#116 pianist 菊地雅章 by イーサン・アイヴァーソン

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菊地 雅章(きくち・まさぶみ、1939年10月19日ー2015年7月6日)「プーさん」の愛称で親しまれた。東京藝大付属高校、バークリー音大に学ぶ。実兄の菊地雅春は東京藝大卒の作曲家。実弟の東京藝大卒の菊地雅洋 (きくち・まさひろ 1942-2008) はジャズ・ピアニスト。甥の菊地雅臣、菊地雅晃は共にジャズ・ベーシスト。1972年NYに移住、ゲイリー・ピーコック、ギル・エヴァンス、ポール・モアチアンらと音楽的親交を結び、自己の音楽探求に励む。内外で自 己の音楽を貫き通したという意味では龝吉敏子と並び称される存在。晩年の作品にトリオ『Sunrise』(ECM2096, 2012)、ソロ『Black Orpheus』(ECM2459, 2016)がある。

インタヴュア:イーサン・アイヴァーソン
2013年1月17日
Translated by Kenny Inaoka with the permission by Ethan Iverson
Originally posted ;
http://dothemath.typepad.com/dtm/interview-with-masabumi-kikuchi.html
Photo:© Abby Kikuchi

ここ15年で小生が気に入ったライヴの経験というとピアノに菊地雅章を擁したポール・モチアンのヴァンガードのギグということになる。
この記事用に貴重な写真を提供してくれたジョン・ロジャースのお陰で、モチアンが他界してからのマサブミにコンタクトすることができた。昨年はマサブミに就いて少々レッスンを受けたがこれが非常に役立つものだった。この点で、彼は小生の演奏に影響を与えているといえる。
以下は、2012年の夏に録音されたものである。テープ起こしはトレヴァー・ハドソンの協力による。


♪ 死んだ弟からはずいぶん学ぶところが多かった

菊地雅章(以下、菊地):東京にB-29が2度襲ってきたんだ。最初は日中だったと思う。皆で逃げたんだ。2度目の空襲は2週間後で、この時は夜間だった。とても怖かった。恐怖に怯えた。ナパーム弾を落とされ、あちこちで燃えていた。ひとりで逃げたんだが、両親を見失った。翌日気が付いたら見渡す限り焼け野原だった。銀座から相当離れたところに住んでいたのだが、焼け野原だったんで銀座まで見渡せるほどだった。焼け野原はどこまでも見渡せるんだ。ビルは皆、倒壊していたからね。飯やスープを待って長い列ができていた。そのうち飯が無くなってスープだけになった。

イーサン・アイヴァーソン(以下、EI):その時、幾つだったんだい?

菊地:4つだったかな? 広島に新型爆弾が投下されたことを耳にし、それが非常に危険だというので、両親の生まれ故郷の北の方に疎開した。父親は絵描きだったんだがもう絵では食えなくなったので、木を燃やすタールの製造を始めたんだ。山は楽しかったよ。

EI:そうかい?

菊地:親父が飲み水を集めるいい場所を作ったんだ。お袋は家に居た。親父が我々の寝場所のために小振りのロッジを作ってくれたんだ。最高だったね。住めるようになるまで2年はかけたと思う。兄弟はふたり。1才上の兄貴と3才下の弟。

EI:3人兄弟というわけだ?

菊地:そう、3人兄弟だね。弟は死んでしまったけど。とても才能のあるミュージシャンだった。

EI:楽器は?

菊地:ピアニストさ。若い頃から睡眠薬に手を出してね。精神的に異常を来してた。俺よりずっと才能があった。

EI:君より才能があったって?

菊地:彼から随分学ぶところがあったからね。

EI:ひとつ下だっけ?

菊地:3つ下だ!

EI:弟からピアノを学んだって?

菊地:俺はしばらくモンクにはまってたんだけど、弟のピアノを聴いてこいつはすでに出来てると思った。「いけるよ」、ということで俺のバンドに入れたんだ。オルガンを弾くこともあったけどね。

♪ コルトレーンの来日コンサートはトイレで聴いた

EI:最初に耳にしたジャズは?

菊地:セロニアス(モンク)だったと思う。ちょうど第二次世界大戦が終わる頃だ。アメリカの兵士が帰国するときにLPを売りさばくんだ。当時としては高値の花だったけど。俺が最初に買ったのはマイルス・デイヴィスの『ポーギーとベス』だった。ぶっ飛んだね。それから、セロニアス・モンクの『ミステリオーソ』。凄いアルバムだよね。

EI:アメリカ兵の置き土産だって?

菊地:そう。モンクの『ミステリオーソ』は発注したと思うけど。まだどこかにあるはずだよ。いいレコード・コレクションだと思う。モンクは俺の最初のアイドルさ。

EI:ジョニー・グリフィンもだって?

菊地:いや、それほどでもない。彼は吹き過ぎだと思うね。いいときはいいんだけど...。

EI:その通りだと思う。いつも素晴らしいんだけど、ある意味でやり過ぎだね。

菊地:そうだね。モンクにはコルトレーンがベストだったと思う。モンクを聴いてたしね。

EI:チャーリー・ラウズよりコルトレーンが合ってると思う?

菊地:チャーリー・ラウズも悪くないけど、これ!という瞬間がないよね。いつもいいんだけど。ベストの中でもベストのミュージシャンかもしれないけどね。

EI:ジョン・コルトレーンね..?

菊地:そう!まずジョニー・グリフィンがいて、それからジョン・コルトレーンが来たんだ。コルトレーンは素晴らしいよ!

EI:コルトレーンの来日コンサートは聴いたのかい?

