Interview #236 Live after Live 小野健彦

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Interviewed by Kenny Inaoka via Messenger, January 23, 2022

 

♫ 2年強で200回を達成

Part 1:
JazzTokyo:連載レポート Live after Live (LAL)の200回達成おめでとうございます

小野健彦:ありがとうございます。

JT:1回目はいつになりますか?

小野:2019年9月1日掲載ですが、ライヴは、7月26日の神田鍛冶町 JazzSpot Stepでの稲葉国光トリオでした。

JT:松本在住の大久保哲郎画伯にアイキャッチャー用のイラストを依頼して。

小野:そうでしたね。大久保さんのイラストに義母が感応してのちにMOLAのキルトで仕上げてくれたこともありましたね。


JT:200回目が、先月#285掲載の日暮里 bar Portoでのヴォーカル+ギターのさがゆきさんとハモニカの八木のぶおさんのデュオでしたね。デュオでさらっと流すあたりが小野さんらしい。

小野:#195以降がかなり濃いめでしたからね。

JT:たしかに、小林洋子、原田依幸、山崎比呂志 、井野信義 、 纐纈雅代 のTRY-ANGLE、山口真文、高橋知己 と小野さんのフェイヴァリットが並んでいますね。
ところで、小野さんがLALに出かける場合の起点になるのはどこですか?

小野:JRの辻堂駅と小田急線の本鵠沼駅です。

JT:東海道線ですね。レギュラーでいちばん遠いクラブはどこでしょうか?

小野:特別な場合の越生(埼玉)の山猫軒などは除くと、本八幡のクールジョジョ、稲毛のキャンディあたりでしょうか。一都二県にまたがっていますから。

JT:近いクラブというと

小野:茅ヶ崎のストーリービル、町田のニカズでしょうね。

JT:よく足が向くクラブは?

小野:合羽橋のなってるハウスと町田のニカズが多いでしょうか。

JT:ミュージシャンではどうでしょうか?

小野:ドラムの山崎比呂志さん、ピアノの原田依幸さん、同じくピアノの小林洋子さんあたりですね。山崎さんは200回のうち19回通ってました。

JT:ほぼ1割ですね。どうしてそれほど山崎さんを?

小野:生き方、ミュージシャンシップ。かっこいい年の取り方をされていますよね。ルックスも素晴らしいし。

JT:スケジュールはどのように立てていますか?

小野:勤務日の前日は避けていますから金曜日と土曜日です。向こう1、2ヶ月のクラブやホールのスケジュールを眺めて1ヶ月単位で決めていきます。ジャンルにはこだわりません。

JT:ジャズ以外にクラシックや純邦楽なども登場していますね。ところで、小野さんは左半身が不自由ですが、例えば横浜のエアジンなどの急な階段などは難儀でしょうね。

小野:たしかにエアジンはオーナーやなじみの常連さんに介助してもらっていますが、それ以外は問題ありません。西荻のアケタの店は改築されましたし。

JT:写真はどのように?

小野:特別な場合を除いて、自分で片手で撮っています。

JT:入力はスマホですか?

小野:右手1本ですからかなり大変ですが、表現者が集中力を高めて一気に発信しているわけですから、自分も頑張ってその日のうちにFacebookにアップするように心がけています。写真もデータがスマホに入っていますから、スマホで入力するのがいちばん便利ですね。

JT:小野さんの文体は非常に個性的ですが、中でも「ハコ」「表現者、演者」「聞き人」という単語がユニークです。

小野:気取っているわけではないのですが、自分の文体にはクラブ、ミュージシャン、リスナーよりも収まりがいいんですね。

JT:もうひとつは、毎度と言ってもいいほど「ハコ」に入る前に「河岸」に立ち寄って喉を潤すシーンが登場します。

小野:その通りです。僕にとっては呑むことと聴くことがセットで「ライヴ通い」なんですね。素面でシリアスに聴くタイプではありません。

LtoR:山崎比呂志・峰厚介ひとり置いて小野健彦@合羽橋なってるハウス 2019.12
♫ ジャカルタで脳梗塞で倒れるも不屈の闘志で再起

Part 2:
JazzTokyo:お生まれは?

