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Jazz à la Mode 竹村洋子No. 233

ジャズ・ア・ラ・モード #1. チャーリー・パーカーのストライプスーツ

1. チャーリー・パーカーのストライプスーツ

Charlie Parker  and stripe suits : text by Yoko Takemura

photos:Used by permission of the University of Missouri-Kansas City Libraries, Dr. Kenneth J. LaBudde Department of Special Collections,  Courtesy of Norman Sax

はじめに・・・

カンザスシティの友人、ファニー・ダンフィーとのやり取りの中、彼女の長きにわたるパートナーのアーマド・アラディーンが如何にステージ・コスチュームにこだわっていたか、という話になった。
アラディーンは、カンザスシティ・ジャズの第2世代で、ステージでミュージシャンがどういったファッションでいるべきかという事をジェイ・マクシャンを始めとする第一世代のミュージシャンから学んだ、とファニーは言っていた。
そしてアラディーンはサラ・ヴォーンとアニタ・オディに夢中だった、という話になった。アニタ・オディ、というと、『真夏の夜のジャズ』で白い羽根がついたつば広の帽子に、ブラックドレスの姿が浮かぶ。あのスタイルは、現在も彼女のイメージとして定着している。同映画の中のダイナ・ワシントンのサック・ドレスも画期的だった。多くのミュージシャンが、定着したファッション・イメージを持っている。

ファッションと音楽は1920年代のフラッパーとチャールストンの関係から始まり30年代、40年代〜おそらく80年代くらいまで密接に関係があった。残念ながら、現在はヒップ・ホップとエスニック音楽くらいになってしまったが。自己主張のはっきりしたジャズ・ミュージシャン達は極めてシンプルなスタイルを好み、そのミニマリズムが彼らの音楽同様、自己表現と言えるかもしれない。音楽もファッションもその人の自己表現であり、時代の反映なのだ。

ミュージシャンは頭脳労働者であるとともに肉体労働者である。ステージでパフォーマンスをすれば汗だくになり、楽器の種類によっては動きも制限される。衣装選びは普通の人達のそれより制約があり、少し違うだろう。

ジャズ・ミュージシャンとファッションについては、ビル・クロウが『ジャズ・アネクドーツ』(Bill Crow: Jazz Anecdotes -1990日本版ー村上春樹訳)の中で『お洒落なジャズ・ミュージシャン (The Well-dressed Musicians)』として、初期のジャズミュージシャン達が如何に衣装代にお金を使ったかなど、 書いている。また、メンズ・ファッションの分野では『ジャズミュージシャンのダンディズム』を切り口にした物も見かけるが、女性ミュージシャンたちのファッションについて書かれたものについては、私はほとんど見かけたことがない。

こんなことを考えながら、『ジャズミュージシャンとファッション』という切り口で、男性、女性に関わらず、また私自身が会ったことのない人もある人も含めてミュージシャン達を見直してみると、ミュージシャンの違う側面も見えてきて、意外に面白そうな気がする。


1. チャーリー・パーカーのストライプスーツ

チャーリー・パーカー(Charlie Parker Jr, 1920年8月29日 〜1955年3月12日:以下バード)の、生前の姿の写真はミュージシャン生活が短かったにもかかわらず、意外に多く残っている。
バードは無地のシングル・ブレストのスーツを好んで着ていたようだ。バードがミュージシャンとして活躍していた1930~50年代はファッションも目紛しく変わった時代だ。

40年代のメンズスーツの基本形は、広い肩幅でたっぷりとしたシルエットで襟のラペルが広いジャケット。トラウザー(パンツのこと)もたっぷり目で幅広。これを総称し、『ズート・スーツ(zoot suit)』と呼ばれている。があまり凝ったデザインのものではない。当時、ジャズミュージシャンやアフリカンアメリカン、ラテン系のジャズファン達の間で流行した。バードもズート・スーター(ズート・スーツを着る人)の一人だった。

