ムーハル・リチャード・エイブラムスの訃報に接し
RIP Muhal Richard Abrams
text by Yoshiaki Onnyk Kinno 金野Onnyk吉晃
正直言って彼の作品を多く聴いて来た訳でもないし、深く理解しているとも言えない。しかし40年以上AACM関連の諸作品に接してきた一人として、彼の存在感は忘れる事が無い。
三十枚に及ぶリーダー作、また三十枚に及ぶ参加作品のなかで、しっかり聴いたと言いうるのは数枚に過ぎない。おそらく20代になるかならぬうちに演奏家、作曲家としてのキャリアを開始した彼の60数年に及ぶ活動を私の如きが一望しようというのもおこがましい。
彼の演奏を初めて聴いたのが1972年で、私は16歳になっていた。それはアンソニー・ブラクストンの『Three Compositions of New Jazz』(1968)であった。それが録音された頃には、彼は37、8歳になっており、ほぼ自己を確立していたといってもいいだろう。
16歳の私には、そのレコードが全くといっていい程理解できなかった。当時、ブラクストンの無伴奏アルト・ソロ二枚組の『For Alto』を毎晩のように聴いていたにもかかわらずだ。そこで演奏されている、彼らAACMの「作曲」とアンサンブルの新しいあり方について理解が及ばなかった。ただ、単にひたすら吹き捲くるブラクストンはそこにはなく、ヒステリックにさえ聞こえるリロイ・ジェンキンスのバイオリンや、冷徹な印象のレオ・スミスのトランペット、そして謎のコーラスや、無数のパーカッションの散らばり具合、それらを「アンサンブル=総体」として受け止める力が無かった。
その中で唯一「聞こえてきた」のがエイブラムスのピアノだったという記憶が蘇る。それはピアノという平均律楽器が、異様なアンサンブルの中で安心して拠り所となる印象があったからなのかもしれない。今、聴いてもエイブラムスの熱気溢れるプレイは他のメンバーと一線を画しているかのようにも聞こえる。
これだけで推測するのは勿論無茶な話ではあるが、AACMの代表として活動を考えていた彼の演奏は、いかなる前衛的、実験的作品にも、何か熱い生気を吹き込みたいという意志があったように思うのだ。
後に、私は、エイブラムスがブラックセイントに残した多数のアルバムのうち、二枚を手にした。『Sightsong』(1976)と『Duet』(1981)である。この二枚は私に強い衝撃を与え、今もよく人に紹介している。前者はアート・アンサンブル・オブ・シカゴのベーシストとして活躍した故マラカイ・フェイバースとの、そして後者はAACMのメンバーだったピアニスト、アミナ・クローディーヌ・マイヤーズとのデュオである。この二枚を聴いて感じるのはエイブラムスという音楽家の幅広さと人間性である。
エイブラムスのピアノは決して硬質ではなく、無機的でもない。全く其の逆で、どんなに激しい演奏においても、共演者のサウンドを生かす事ができる。そして常にタッチはしっかりと、リズムは音楽の流れとともに変化して行く。ラグタイム風から印象派風から土俗的なまでのスタイルの混在。それはいわばAEC言う所の「グレート・ブラック・ミュージック」の特徴、あるいはポストモダニズムとさえ言えるかもしれない。しかし根底には、彼の包容力と構成力、そして強靭な精神によって律せられている。そのようなデュオなのだ。
恥を忍んで告白しよう。私は彼のオーケストラ曲を聴いた事が無い。というより私はほんの数年前まで、大編成の音楽を割に避けてきたのだ。私は一つの音に耽溺したい人間だ。また即興演奏にのめり込みたい人間だ。しかし、ようやく大きなアンサンブルの中にこそある、作曲家の精神の、そして聴覚的映像の構想における驚くべき反映を見る喜びを知ったように思う。それを知れば、バッハも、ベートーベンも、バルトークも、シェーンベルクも、ブーレーズも、クセナキスのオーケストラ作品も、俯瞰的視点で「楽しめる」のである。
そして私は、ようやくこれからムーハル・リチャード・エイブラムスの残した精神のパースペクティヴを楽しむことができるだろう。合掌。