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特集『ECM at 50』No. 260

「私」と「K氏」と「ECM」と 

text by Takehiko Ono 小野健彦

 

仮にその人のことを「K氏」と呼ぶことにしよう。
氏のご一家が私の家の向かいに引っ越して来たのは、私が4歳の時だった。
そのご縁が後年、私の生きがいとなるシジャズへの入り口に通じていようとはこの時点では誰も知る由も無い。私が物心ついた頃に、建築家だった父がしてくれた説明では、K氏は、「タイポグラファー」という職業とこのことであった。活字・書体のデザイン、本の装丁・デザイン構成等と言われても小学生の私には正直ピンと来なかった。だからK氏は、あくまで私にとっては「隣のおじさん」であって、両家を隔てているコンクリートの壁越しにお話をするのは、台所に立つ奥様であることがもっぱら多く、ガキの私にはK氏はどこか謎めいた存在であった。
しかし、どういういきさつかははっきりと覚えていないのだが、ある日ひょんなことからそのお宅に招かれることになる。その建物は、70年代を代表する建築家・高須賀晋氏の作品であり、内外共に鉄筋コンクリート打ち放しの合掌造り風のこれまたなんとも独創的なものであった。
その内部に入りまず驚いたのが、居間に鎮座まします大きなスピーカー。その頃の私は当然今ほどの背丈はなかったが、横に並んでも引けを取らないサイズ感。今回の執筆に際し、K氏のご子息に確認すると、それは、JBL4331を改造したものであったようだ。K氏はとにかく寡黙な方であった。それは我が父に比して圧倒的に。K氏と私と二人でスピーカーの前の新居猛氏デザインの「ニーチェア」に座って、徒然に会話しながら、確か私が「今ピアノを習っています」なんて話をしたのがきっかけだったと思う。
K氏曰く、「こんなのあるよ。楽譜も無い即興で演奏するジャズって音楽だけど」と言って、取り出してきて流して下さったのがキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』と、続けて、ダラー・ブランドの『アフリカン・ピアノ』であった。その時、大袈裟ではなく、私の身体に衝撃が走った。文字通り「なんじゃ、こりゃ!」。当時の我が家では、親爺の好きなサンタナ、ドクター・ジョン、ヴァン・モリソンなどが流れ、私自身はピアノのお稽古で黄色いバイエルにかじりついていた頃だけに、その振れ幅は結構大きかった。
それ以降私は、折りに触れてK氏邸に潜り込むことになる。そのコレクションはジャズ喫茶なみの膨大なものであったが、何故か、ECMがターンテーブルにのることが多かった。そこがまた洗練された氏に良く似合っていた。キース・ジャレットの『サンベア・コンサート』のレコードboxが出て来た時は大層たまげたものだし、いつぞやは、スイング・ジャーナル誌の情報をもとに自ら購入したチック・コリアとゲイリー・バートンの『イン・コンサート』を持って行き、それをK氏が多いに気に入ってくれたため、私はひとりで悦に入っていたなんて記憶もある。別に今振り返っても、何か特別な話をしたわけでもなく、私とK氏の間にただECMがあったということで、摩訶不思議な絆の様なものが生まれたと勝手に思っている。
いわゆる外国人のジャズを生で聴いたのもK氏とが最初で、私が11歳の熱い夏だった。それはオーレックス・ジャズ・フェスティバル‘80 で、豆粒のようなブレッカー・ブラザースを、ベニー・カーターを、そうしてベニー・グッドマンを、K氏と並んで横浜スタジアムのスタンドから眺めたのも懐かしい想い出だ。
そんな経緯で私は急速にジャズにのめり込むようになり、以来、外国人から日本人中心へと、その軸足は移ったものの、また、その後不覚にも、6年半前に脳梗塞で倒れてからは、ステッキ1本で、ジャズのハコを巡るのが生きがいとなっている。
まさに、今の私にとっての生きる活力は、あの幼き日のK氏との原体験から生まれている。
そう、K氏こそ我が国を代表するデザイン界の開拓者・清原悦志氏。彼が亡くなってすでに30年が経つが、氏が私に残してくれたものは余りにも大きい。それは、K氏邸のトップライトの向こうに見えた夜空の星のように、これからも光り輝き、私の足元を照らし続けて行ってくれるだろう。それは、なんだかジャズ界におけるECMの存在と似ている。ECMが、例えこの先ジャズ界が混迷したとしても、その歩むべき道を照らしてくれる星であり続けてくれることを切に願いたい。
「私」と「K氏」のかけがえのない触媒としての「ECM」創立50周年に寄せて。

≪筆者注≫
下記写真は、

左:清原悦志氏ポートレートと、清原氏もその同人であった、モダニズム詩人・北園克衛が主宰したグループ VOU (誠文堂新光社ideaアイデア364号:2014.5)
中:清原氏がカバーデザインを手掛けたLP『富樫雅彦トリオ/motion』(日本コロンビア)
右:清原氏がブックデザインを手掛けた清水俊彦『詩集 直立猿人』(書肆季節社)

*3点共に筆者コレクションより

小野 健彦

小野健彦(Takehiko Ono) 1969年生まれ、出生直後から川崎で育つ。1992年、大阪に本社を置く某電器メーカーに就職。2012年、インドネシア・ジャカルタへ海外赴任1年後に現地にて脳梗塞を発症。後遺症による左半身片麻痺状態ながら勤務の合間にジャズ・ライヴ通いを続ける。。

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