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R.I.P. 松坂妃呂子No. 243

追悼 松坂さんの思い出

text by Kazuhiro Takashi 高 和弘

 

「松坂さんがお亡くなりになったのご存知ですか。松坂さんは、あの山下さんの対談がとても嬉しかったみたい‐-。」と電話がかかってきたのは先日のことだ。

私が、阿佐谷ジャズストリートに携わっている関係で、知人からジャズ批評の松坂さんと山下洋輔さんの対談を企画してほしいとの話が持ち込まれたのは、今から3年近く前のことだった。松坂さんといえば半世紀近く『ジャズ批評』の発行人・編集長として活躍されてきた方で、私のようなものにそんな企画は、大それて出来ようはずはないとお断りしたが、一度ご本人と会ってからにということで、日暮里の『ジャズ批評』の編集室を訪れたのは2016年の春先だった。そこで松坂さんは、ご自身が福島県の川俣町の出身で、そこの絹織物が外国に輸出されていたので幼い頃から欧米の文化に触れていたこと、上京してジャズ喫茶「オレオ」を開店することとなった話、60年代から70年代の熱いジャズの季節の頃のことをあの独特の福島訛りのつぶやくような語りで、一度、山下さんとそのころの思い出話をするのが私の残された夢だと話された。その話しっぷりにいつの間にか「私でできることなら」と約束したのだった。

その対談は、2016年7月13日の夜、座・高円寺2で「山下洋輔トーク&ソロ〜青春・JAZZ・阿佐谷・高円寺」という形で実現した。第1部で「九州から引っ越してきて住んだのが高円寺-」という語りを交えての山下さんの演奏、そして2部でゲストで松坂さんが登場し、山下さんとのトークタイム。1965年に銀座でオレオが開店し、67年に『ジャズ批評』が創刊された頃から70年代にかけてのジャズ界のエピソードを二人は、まるで昨日のことのように楽しく話され会場の聴衆も時を忘れて聞き入っていた。そして最後に山下さんが「サマータイム」と「スイングしなけりゃ意味がない」をメドレーで演奏した。

すでに当時、松坂さんは、ご自身で長く歩行することが難しく、会場でもお嬢さんが横に座って付き添われていたが、松坂さんは、少女のようにチャミーングで楽屋で山下さんと打ち合わせていた時のはにかんでいた姿が今も忘れられない。

松坂さんのご冥福を心からお祈りいたします。(阿佐谷ジャズストリート実行委員)

 

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