菊地:もちろんさ!ヴィデオ・ホールというのがあってね。NYのラジオ・シティみたいなところさ。700席くらいのかなり大きなホールだった。彼らの演奏はずっとジャム・セッションのようだった。
出掛けてみたら、コルトレーンがいて、ジミー・ギャリソン、ラシッド・アリ、アリス・コルトレーンがいたんだ。俺はバックステージのトイレに居たんだが、大きなトイレだった。どこも大きかった。トレーンが来て、吹出したんだ!トイレに座ってトレーンを聴いてたってわけだ。そういうこともあった。俺ひとりでね。でっかいトイレ。このロフトと同じくらいの広さだった。ビルの端から端までトレーンの音が鳴り響いていた。彼がどれくらいの音符を吹いたかも分からない!

EI:大量の音符だって?

菊地:そうさ、ある意味ショックだったよな。コンサートではアリスがとても良かった。新鮮だった。。

EI:コルトレーンと一緒の時のアリスが好きだね。

♪ バークリーではハーブ・ポメロイに多くを学んだ

菊地:29才のときにバークリーに行った。だけど好きになれなかった。ハーブ・ポメロイ以外はね。彼はいい教師だったよ。彼からは学ぶところが多かったけど、彼以外は好きになれなかった。

EI:ポメロイからは何を学んだんだい?

菊地:アレンジのクラスに居たんだ。6、7学期は彼のクラスに居た。たくさん学んだよ。彼のロジックをね。そう、「Line Writing」(ライン・ライティング)と言ってね。サウンドをハーモナイズするのはコードからだけではなくて、ダイナミクスにも注力するんだ。そうすることによって、音楽のサウンドに新たな地平が開ける。当時の若い学生に彼が伝えようとしたことから俺は相当影響を受けたんだ。だけどどれほどの学生がハーブが本当に伝えたかったことを理解していたかは分からない。本当に切れ者で素晴らしい教師だった。思い出すよ。ほんとにちっぽけな技術的な問題だけじゃないんだ。彼はいつも本気で、彼の演奏からも学ぶことが多かった。うん、たいした教師だった。。

69年、俺は、ボイルストン・ストリートのマイルス・デイヴィスのジャズ・ワークショップに居た。ウェイン・ショーターが居て、トニー・ウィリアムス、デイヴ・ホランド、チック・コリアが居た。チックのマイルスとの最初の仕事だったと思う。チックに話しかけてみたんだけど、まだガキだったね。その後のチックのキャリアはあまり好きになれないけどね。若い頃のチックは大好きだったけど。チャレンジを恐れてない頃はね。名が出て彼は変わった。その手の音楽は好きになれない。まとまり過ぎてるんだ。上質なカクテル・ミュージックというかね。

♪ ウィントン・ケリーよりレッド・ガーランドが好きだ

EI:若い頃は他に誰を聴いてたんだい?レッド・ガーランド?ウィントン・ケリー?

菊地:そうだね。大体、皆はレッド・ガーランドよりウィントン・ケリーが好きだったんじゃないの。俺は、レッド・ガーランドの方が好きだったけど。ピアノを良く知らないとガーランドのようには弾けないんだ。彼を聴いてピアノの弾き方をずいぶん学んだよ。とくにフレージングをね。彼はボクサーだったけど、それが彼のアプローチに影響してると思う。

EI:中音部に特徴があったね。つまり、コードの中の不協和音にね。

菊地:うん。彼の演奏を聴いているとどの音にも意味があることが分かる。特別な意味がね。だから、レッド・ガーランドは俺のピアノ奏法に多大な影響を及ぼしているんだ。より美しいタッチ、ただ強いだけでなく。マイルスが彼を雇った意味が分かるよ。

EI:コルトレーンも彼が好きだったよね。すいぶんたくさんのレコードで共演している。

菊地:彼は、メロディの裏で弾く名手だね。特殊な才能に恵まれていると思う。

EI:その通りだね。多くのファンはウィントン・ケリーの方が好きだが、小生もレッドの方が好きだね。

菊地:そう、ウィントン・ケリーはとてもキャッチーなんだよね。。

EI:そう、とても耳あたりがいいんだ。

菊地:まさにそうだね!彼はいいよ。だけど、レッド・ガーランドの方が名手だよね。

EI:そう思う。マッコイ・タイナーは?

菊地:初期の頃の演奏は大好きだよ。だけど、だんだんうんざりしてきた。

EI:ある意味でレッド・ガーランドからマッコイ・タイナーにつながる線があると思う。

菊地:そうね、だけど初期のマッコイに限ってはね。。

EI:君のエルヴィン・ジョーンズとのレコード、『ホロウ・アウト』だけど、とてもマッコイ・タイナーに似てると思うけど。

菊地:えっ、そうかい?多分、その頃マッコイにはまってたから、彼のように弾けたんだろうね。だけど、いい加減そういう連中を追っかけることが嫌になってくるんだ。だから言ったんだ。「もう、たくさんだ」ってね。

 

♪ ポール・ブレイは生活そのものも最高なんだ

菊地:そう考えるようになったのはポール・ブレイのお陰だろうね。彼は独自のやり方を見出したからね。だから俺も言ったんだ。「よし、俺もピアノで俺自身のやり方を見つけるぞ」ってね。

EI:ブレイのどのレコードを聴いたんだい?60年代のレコードを聴いたのかい?

菊地:スティヴ・スワロウとピート・ラ・ロッカと演ってるやつ。

EI:『フットルース』だね。

菊地:『フットルース』!そう...。どこかで聴いた最初のやつだ。ソロも聴いたね。『オープン、トゥ・ラヴ』ね。ポール・ブレイには日本で会ったんだよ。彼が、ソニー・ロリンズと来日したときね。ヘンリー・グライムズ、ロン・マッカーディ、それから若手トランぺッターのラシッド・マイ・アリ。ホテルに三晩出演したんだけど、毎晩聴きに出掛けた。ずっとあとになってからだけど、ポールがゲイリー・ピーコック、ジミー・ジュフリーとスイート・ベイジルに出演したときも毎晩聴きに通った。最高だったよ。

EI:彼は最高だよ。言うまでもないけどさ。

菊地:もちろんさ。生活そのものもね。どんなのか知ってる?うまく言えないけど。言えないな。だけど、最高だ。

EI:他のピアニストについても聞きたいな。

菊地:どうぞ。

EI:ハービー・ハンコックはどうだい?ハービー・ハンコックは聴いたの?

