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R.I.P. 齋藤徹No. 254

「後世に残って欲しい3つの録音」近藤秀秋

text by Hideaki Kondo 近藤秀秋

 

齋藤徹さんの名を最初に知ったのは『ジャズ批評』のディスクレビュー欄でした。とりあげられていたのは90年ALM録音『Tetsu Plays Piazzolla』、私はまだ大学生でした。北里義之さんか福島恵一さんのお書きになった魅力ある文章に心動かされ、いざそのCDを入手してみると、1曲目からカノンが展開されるような、実に通好みで渋い音楽だった記憶があります。まだ対位法も学んでいない頃なので、ろくに分かっていなかったと思うのですが、分からないながらも隠された音楽の秘儀を見せられた気になりました。音楽を聴いたというよりも、はじめてバタイユやシオランの本を読んだ時のようで、自分の知らない知の体系に触れたような感触でした。以降、邦楽器との『ストーンアウト』、無伴奏ソロ『コントラバヘアンド』など、齋藤さんの音楽は折に触れて聴き続けました。

今は戦争前なのでしょうが、その状況は『Tetsu Plays Piazzolla』の録音された90年に起きた湾岸戦争の時点で既に始まっていたように思います。あの頃、同じ過ちを何度でも繰り返すこうした社会や文化への信頼が失せていて、不安定な自分の審美眼だけを頼りに進むしかなくなっていましたが、そんな時に齋藤さんの音楽や振る舞いにどれほど勇気づけられたか知れません。世間一般的な意味ではない「音楽家」という生き方を見た気がしました。もちろん他者の動機など正確に知る由もありませんが、慣習ではなく研ぎ澄ました自己の審美眼をもって判断しないで、どうしてああいう音楽に辿りつけるでしょう。ショーとしてステージに上がるのでも、幸福や悲しみを訴えるでも連帯を叫ぶでもなく、人に実存を強く覚知させる類の音楽だったと思っています。

いつか、JazzTokyo誌の寄稿で「齋藤の演奏に直接触れて欲しい」旨の事を書いた事がありましたが、もうそれは叶わぬ事となりました。今から触れるとしたら録音しかありませんが、私には齋藤さんの残された録音で何度となく聴きかえしたものが3つあります。ジョエル・レアンドルとの『Joëlle et Tetsu』、ミシェル・ドネダとの『春の旅 01』、無伴奏ソロ『TRAVESSIA』の3つで、これらは後に伝えられるべき特別な記録と思っています。この3つには、音楽が普遍的に追っているものが含まれていると感じますし、それは迷走する現代人に光明を与えるのではないでしょうか。敬服する大先輩でした。ご冥福をお祈り致します。

♫ 参考記事
http://www.japanimprov.com/saitoh/saitohj/springroad/

近藤秀秋

近藤秀秋 Hideaki Kondo 作曲、ギター/琵琶演奏。越境的なコンテンポラリー作品を中心に手掛ける。他にプロデューサー/ディレクター、録音エンジニア、執筆活動。アーティストとしては自己名義録音 『アジール』(PSF Records)のほか、リーダープロジェクトExperimental improvisers' association of Japan『avant- garde』などを発表。執筆活動としては、音楽誌などへの原稿提供ほか、書籍『音楽の原理』(アルテスパブリッシング)執筆など。

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