファロが参加した『カル・ジェイダーvib=スタン・ゲッツ・セックステット』(FANTASY)のロス・アンジェルスでの録音は、1958年。ちなみに、ラファロのビル・エヴァンス・トリオ(ドラムは、ポール・モチアン)参加以前のもっともブリリアントな演奏は、パット・モランp とのシカゴでのトリオ作『ディス・イズ・パット・モラン』(AUDIO FIDELTY、1957年録音)に捉えられていると思う。

NS:ゲイリーさんにとっても、ラファロのプレイは、それほど凄く響いたのですか?

GP:そうだよ。

NS:確か、ゲイリーさんと同じく、ラファロも結構遅くベースを始めたと聞いています。

GP:そうだったね。

NS: 楽器の演奏を始めてほんの数年で、あなた達のようにジャズを革新するほどの凄いプレイが出来るなんて、本当にオドロキです!

GP:(笑)スコットのプレイは、本当に革命的だった。彼のようにプレイ出来るベーシストは、当時誰もいなかった。

NS:ゲイリーさんも含めて?

GP:そうさ、あんなプレイは出来たもんじゃなかった!(笑)直接的な影響はとにかく、スコットのプレイから大きなインスピレーションを得たのは、確かな事さ。

NS:大変ありがとうございました。おかげで、稲岡編集長と打ち合わせた質問、大体カバーできたと思います。稲岡編集長はゲイリーさんのアルバムをプロデュースしているんですよね。

GP:そうだよ。富樫さんとプーとのトリオ「GREAT 3」のアルバム2枚と、ピアノを佐藤允彦さんが担当したトリオも、確かプロデュースしてくれたと思う。(*注12)

*注12:『GREAT3/テネシー・ワルツ』(AERLOS、1992年録音)、『GREAT3/ビギン・ザ・ビギン』(AERLOS、1992年録音)。稲岡編集長によると、ゲイリーの佐藤さん・富樫さんとのトリオ「WAVE」の作品はプロデュースしていない、おそらく鯉沼利成さんプロデュースではないかとのこと。

NS: 今日は大変ありがとうございました。

GP:(日本語で)タノシカッタデス。

須藤伸義

須藤伸義

須藤伸義 Nobuyoshi Suto ピアニスト/心理学博士。群馬県前橋市出身。ピアニストとして、Soul Note(イタリア)/ICTUS (イタリア)/Konnex(ドイツ)の各レーベルより、リーダー作品を発表。ペーリー・ロビンソンcl、アンドレア・チェンタッツォcomp/per、アレックス・クラインdrs、バダル・ロイtabla他と共演。学者としての専門は、脳神経学。現在スクリプス研究所(米サンディエゴ)助教授で、研究室を主宰。薬物中毒を主とするトピックで、研究活動を行なっている。

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