菊地:興味を持ったことはないね。マイルスのバンドに入った頃は良かったんじゃないの。だけど、自分の音楽を演り出してからはね。考える必要もないんじゃないの。彼がまだうんと若くて、マイルスのバンドに入る前はね、好きだったよ。だけどマイルスを辞めて自身のスタイルを作ってからは全然面白くないね。信じられないことだよ!俺が気にしたり、はまる余地が全くないんだ。いわゆる出来過ぎなんだ。

EI:アンドリュー・ヒルはどうだい?

菊地:彼は好きだよ。ヒーローのひとりと言ってもいい。たしか『Hommage』と言ったと思うが、アルバムを1枚プロデュースしたことがある。エンジニアはデイヴィッド・ベイカーだった。編集もかなりしたけど。

EI:話には聞いてる。見たことはないと思うけど。

菊地:俺は持っていないけど、どこかで買えるはずだ。

EI:分かった。アンドリューは年代60のブルーノートを聴いたのかい?それとも?

菊地:その通り!『Black Fire』がお気に入りの1枚だよ。

EI:小生も同じだ?。

菊地:あれはいいね。彼がブルックリンでどうやって生活してるか知ってるかい? アルフレッド・ライオンが随分ギャラをはずんだんだ。それで彼は製粉工場を買ったんだ。

EI:製粉工場?アンドリュー・ヒルが?

菊地:ブルックリンの河辺にあった工場を買った。

EI:本当かい?

菊地:本当だよ。3階建ての工場だった。ハモンドを弾く愛妻と住んでた。その工場にね。ひとつのフロアが住居になってるんだが、工場のフロアのようだったよ。随分長く住んでたんじゃないか。それからサンフランシスコかどこかへ移住した。彼はいいよ。ピュアでいいセンスしてるしね。

♪ ミンガスのお陰でグリーンカードが取れたんだ

EI:ジャッキ・バイヤードはどうだい?そこそこ聴いてる?

菊地:ミンガスのバンドに居る頃ね。レコードも聴いてる。彼も一頭地を抜いてるね。なんでも弾けるんだ。凄い人だよ。ボストンに戻るまではヴィレッジに住んでた。チャールス・ミンガスはいいね!随分助けてもらった。日本に来た時、俺を使ってくれたんだ。変わったコンサートだったけど。

EI:他のメンバーは?

菊地:ボビー・ジョーンズ...。他のメンバーは大したことがなかった。名前も覚えていない。ミンガスも変わっててね。リハーサルを止めようとしないんだ。リハは好きだったんだね。日本の北の町に出掛けた時のことなんだが、プロモーターが来て、「客入れをしないといけないから、リハを切り上げてくれ」っていうんだ。ミンガスは、「構わん、客を入れろ」と言って、リハを止めようとしない。乱暴な男だったが、ベースを弾き出すとこれが凄いんだ。ユニヴァーシティ・プレイスの「ブラドリーズ」にジーン・パーラbと出てたときなんだが、ミンガスが毎晩夕食に来てた。俺はブラドリーに気に入ってもらってた。ところで、俺がグリーンカード(市民権)を取れたのは、ミンガスのお陰なんだ。

日本でトラブってね。日本で食っていく必要が出て、官憲が彼に猶予を与えて仕事をさせたんだ。エルヴィンのピアノ弾いてたから、エルヴィンを加えた「ジャパン・オールスター」的なバンドを組んでね。その時、ケイコさん(後のエルヴィンの奥さん)と出会ったんだ。ヴァンガードでエルヴィン、ジミー・ギャリソンと演れたのはラッキーだった。

EI:ジミーも居たのかい?

菊地:そうだよ!時々やってきた。皆に好かれてたからね。エルヴィンとジミーは特別だよ。彼らを聴くのが好きだった。ずっと聴きほれてたんだ。そしたら、エルヴィンに「キ・ク・チ、弾くんだ!」って怒鳴られてね。凄い経験だったよ。彼はまるで機関車みたいだった。彼らのダイナミズムと言ったら!

EI:う~ん。

菊地:彼のエネルギーってそういう類いのものなんだ。ジミーがつねにボトムを押さえていたからね、彼らのコンビネーションは完璧だったんだ。だけど、俺は彼とはビジネスの話ができなかったんだ。俺の手に負えなかった。グループを去った理由だよ。うん、エルヴィンは俺にローリング・グルーヴというものを教えてくれた。すべてが回転しているんだ。彼らと一緒に演奏できたこと、それに俺の耳を開かせるチャンスを与えてくれた彼らには心から感謝している。
うん、俺はとてもラッキーだった。どうしてだか分からないんだけどね。だってエルヴィンのバンドを3度も辞めているんだよ。いい子なわけないだろう。

EI:(笑いながら)だからこそ、彼は君を大した奴だと思ったんじゃないか。「OK、こいつは本気で出て行くつもりだぞ。捕まえておいた方が良さそうだ!」とね。

菊地:彼らがどういう連中か分かってるよね。まじで凄い連中なんだ。

EI:評判通りの人物だったかい?