私の中で、一番強い印象のあるバードのファッションは、彼が40年代後半から50年代にわたりよく着ていたストライプのスーツだ。シルエットはたっぷりしている。
ストライプの種類にはピンストライプ、ペンシルストライプ、チョークストライプなどがある。ストライプは線が細いほど上品に、間隔が広いほど強い印象に、地の色は濃い方がドレッシーでエレガントな印象になる。

バードが好んで着ており良く似合っていた、と思うのはペンシルストライプの間隔が少し幅広で地の色が濃い物だ。もちろんダブルブレストの4つボタン6つボタンで襟は幅広のピークドラペル( 襟先が尖ってシャープなもの)。トラウザーはゆったりめ、幅広のシルエットで裾はシングル。バードの写真の中にシャツに皮のサスペンダーをしている写真をよく見かけるが、サスペンダーを着用していたに違いない。パンツの幅は、少し裾にかけて絞ってあり、裾はシングル。
このスタイルのスーツ姿は1947年から1950年頃、バードの演奏が最も脂の乗った頃に多く見られる。だから写真も多く残っているのだろう。サックスを持っている写真も多い。
1948年のThree Deucesでの演奏の時や、1949年に撮られた物、1950年の『One Night at Birdland』のアルバムカバー、3人目の妻ドリスと一緒に撮った写真もあるが、最後の妻チャン・パーカーと出会い、一緒に幸せな家庭生活を送っていた頃だ。

ストライプとドット(別の機会に紹介)は柄物の中ではシンプルなもので、景気が悪くなると流行する、と現在でも言われている。難しい柄物の生地は作るのはコストがかかるのだ。ストライプもアメリカ大恐慌(1929年)の後流行して、定着したパターンだろう。
ストライプスーツは30~40年代の流行りだった。バードだけでなく、マフィアのボス、アル・カポネやカンザスシティの民主党のボス、トム・ペンダーガストからミュージシャンではコールマン・ホーキンス、レスター・ヤング、ジョニー・ホッジスやオスカー・ピーターソンなど多くの人達が着用していた。特に恰幅の良い大柄な人が良く似合う。(余談だが、実はヒップなマイルス・デイヴィスも1960年代にストライプスーツを着ている。60年代なのでシルエットは当然変化し、たっぷりしておらずやや体にフィットし、ジャケット丈もやや短い2つボタン。マイルスファンには申し訳ないが、笑ってしまうほど似合っていない。)

以前、バードの義娘のキムにインタビューした時に、彼女はこんなことを言っていた。「彼はニューヨークからニュージャージー州のトレントンによく行っていました。私達は時々、車で彼を迎えに行きました。彼はよく新聞を脇の下にはさんで現れました。おかしいでしょ?!彼はスーツを着て、新聞を小脇にはさんで電車から降りるような、『普通のビジネスマン』を演じて遊んでいたんですよ。皆、彼がミュージシャンでチャーリー・パーカーだと知ってるのにね。」と。
普通のビジネスマンの格好をおちゃらかす、ヒップなバードがストライプのズート・スーツを着ないはずがない。が、他の人達とは大きな違いがある。

ストライプのスーツ自体、柄物であり非常に主張の強いアイテムである。特に決まりがある訳ではないが、主張の強いスーツには無地か細かいドットなど控えめなネクタイをコーディネートするのが上品で常識的なスタイルとされている。が、バードの締めているネクタイはほとんどが柄物。しかも40年代のモダンアート調の派手な幾何学柄デザインで、ネクタイ自体にも主張があるものが多い。柄物に柄物をコーディネートするというのは難しく、着る人の個性さえも失い、ただ下品にさえなる。ちなみにこのスタイルがキマっているのは、バードと、お洒落で有名なデューク・エリントンくらいだろう。

さすがチャーリー・パーカー!彼は自分のキャラクターをしっかり主張してキマっている。やっぱりユニークで普通じゃなかったのだ!

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に2016年から不定期に寄稿。

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