小野健彦:1969年、東京都下です。すぐ、川崎の百合ヶ丘に転居し、育ちは百合ヶ丘ですね。

JT:音楽体験はいかがですか?

小野:小学生の頃はピアノを、中学生ではアルトサックスを演奏し、高校時代はブラバンでクラリネットを吹いていました。

JT:大学は青学でしたね。音楽サークルでしたか?

小野:大学時代はテニスに夢中でした。

JT:ジャズとの馴れ初めは?

小野:1978年ですか、渡辺貞夫の『カリフォルニア・シャワー』に触れて、かっこいいなあと。

JT:生との触れ合いはいつ頃ですか?

チャールス・ロイドと@Blue Note東京 2017.1

小野:4歳の時に両親に連れられて武道館のサンタナを聴いたのが最初でした。1980年に近所の知り合いにオーレックス・ジャズ・フェスに連れて行かれてベニー・グッドマンを聴き、アート・ペッパーをホールで聴き、日本人では辛島文雄や渡辺香津美のナマをピットインで聴いたのが日本人としては印象に残っていますね。それからは、田園コロシアムやEASTのライヴ・アンダー・ザ・スカイを聴きに行ったりしました。

JT:社会人以降はどうですか?

小野:パナソニックに入社したのですが、2004年に大阪に転勤になってジャズとは遠くなり、2012年5月にジャカルタに赴任してからはますます縁遠くなりましたね。日本人も出演していたジャワ・ジャズ・フェスなどは聴いてましたが。

JT:倒れたのはジャカルタと聞いていますが、何か予兆はあったのですか?

小野:ジャズ・フェスの露天で現地料理を食べたのですが、翌日ひどい下痢が続いて脱水状態なったのですね。血液がドロドロになって、足のつま先にできた血栓が心臓を通って脳にかけ上がり脳血栓を起こしたんです。

JT:脳の血管が詰まった。

小野:そうです。当時の現地の手術では確信が持てないということで大阪に搬送されることになった。緊急処置をした後で本格的な治療のために新幹線の特別個室で東京の病院に搬送されました。

JT:時間との勝負ですからね。

小野:会社が小型の飛行機をチャーターしてくれました。二千万以上かかったそうです。それなりの地位にはいたのですが、それにしても松下は社員を大事にする会社だと、感謝しています。

JT:現在も松下政経塾にお勤めで。

小野:そうです。お陰さまで、言語中枢と右手は無事だったようで。

JT:左半身に障害があるということですね。

小野:医学的には「左上下肢麻痺」と表現するそうです。

JT:ライヴ通いはリハビリの一環でもあるわけですね。

小野:そうです。全部自分でやりますから。

JT:いつ頃からですか?

小野:2013年3月に倒れて、2015年10月からです。

JT:Facebookにレポートするようになったのは?

小野:2018年7月からです。

JT:これだけ聴き込んでいると自分でバンドを組ませてみたくなるのでは?

小野:僭越ですが、親しくなった山崎さんと井野信義さんのTRY-Angleにサックスの早坂紗知さんを紹介し、喜んでもらえました。自分でもすごく楽しめたので、今年のJazzTokyoのMyPickに選ばせてもらいました。

JT:最後に夢を語っていただくのですが、小野さんの場合は夢のCD企画はどうですか?

小野:山崎さんが、久しぶりに中牟礼貞則さん(g)、稲葉国光さん(b)さんのトリオでぜひオーソドックスを演ってみたいとのことですのでこのトリオでいきたいですね。

JT:銀巴里時代を思い出して。

小野:来年が銀巴里60周年なので、日野皓正(tp)さんにも参加していただいて。

JT:銀巴里ではこのカルテットで 〈If I Were A Bell〉を演ってますね。

小野:さらには、山下洋輔さん(p)にも参加していただいて銀巴里セッションの再演ですね。

JT:LALオールスターズですか。これはいいですね。夢で終わらせずにぜひ実現しましょう。まさに、 Dreams Come Trueです!

 

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。音楽プロデューサー。著書に『増補改訂版 ECMの真実』(河出書房新社)編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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