菊地:うん、評判以上だね。評判以上。挑戦を恐れなかった。その点、俺はラッキーだった。そう思わないかい?そういうチャンスに恵まれる若手はそう多くはないだろう。とくに近年ではね。俺はじつにラッキーだった。若手には本来障害が多いんだが。

♪ 八木正生のトラを務めて武満徹と知り合った

EI:武満徹との関係について教えてくれるかい

菊地:この知名度のある「ニュー・ウェーヴ」派の監督のデビュー作のスコアを書いたんだ。武満は八木正生というジャズ・ピアニストが欲しかった。八木は俺が19才の時の最初の先生だった。クスリで駄目になったんだけどね。実際より具合が悪い振りをして(喘息だと言ってね)、退院をしないんだ。そしてドラッグの処方箋を手に入れる。結局、劇伴の演奏はできなかった。
それで俺が八木正生のトラを務めたってわけだ。そんなわけで武満と近しくなって、武満が俺に興味を持ち出したんだ。そして俺に友達のような振る舞いを始めた。小さなコンサートを企画して、俺に彼の図形譜を弾かせようとした。
<ピアニストのためのコロナ>という作品で、内容を変えるも良し、即興するも良し。俺のやり方を気に入ってもらえた。他の連中は俺の演奏に疑問符を付けたんだが、武満は気に入ってくれた!

EI:それから?

菊地:しばらくして一緒に映画音楽をやることになっていたんだが。彼は若い頃はとても純粋だったんだが、イェール大学で教えるようになってから、名声や栄光、金銭を求めるようになってしまった。NYに移住してからは、一緒に時間をつぶしたよ。コーナー・ビストロって店はハンバーガーだけじゃないんだ。古いジャズのジュークボックスを置いてあってね、とくにデューク(エリントン)が。ハドソン通りだった。14丁目から2ブロック下がったところ。いつもジュークボックスで古いジャズがかかってた。そこでよくふたりで時間をつぶしてたんだが、だんだん彼の嫌な面を見るようになってね。後に勲章までもらったんだ。勲章だぜ、勘弁してくれよ。

EI:勲章はもらうべきではなかったと。

菊地:そうは思わない。時の政府の質によるんだよ!彼は俺をロックフェラー基金に推薦してくれたんだ。外国の若いアーチスト向けの奨学金制度があって。
助成が下りそうなところだったんだけど、滞在が1年を過ぎたので帰国したんだ。それに、制度に嫌気がさして結局は断わることにした。そのあたりからふたりは疎遠になりだした。

EI:彼は君が奨学金をもらうものと思っていたんだろうね。

菊地:うん、だけど俺は嫌気がさした。仮に奨学金を得たとしても1年しかもたなかったからね。文化交流のためのプログラム的なものだから。あと、3、4年も日本には居たくなかったんだ。それは出来ない話だった。それに縛りのある基金も好きじゃなかったってこともある。武満とはそれっきりだ!

EI:<ドリアン・ホライゾン>(邦題<地平線のドーリア>)とか武満の初期の作品は聴いていたんだよね。

菊地:あれは素晴らしいよ。<ノヴェンバー・ステップス>の方がよく知られているけど、俺はたくさんだ。<ドリアン・ホライゾン>こそ真の音楽だ。素晴らしい作品だよ。若杉弘という優れた指揮者がいるんだ。ヨーロッパに居たが今は日本に戻っている。凄くきめ細かな指揮をする。25年から30年はヨーロッパに居たんじゃないかな。<ドリアン・ホライゾン>を録音している。

EI:<ドリアン・ホライゾン>は聴いたよ。

菊地:16群の弦によるシンフォニーだ。(訳者註:「17群の弦」の記憶違いと思われる。2群で構成され、第一群は、ヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ2、コントラバス2. 第二群は、ヴァイオリン6、コントラバス3)

♪ 心の中で平均率以上のものを感じている

EI: 日本人である君のピアノとジャズへの接し方についてはどう考えてる?

菊地:皆がいつもそのことを質問してくるんだが、それは俺自身の解釈だと思ってる。俺がそれを100%信じている限り、何も問題はない。こっちの連中も日本人も不満があるらしんだが、俺は何も気にしていない。俺の本能と感覚から発しているものである限り、俺は恥とも何とも思っていないよ。

EI:その通りだよ。

菊地:俺が編み出したやり方だからね。ピアノを通してそうやって俺の音楽的センスを磨いてきた。皆がいつも「平均率」ピアノのことを語っているよね。だけど俺はそれ以上のものがあると思ってる。

EI:音符と音符の間にある音のことを言ってるのかい?

菊地:ピアノのピッチは変えられないよね。だけど俺は心のなかでそれをやり出したんだ。そのピッチの変化が見えているのは俺しか居ないと思う。誰が何と言おうと俺はそれを感じているんだ。俺自身の体験としてね。「それが気に入らないなら近寄るな」と言いたい。俺にはそう言える資格がある。俺自身を信じているのも同じことだ。文化的な問題は気にしていないし、考えてもいない。信じている限り、悩む必要もない。誰かが悩みたければそれはそいつの問題であって俺の問題ではない。

EI:日本の民謡(フォーク・ソング)についてはどう思う?気にかけていることかい?

菊地:民謡って?民謡と言ったって何千とある。

EI:つまり、君に係わっている古い様式の日本の音楽があるかってことなんだけど。

菊地:それはあると思う。しばらく雅楽にはまったことがある。だけど、雅楽は日本人だってなかなか生では聴けないんだ。

EI:<ドリアン・ホラゾン>を聴いたときとか、君がポール・モチアンと演奏しているのを聴いたときに、何か日本的なものを感じるんだ。日本的なものが好きだってことなんだが!もちろん現代の交響的作品であり、現代のピアノ音楽なんだけど、何か日本的なものを感得するんだ。分かるだろう?重要なことだと思うんだけど。

菊地:俺の音楽に日本の影響があることを指摘されるのがひどく嫌がっていたのだが、聴いてみると「そうかな」と思うようになった。日本人以外のリスナーが聴いて理解できるようなやり方を見つけたんだ。だから今では「いいかい!これが俺のやり方なんだ。どんなもんだい!」って言ってる。(笑)

♪ マイルスとは1曲だけ録音した

EI:アメリカでの経験の話に戻りたいんだけど。マイルス・デイヴィスとギル・エヴァンス、それから70年代のことについていくつか。

菊地:彼らふたりは俺に最大の影響を与えているからね。

EI:マイルスとは一緒に演奏したことがあるんだよね。

菊地:そうだ。彼は、このロフトにやってきた。おかしな人でね...。他にも14、5人のミュージシャンが来た。マイルスが来るよ、といったら、皆やってきたんだ。

EI:マイルスと録音はしたの?

