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R.I.P. 小杉武久No. 247

小杉武久 様

text by Kazuo Imai 今井和雄

小杉さんご逝去の悲報に接し、心より哀悼の意を表します。
私はこの悲報を聞いて動揺しました。
そして、小杉さんが私にとって大切な存在だったのだと改めて感じています。

私は1971年頃に日比谷野外音楽堂で偶然にも「タージマハル旅行団」を観ることになりました。その頃の私は、 いろいろな音楽にはそれぞれモデルがあって、そのコピーをすることで音楽が作られているように思えて、何か自由ではないと感じていました。しかし、「タージマハル旅行団」の演奏は、竹棒をカラコロと落としたり、小さなクッションをパタパタ叩いたりと、一見では音楽と思えない行為を音楽として演奏していました。それを観て私は、音楽をする時は何をやっても良いのだと確認できたようで嬉しくなりました。その体験はいまでも忘れていません。
その後「20世紀の音楽をたのしむ会」というシリーズのコンサートに「タージマハル旅行団」が出演した会があり、その公演後に小杉さんを知っているという友人のお兄さんの紹介で挨拶をしたのが小杉さんとの初めての出会いでした。

その頃、古本屋で入手した雑誌「遊」第7号に小杉さんのインストラクションの作品集が掲載されていました。この雑誌で小杉さんの作品をまとめて知る事ができました。そこには「キャッチウェーブ」のマニフェストも載っていて、「音楽はだから、たかだか毎秒20〜20000サイクルの範囲で振動する波動しかキャッチすることの出来ない聴覚回路との馴れ合い状態のみに成立するものではない。」という魅力的な文章もありました。「キャッチウェーブ」は小杉さんの重要なコンセプトで、音、光、電波を波長は異なるが同じ「ウェーブ」として捉えます。すると、音楽の対象が音だけではなく、光、電波も含まれる。この視点で考えると音楽の形が広がります。また、電波が音に、光が音に変化することで、見 えないものが聴こえてくる。「謎ときとしての音楽。光速をもつ音と沈黙。音速をもつ光と影。」この電波、光、音のエレクトロニクスによる変換経路がインターメディアになります。この作品は高周波受信機と紐で吊るした高周波発信器をその近くに垂らします。すると、この聴こえない発信器と受信機の電波の干渉による可聴波の発生で音が聴こえます。紐で吊るされた発信器は近くに置かれた扇風機のそよ風に揺られて受信機の音が変化します。さらに、光導電素子を使い、ライティングの変化で音を変化させます。扇風機に演奏をさせるという小杉さんらしい美しい作品です。

1975年新宿のギャラリー「マトグロッソ」で小杉さんの個展がありました。その個展で私は小杉さんに会えたので いろいろな話をしましたが、美学校で教場を開くのであなたも参加しませんかと誘われました。そして、美学校小杉武久音楽教場に参加することにしました。
教場が始まって1ヶ月ぐらい過ぎた頃、「タージマハル旅行団」の演奏に小杉さんが行けないので代わりにあなた演奏してきますかと聞かれ、私はハイと答えて喜んで演奏に加わりました。その後、都内のライブハウスなどで演奏に参加させてもらいました。この演奏は私にとって貴重な経験となっています。しかし、このエキストラでの参加が、メンバーと言われる事もあり、小杉さんはご立腹だったと思います。

この頃は、演奏の後にご飯を食べて小杉さんの所に泊めて頂いた。本当に小杉さんにはお世話になりましたし、迷惑 も掛けたと思います。また、いろいろなライブやレコーディングにも連れていってもらいましたが、それは大変貴重な体験となりました。だから小杉さんにはお世話になりっぱなしで本当に頭があがりません。

この頃は、演奏の後にご飯を食べて小杉さんの所に泊めて頂いた。本当に小杉さんにはお世話になりましたし、迷惑も掛けたと思います。また、ライブや録音などいろいろな所へ連れて行ってもらった事は勉強になりました。だから、小杉さんにはお世話になったままで本当に頭があがりません。

私は一昨日の2018年10月23日に札幌でロジャー・ターナーとデュオの演奏をしてきましたが、前回の北海道は1976年の「タージマハル旅行団」の北海道ツアーでした。あの時は夏の北海道で、海に入って泳ぎましたが、小杉さんもパンツになって入ってきたのには驚きました。また、いろいろな話をしましたが、私がギターの訓練を始めていて、楽器の訓練をしていると求道的になってくると話をすると、直にダメです、音楽を信仰してはいけませんと怒られました。これはその後も思い出す大切な考えです。この様に、いつも小杉さんには怒られていました。お酒を飲んだ時には特にですが。

昔の思い出話になってしまった。小杉さんにはコンセプトについて常に問われていました。今でも私は音楽を考える時、小杉さんのコンセプトを参照します。
小杉さんがアメリカに行かれた後は話をする機会が少なくなりました。これからはもう話してもらえないのかと思うと残念ですし、迷惑ばかり掛けたままのお別れは本当に申し訳ないと思います。そして、いろいろな事を体験させてもらった事に感謝します。
小杉さん、本当にありがとうございました。

今井和雄 2018.10.28


今井和雄
1970年代から活動を始め、1976年イースト・バイオニック・シンフォニアの録音に参加。1991年サウンドインプロヴィゼーションシリーズ「ソロワークス」を開始。1997年より集団即興の為のプロジェクト「マージナルコンソート」を企画。2005年フリージャズグループ「今井和雄トリオ」を結成。その他、国内外で即興を中心に活動している。

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