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R.I.P. ヤン・エリック・コングスハウクNo. 260

追悼 Jan Erik Kongshaug 福盛進也

text by Shinya Fukumori 福盛進也
photos:@Rainbow Studio, Oslo April 17, 2015

Jan Erik Kongshaugの訃報を知ったのはあるレコーディングのミキシングの最中だった。
どうしても我慢できず、ミキシング作業を中断しトイレに駆け込み静かに涙した。
それほど僕にとって大きなショックだったのだ。

Jan Erikと初めて会ったのは2015年の4月。
自分のトリオのデモ録音を録るためにオスロのレインボースタジオを訪れた。
結果的にこのデモ録音がManfred Eicherの手元に渡りECMからデビュー・アルバムを出すきっかけになったのだ。

スタジオに着くとJan Erikは笑顔で迎え入れすぐに録音が始まった。
ブースに入りヘッドホンをし演奏を始める、サウンドチェックなどする必要もない。
長年掛けてJan Erikが作り上げたレインボーの音がそこには存在していたのだ。
録音ももちろんスムーズに終わり、その後のミキシングでJan Erikの真骨頂が発揮された。
彼ほどのミキシング技術を持った人を僕は見たことがない。
ストレスが一切なく、こちらが言おうとしたことを先読みし全部やってのけてしまうのだ。
そしてその早さが尋常じゃなかった。
出来上がりはもちろん完璧だったし、僕はレインボースタジオとJan Erik Kongshaug 以上の組み合わせはこの先出てこないだろうと感じた。
この音源は世には出ないかもしれないが、僕の中で一番想い出に残る作品であることは間違いない。

音楽に愛を持ち、ミュージシャンと一緒になり音を作っていく。
僕たちは本当に偉大な人を失ってしまった。

Jan Erik、どうか安らかに眠ってください。
僕たちはこれからもずっとあなたの作った音を聴き続けます。
そしてたくさんの宝物をありがとう。

 


福盛進也 Shinya Fukumori
Drummer, composer, band-leader

1984年、大阪生まれ。ヴァイオリン、ピアノ、ギターを経て15歳の時にドラムに転向。17歳で渡米、 Brookhaven College、the University of Texas を経てボストンの Berklee Collegeで音楽の専門教育を受ける。アメリカで経験した伝統的なジャズに飽き足らず、突如、ECMに目覚める。ECMのオーナー/プロデューサー、マンフレート・アイヒャーの知己を得るためミュンヘンに移住。2018年、アイヒャーのプロデュースにより『For 2 Akis』(ECM2574) でデビュー。

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