菊地:そう思うよ。

EI:だけど、リリースはされていないよね。

菊地:録音したのは1曲だけだ。われわれがリハをしている間、マイルスはラリー・コリエルの自宅にいたんだ。マイルスから電話があって、アル・フォスターとコネチカットに来いという。マイルスが手配したリムジンに乗ってラリーの自宅に出掛けたんだが、結局何も起こらなかった。

EI:何かを期待してマイルスを待ったけど、結局何も起こらなかったってことだね。

菊地:う~ん。ウィリー・ネルソンのマネジャーとつるんでツアーの仕事を取った。当時、マイルスはベーシストとしてスライ・ストーンに興味があったんだ。サム・モリソンsax、ピート・コージーg、アゼディン・ウェストンpercと組ませようとした。ギル・エヴァンスをアレンジャーに使ってね。スライが初日をすっぽかし、マイルスが愛想をつかして、それきりになった。

♪ ギル・エヴァンスは俺の本当の意味での先生だ

EI:ギル・エヴァンスとは? ギルに学んだと聞いたけど。

菊地:ギルは俺の真の教師と言える。

EI:ギルにはいつから就いたんだい?

菊地:覚えてないなあ...。一緒に時間を潰すようになって...。最初にギルの自宅へ出掛けたのは、鯉沼という日本のプロモーターが俺をフィーチャーしたギルのバンドを日本に呼びたいという意向を伝えに行ったんだ。その時、ウェスト・ベスにあったギルのロフトに出掛けたのが最初だ。それからどんどん親しくなって。彼に気に入られて俺も彼を尊敬するようになった。あらゆる方法を通じて音楽的な交流を図った。ブルックリンにスタジオを持っていた頃、ソロ・ピアノを始めたんだ。自分がどんな音楽を弾いているのか知りたくなって、マリア・シュナイダーに採譜を頼んでみた。彼女は随分採譜してくれた。金も随分かかったけどね。気に入ったパートを見つけるとギルに電話をしてここに呼び出すんだ。ギルは譜面を全部チェックしていい箇所を見つけたら「これがどうしていいか分かるかい?」と言いながら、説明してくれるんだ。

EI:つまり、君が演奏したピアノの譜面をギルと一緒に確認して、ギルが気に入った箇所を教えてくれるんだ。

菊地:その通り。彼が何度このロフトに足を運んでくれたことか...十数回じゃきかないだろう。いつもいい箇所を見つけてくれて、いい理由を説明してくれるんだ。そういう付き合いだった。だけど彼から一銭も要求されたことはなかった!

EI:そうなんだ。

菊地:そう、一度もね。俺が払おうとすると、「いや、金は必要ないんだ」って言うんだ。彼こそ俺の真実の先生だった。大体1回2時間位、3、4時間になることもあった。本当に学ぶことが多かった。レッスンが終わってから演奏したテープを今度はギルの自宅へ持って行って一緒に聴くんだ。そこでまたいいところを見つけてくれて、その理由を教えてくれる。その繰り返しだった。だけどレッスン料は発生しない。本当に幸せ者だよ。ギルとは2枚のアルバムを制作した。大した経験だった。

♪ ポール・モチアンと出会って俺の音楽が変わった

EI:ポール・モチアンとはいつ出会ったんだい?

菊地:ゲイリー・ピーコックとの仕事の付き合いは随分長いんだ。当然、近しい間柄になる。

EI:たしか70年代の初期にもレコードで共演してるよね。

菊地:そう。俺が新しい領域に足を踏み入れたことをゲイリーが確認して、その音楽にはポール・モチアンがベストだろうって薦めてくれた。それからだ、ポールとレコーディングを始めたのは。(テザード・ムーンの)『ファースト・ミーティング』の録音の時だったけど、ゲイリーがトイレに行ってる間にポールとふたりで演ったトラックがあった。これをレコードに収録したかったんだけど、俺がツアーに出ている間にゲイリーがマスターから外しちゃったんだ。何れにしても、ゲイリーがトイレに行ってる間にポールとふたりで演った内容が素晴らしかったんだ。
これがきっかけとなって、ポールとのユニット「2000+1」(註:ポール・モチアン:Trio 2000+One)のスタイルとフォーマットができたんだ。ドラムのピッチに幅があると、キーを扱い易くなるんだ。ゲイリーがトイレから帰って来た時にはデュオで1曲上がっていて、ポールがとても気に入ってくれたんだ。
ゲイリーは音楽に対して二面性を持ってるんだ。ひとつは通常のトリオでの演奏が得意であること、もうひとつは俺のようにひとつの方向性を持たないピアニストと素晴らしく相性がいいということ。つまり、論理など持たないで内から出てくるものを追って行く、感じるままに展開していくやり方。ゲイリーの抜けたデュオがふたりの真の出会いの始まりだった。随分前のことだけど。

EI:91年じゃないかな。

菊地:そうかい? それ以来その方向を進めてきた。それがポールのバンドを止めた理由さ。ポールのバンドに入った頃、ポールは少し違和感を感じたようだった。随分長く一緒に演奏してなかったからね。でも最後には分かってくれたんだ。彼は何でも好きなようにやらせてくれた。どんなちっぽけなことでもね。ポールのヴァンガードの最後のギグでは俺がコンマスを務めた。彼は疲れてたからね。すでに体調を崩してた。

EI:そうだったね。

菊地:彼から電話があって、コンマスをやるように言われた。もちろんOKさ。

EI:それから曲を用意し始めたんだ。

菊地:そうさ。だけど1セット分しか間に合わなかった。ポールに言ったら、「問題ないよ。同じ曲を2セット使い回せばいいよ」って返事が返って来た。何て懐が深い人間だろう。じつに素晴らしいよ!

