#08 MLTトリオ
Text and photos by Akira Saito 齊藤聡
2017年7月に、ミシェル・ドネダ、レ・クアン・ニン、齋藤徹という3人による「MLTトリオ」の日本ツアーが行われた。齋藤徹はツアー直前に急遽入院となったのだが、プレイヤーもリスナーも「不在の在」を口にした。初日の演奏直前には、手術の成功という吉報がもたらされた。
わたしは、幸運にも、以下の3回のパフォーマンスを観ることができた。
2017年7月9日(日) 千葉県松戸市・旧齋藤邸
Michel Doneda (ss)
Le Quan Ninh (perc)
Kazuo Imai 今井和雄 (g)
ツアー初日。ドネダ、ニン、今井和雄によるトリオ演奏が、千葉県松戸市の旧家でなされた。
久しぶりに日本において展開される、ドネダのソプラノサックスによる息遣い、風、音色の変化。一方のニンは、タイコの上で松ぼっくりを転がしたり、棒や指で擦ったり、シンバルに口を近づけて擦音を発したり。叩くという行動は驚くほど少ない。今井和雄は鎖も使ったのだが、薄墨のなかに光が差し込む空間において、激しい轟音ではない形で、ふたりの演奏と拮抗した。
セカンドセットは、かれらの話し合いにより、なんと、裏の竹林で行われた。皆が葉っぱを踏み、枝が折れる音がする。蝶が飛び、虫や鳥の声も時折聴こえる。驚いたことに、ドネダもニンも楽器を持ってあちらこちらへと気の赴くままに歩いてゆき、立ち止まり、音を出す。今井和雄の弦が空間を震わせ、その音が竹や草に吸収されてゆく。さまざまに様態を変えるドネダは、まるで、虫や鳥に変身しているようにみえる。ニンは葉っぱをすくい取り、タイコの上でかき混ぜ、息で吹き飛ばす。素晴らしいものは素晴らしいというトートロジーしか言うことができない演奏だった。
パフォーマンスとはもとより非効率的な活動である。音響に焦点を当てたとしても、あるいは逆に環境や観客と相互に干渉しあったとしても、その差はさほど本質的なものではあるまい。
終わってから庭で雑談している間も、ドネダは草を見つけてきて笛を吹いたり、おかしな声を出して遊んだりしていた。やはり、自然の人なのだった。
2017年7月23日(日) 東京都大田区・いずるば
Michel Doneda (ss)
Le Quan Ninh (perc)
Natsumi Sasou 佐草夏美 (舞い)
「出ずる場」を意味して命名された場において、2017年3月より、齋藤徹を中心とした即興のワークショップが開かれている。この日、ゲストというかたちで、ドネダとニンとが参加した。
前日の演奏(埼玉県深谷市・ホール・エッグファーム)による疲労のためこの日は演奏に参加できない齋藤徹が、ワークショップにおいて、ニンの擦りやドネダの風について「匿名性」と表現し、「人とは違う」ことを評価基準とする音楽とは異なること、それは貨幣社会への批判ともなりえているのだと指摘した。それに呼応し、ニンは自己の「消滅」を、またドネダは「知覚」の創出を口にした。かれらの発言は、雅楽やダンスとの共演や、即興のヒエラルキー否定にまで及んだ。三者の発言はすぐれた即興論の一端であるにちがいないものであり、いずれ、形としてまとめられることが期待される。
ワークショップの後に、ドネダ、ニンと佐草夏美(舞い)とのトリオによるパフォーマンスがなされた。
佐草の滑るような円環と横移動、蹲り。さささと静かに擦れる音。先の雅楽の話も意識下から浮上したのか、明らかにドネダとニンとに別の種類の影響が観察される。ニンの擦りとタッピング、リズム。ドネダのソプラノサックスによる倍音、急旋回。ニンの使う石、ドネダの使う息。ニンの残響、ドネダの循環呼吸。かれら3人のシンクロは振幅を大きくしていった。
最初から最後まで緊張感が支配した。
2017年7月24日(月) 埼玉県上尾市・バーバー富士
Michel Doneda (ss)
Le Quan Ninh (perc)
ツアーの最終日は、ドネダとニンとのデュオ。
いきなりドネダが風になる。程なくしてニンは掌で円環、ドネダは循環呼吸でシンクロするが、それは崩れ止まり、ふたりは破裂音で空気を切り裂く。ニンが珍しくも叩き、ドネダは叩くように吹く。ふたりの接近と逸脱とがうなりを生じさせる。
ニンは松ぼっくりを太鼓の上で転がし、ドネダは微分的な音を発する。ニンの軋み、ドネダの濁りがある。
ドネダはソプラノを大きく旋回させた。そして大きな呼吸のように動と静を組み合わせた。ニンがシンバルと太鼓とを近づけて共鳴させることによって、音が連続的につながってゆき、さらに、シンバルの擦り、サックスの循環が連なる。ニンは小動物に化けたようにリズムを発し、ドネダは激しい微分音や、サックスを取り換えてボールをミュートとして電子音のような音を放つ。ドネダはまた、マウスピースを外してバードコールを装着したり、横笛のように吹いたりもする。まるでラジオの向こうから聞えてくるようなものも、震える魅力的な倍音もある。このときドネダはノイズにより、ニンは残響により、ふたりが共有する意思にそれぞれ近づいていくように思えた。それは大いなる響きへと昇華してゆく。
この演奏は、デュオであることの必然性が明らかなものとして繰り広げられたのだった。
ニンが使う松ぼっくりは、フランスの西岸で拾ってきたものだという。また、ドネダの使うソプラノサックスのひとつは、1927年アメリカ製のC管(現代のソプラノサックスはB♭管)であった。機能とは異なる、代替不可能性の秘密の一端を垣間見たような気がした。
(文中敬称略)