EI:君らはスペースの使い方が共通してるんだと思うよ。

菊地:そう、そう、奴 (opponent) とスペースを共有するというか..。

EI:奴ね!(笑)

菊地:それ、奴!奴?何て言ったらいいんだい?

EI:それでもいいけど。「共演者」というか、やっぱり「奴」か。

菊地:(感慨にふけるように)そう。最後のギグになるとは思わなかったよ..。どうしても信じることができないんだ。

EI:モチアンの曲を演奏するのは好きかい?

菊地:最初は「No」だった。理解できなかったからね。今なら誰の曲でも演奏できるよ。譜面でもあればね。俺自身のやり方で展開できる。時間と展開の自由を認めてもらえれば、誰の曲でも演奏できるよ。

EI:91年からポールと演り出して以来、君自身のスタイルが出来てきたんだよ。まさに君そのものみたいな音楽が。

菊地:ポールがサポートしてくれたからね。どんな時でも手を貸してくれようとした。最初はね、やっぱりビバップ的なものにこだわってたんだ。だけど、初めてポールと出会った時に。これこそ俺がやりたかった音楽だと納得したんだ。天啓だね。それ以来、2000+One が変わった。画期的だったね。

♪ モチアンとの演奏を聴いたら自分の知らない菊地がいた

菊地が初めてギグで演奏したポールの楽曲、Ab の<Last Call>のピアノのイントロ。菊地にもらったブートレグを聴くと、モチアン、クリス・ポッター、ラリー・グレナディアが入って来るまで、抽象的で深遠なピアノのイントロが6分以上も続く。

EI:自分は1991年にヴィジョネーズで演奏する君を聴いたのが最初だ。

菊地:オンボロのグランドピアノだったろ?

EI:そうだよ。ポール・ブレイくりそつ(そっくり)だと思った。

菊地:かもな。

EI:だけど次にモチアンと演る君を聴いたときは、ポール・ブレイではなかった。自分が知らない何かだった。

菊地:覚えてるよ。一時期、ポール・ブレイにはまってたんだ。だけど、いくらポール・ブレイに近づけようと思っても出来ないことが分かった。それは彼自身のスタイルだからね。「くそっ!」と思ってね。その時だよ、俺自身の音楽に目を開かせたのは。

EI:モチアンが共演してた他のピアニストはどうだったんだい。ビル・エヴァンスとは係わりがあったの?

菊地:彼のアルバムで好きなのは最初のやつだけだ。

EI:『ニュー・ジャズ・コンセプション』かな?

菊地:いや、スコット・ラファロとポール・モチアンと演った最初のアルバムだ。何と言ったかな?

EI:『エクスプロレイションズ(探求)』だね。

菊地:それそれ!彼らが独自のピアノ・トリオのスタイルを確立したアルバムだ。

♪ キースの言葉で指が速いだけがテクニックじゃあないことを再認識した

EI:キース・ジャレットはどうだい?

菊地:キースは大したピアノ・プレイヤーだよ!俺は彼のようには弾けない...。弾けたらいいなとは思うけど。彼は素晴らしいピアノ・プレイヤーだよ。カーネギー・ホールのコンサートをしっかり聴いたよ。最後に聴いたのは2年前位だったかな。何かファンのための私的なショウのような感じだった。そこで彼のECMの最初のアルバムを聴いてみる気になった。『フェイシング・ユー』さ。素晴らしいアルバムだね!信じられないね。コネチカット辺りの夜の野外ジャズ・フェスで彼のビデオを見たんだ。君も見たことあるかい?ピアノの部屋がスピーカーで囲まれててね。とんでもないピアノ弾いてた。ああいうスタイルには落ち込めないという意味で勇気をもらったよ。気の赴くままに弾いてるんだけど、スタイルも何もあったもんじゃない。俺はああいう風には弾けないね。

ある時、ヴィジョネーズでゲイリーとポールで演奏してたらキースが入って来たんだ。キースの作品も含めた小型のオケの演奏会がBAMであったんだ。キースが家に帰る途中で立ち寄るらしいってゲイリーから聞かされて、正直ちょっとびびったね。演奏中に入って来たんだ。彼を見かけたんで、挨拶に出掛けたんだ。キースは俺に、「よお、弾けるじゃないか、気に入ったよ!」っていうんだ。単なる社交辞令だと思ってゲイリーに言ったら、ゲイリーは、「キースはそんな人間じゃない。本心からそう思ったんだよ」って言うんだ。ゲイリーは俺に「キースの言葉は胸にしまっておいた方がいい」って言うんだ。ゲイリーは俺に自信を付けさせようとしたんだ。そんなことがあったんだ。ピアノが弾けるな、なんて言われたことはなかったからね。キースは俺のピアノの弾き方が分かったんだ。大体、分かってもらえないんだけどね。後になって俺は俺自身のスタイルとアプローチを持っていることに気付いたんだ。自分で言うのもなんだが、それが自分が言いたいことを表現できる完璧なやり方なんだ。指が早いだけがテクニックじゃないんだ。馬鹿な話だけどそのことを忘れてた。それから突然、俺の指が早くなり出した。おかしなことだろ?リーチを広く取るようにしたんだと思う。

♪ 指を怪我してクロス・ハンド奏法を開発した

EI:手を怪我したんだって?

菊地:そうなんだよ。

EI:腱鞘炎になったことは?

菊地:あるよ。だから十度も弾けないんだ。だから、自分独自の方法を見つけようと。かれこれ3、4年前のことかな。ある時、突然、両手をクロスさせて弾いているのに気付いたんだ。そんな練習はしてなかったので、驚いたね。テープに残してそのテクニックを発展させていったんだ。今じゃとても自然にできるようになったけど。面白いよ!

EI:よさそうだね!

菊地:感じたことは何でも演奏できるんだ。驚くほどだよ。ついてるよね(笑)他人はどう思うか知らないけど、俺は出来たんだ。他人が何と言おうと気にはしないよ。

EI:即興演奏をしているときは考えながら演奏していると思うかい?それとも考えないようにしてる? 演奏している内容を意識して記憶してるかい?

菊地:そんなこと考えてる暇もないよ。音を聴き出したら、耳と心と指の関係に集中するだけさ。その後は判断しなければ、と感じてる。だから、そういうことを準備している時間はないね。分かるだろう?

♪ 歌ってるんじゃなく、息継ぎをしているんだ

EI:分かるよ。演奏中歌っていることで知られてるよね。なぜ歌うんだい?

菊地:多分、息の継ぎ方を知らないんだろうね。演奏してひとフレーズ終わると息が止まっちゃうんだ。そうなるとヴォカリーズするような感じになるんだろうね。つまり、息継ぎをしているんだろうと思うよ。

EI:違うやり方でピアノの音を聴こうとしているようにも思えるんだ。

菊地:何だって?

EI:いや、よく分からないんだけどね。演奏していることを同時に歌っているわけだから、フレーズを別のやり方で追っかけているようにも思えるという意味なんだ。

菊地:だけど、演奏しているフレーズをヴォカリーズする必要はないだろう?

EI:そうだね。だけど、バド・パウエルもやってたし、キース・ジャレットもやってる。

菊地:知ってるよ。だけどキースのは声が大きいよね。

EI:君と同じ位じゃないかい。分からないけど。

菊地:そうだね。俺の場合は息継ぎの問題だと思う。キースと俺のはフレージングがちょっと違うと思うけど。キースの場合のフレージングの作り方は自然だと思う。俺の場合は異常かも知れない。モンクも何かやってたっけ?

EI:モンクのは大人しかったけど、パウエルのは派手だった。ポール・ブレイも歌ってるよね。

菊地:そうかい?だけど、あれを抑えるのは難しいんだ。ノイズとして大きいとなるとピアニストとしては問題になるなあ。

EI:ソロの時はそれほどでもないと思うんだけど。

菊地:うん、でも<softly moaning(わずかに唸ってる>。<Softly Moaning>か。いいね!曲のタイトルになるよ、<Softly Moaning>。

EI:できる限り自然なアイディアに反して作用する何かを見つけるためにできる限り自然な内容を演奏していると言ってるのかな? つまり、君は抽象的なフレージングを弾きたいということなんだ。

菊地:筋肉に関することだと思うからよく分からないよ。俺の筋肉も疲れて来たからね。耳に聞こえるアイディアは筋肉の運動のようなものでもあるからね。

♪ モチアンも菊地もつねにカウンターポイントを探してる

EI:ポール・モチアンは譜割通りには叩かなかったよね。とくにここ40年位は? 君がきちんとスタッカートを指示した譜面を渡したって、彼はその通りには叩こうとはしなかったよね。彼は譜割通りには叩こうとはしなかった。いつもカウンターポイント(対位)なんだ。君も同じだと思うね。

菊地:そう。だけどふたりで合わせたいときは合わせるんだよね。それは凄かった。

EI:どういう意味。

菊地:つまり、俺がピアノでアクセントを付けると、彼も同時に合わせるんだよ。

EI:君と彼は同じことを演奏してるように感じてたってことかい?

菊地:俺と合わせて欲しいと思った時は合わしてくれてた。どうして出来てたのかは分からないんだけどね。いわゆる一緒にキメてくれるんだよ。だから心配したことはないんだ。いつも合わせてくれてから!外すときもいつも一緒だった。

EI:君がポールの曲を演奏する時のことなんだけど、譜面はこう行ってたとしても(短いメロディをスキャットする)、君はそのメロディ以外のことを弾いてるんだ。まったく曲とは関係ないことを弾いてるんだよ。何れにしても小生は、君がポールの譜面に書いてある通りに弾いているのを聴いたことがないんだよ。

菊地:そうかなあ? そうだとしても、彼がそうやらしてくれたんだよな。

EI:小生が言いたいのは、ポールが他人の譜面を演奏する時も君と同じようにドラムを叩いていたってことだ。いつもカウンターポイントを探してた。

菊地:俺が思うに、ポールの音楽には強力なポイントが2ヶ所はあった。それが俺にインスピレーションを与えてくれるんだ。俺がそれに正しく反応すると、彼はそれを受け止めてくれようとした。彼と演奏する時はいつもそうだった。ずいぶん長いこと一緒にやったからね。それぞれの持ち分で積み上げていったんだ。ある種のグルーブを積み上げていったんだと思うよ。

EI:同じ言葉でしゃべれるようになったんだね。

菊地:そう、そう、その通り。音楽の言葉ね。時にゲイリーが入って来ることがあったよね。ゲイリーが一緒の時は、また違うフィーリングになるんだ。それが音楽に別のエネルギーを与えるから、音楽にとっては凄く良いことなんだ。
そうやってそれを受け入れてった。その事実故にね。多分、俺はポールが期待してたようには演奏してなかったと思う。だけど俺は変えようと思えば変えることもできたんだけどね。彼のフレーズは基本的に長いんだ。そこにどうやってアクセントを付けられると思う? アクセントのポイントが見つかればこちらは長いフレーズは弾く必要はないんだ。短くて良いということになる。バランスを考えるもうひとつの方法ということだ。彼が思っていたこと、彼が耳にしたこと、俺の耳に聴こえること、それを合わせると、こうなるんだ。君が演奏するパートに君が責任を持つ限り、そこに問題が発生するはずがないということ。それがふたりのミュージシャンの間の信頼というものなんだ。自分の役割に自信が持てなければ、一緒に演奏すべきじゃないんだ。それが両者の間の信頼というものなんだ。もし彼がそれを気に入らなければ、そこで演奏を止めて、考えたり、違う展開を考える機会を与えてくれると思う。そして、それを受け入れられると感じたら、また演奏を始めるんだ。それが音楽なんだよ、作曲と言ってもいい。記譜された編曲や記譜されたパートを演奏してるんじゃないんだ。だからいつもやり取りすればいいんだと思う。ゲイリーやポールと一緒に演奏して学んだことで、それまではそんなことは考えたこともなかった。彼らの後塵を拝してると思うのは嫌だったけどね。彼と同じレヴェルに立たねばならないと思ってた。最初は良い生徒だったんだ。覚えは早かったしね。今も頑張ってるよ。
だけど、ポールは逝っちゃったんだよな。あ~あ。

♪ 「企画もの」シリーズは売れて欲しかったこともある

EI:君が録音した「企画もの」はどうなんだい。トスカとか、ジミヘンとか、その類いのCDだけど。(注:モチアン、菊地、ピーコックのトリオ”テザード・ムーン”による一連あのアルバムを指す)

菊地:売れて欲しかったこともある。だけど、やりたければ、俺たちなりのやり方で演奏することはできる。とくに、トスカの場合はね。たしかバラード集だったよな。コードを追って、ソロを取って。そういうやり方をした。それだけだ。

EI:ジミヘンのCDはもう手に入らないんだ。

菊地:あれは良いよ。もう少しモダンな行き方をやってれば、もっと売れたと思うけど。だけど、ジミヘンは基本はブルース・プレイヤーだからな。ブルースを感じられればね、だけどそうはならなかったと思う。あのセッションは良くなかった。ジミの歌を弾きたかったんだけど、どうしてああなってしまったのか分からないんだ。そうだ、マイルスに刺激されてジミを聴き出したんだ。だけど世界が違ってた。

EI:その通りだ。世界が違う。そういうことだね。ポール・モチアンとのレコードでお気に入りは?小生は『パラドックス・オブ・コンティニュイティ』(註:オン・ブロードウェイ Vol.4)が好きだけど。

菊地:メンバーは誰だっけ?

EI:ラリー・グレナディア、クリス・ポッター、それにレベッカ・マーチン。

菊地:クリス・ポッターは良かったな。テナーの。あの早い曲は何だったかな。彼がゴキゲンだった。

EI:あのレコードのクリスはとくに良かった。

菊地:彼は良かったよ。

♪ トーマス・モーガンはとんでもなく良いよ

EI:トーマス・モーガンbについても聞きたいね。

菊地:彼はとんでもなく良いよ。

EI:いい耳してるんだよね。

菊地:耳だけじゃない、度胸もいいし、全部いいんだ。

EI:モーガンやトッド・ニューフェルドとは随分やってるんだよね

菊地:随分やった。連中は分かってる。トッドはちょっと後から来た。最初のアルバムは、マイケル・アティアス、トーマスと俺。それから、トッドとやり出したんだと思う。彼も伸びが早かったよ。すぐにいいギター弾きになるよ。いい若手がたくさんいるよ。飲み込みも早いしね。俺がしょっちゅうやり方を変えるのも分かってる。俺のやりたいように合わせられるようになってきた。彼らを選んで良かったよ。俺がいつも通りプレイできるようにならんとね。このトリオだけのために演奏してるんじゃないんだ。聴き手もいるからね。そのことも考えて。だけど捕われちゃだめだ。そうなったら、変えなくちゃならんからね。ここ2週間かけて歌を入れたり入れなかったりして客の前で新しい経験をする準備をせにゃならんかった。新しい経験さ。気に入ったよ。一度はキャンセルしたんだけどね。だけど、やるべきだと思ってる。

EI:絶対やるべきだよ。

菊地:そうだと思う。だけど、違うやり方も見つかると思う。俺自身のやり方を進めるいいチャンスだよ。

EI:もう一度日本でやるのもいいんじゃないの。

菊地:どこでやろうと関係ないさ。客がいればね。


イーサン・アイヴァーソン
1973年2月11日ウィスコンシン州メノモニーの生まれ。NYU卒。ピアニスト、コンポーザー、文筆家。ジャズ・トリオ「The Bad Plus」のピアニストとして知られる。マーク・モリス・ダンス・グループの音楽監督を務めた。ピアノの教師として、フレッド・ハーシュ、ソフィア・ロソフを挙げている。現在は、菊地雅章に私淑している。最近、ECMからリリースされたポール・モチアンの6枚組ボックスセットに長文の解説を寄稿し、話題となった。2012年3月にJazz Tokyoのメール・インタヴュー(#102)に応えている。
http://www.jazztokyo.com/interview/interview102.html
関連リンク:
http://www.jazztokyo.com/five/five733.html
http://www.jazztokyo.com/five/five702.html


初出:JazzTokyo #186 (2013.5.31)

稲岡邦彌

稲岡邦彌

稲岡邦弥 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。音楽プロデューサー。著書に『改訂増補版 ECMの真実』編著に『ECM catalog』(以上、河出書房新社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。Jazz Tokyo編集長。 https://www.facebook.com/kenny.inaoka?fref=ts

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