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R.I.P. ヨン・クリステンセンNo. 263

RIP ヨン・クリステンセン (1943~2020) by ECM

text by ECM
translated by Kenny Inaoka 稲岡邦彌
photo:©Roberto Masotti / Lelli e Masotti Archivio

Bergamo Jazz, Teatro Donizetti, Bergamo, 1974, Jan Garbarek Quartet Nella foto: Jon Christensen

モダン・ジャズ、ジャズを超えた即興音楽の偉大なドラマーのひとりヨン・クリステンセンが亡くなった。享年76。独学だったクリステンセンは若い頃、オスロのクラブを訪れる多くのアメリカの大物ジャズ・ミュージシャンの相手を勤めることでその腕を磨いたが、その中にはバド・パウエル、ドン・エリス、ベン・ウェブスター、スタン・ゲッツ、ケニー・ドーハム、デクスター・ゴードンらがいた。なかでもデクスターは、「君はハーレム出身でもないが20歳の若者だ。感じる通りに演奏すればいいんだ」と声をかけ、自身の創造性を信じるように励ましたことはよく知られている。1960年代中期にかけてジョージ・ラッセルと定期的に活動しヤン・ガルバレク、テリエ・リプダル、アリルド・アンデルセンとともにノルウエーの若手勢力を結集して新しいジャズの胎動に大きな貢献を果たした。
ECMデビューは1970年の『Afiric Pepperbird アフリック・ペッパーバード』で、以後70作に近いアルバムに関わることになる。クリステンセンのきめ細かなシンバル・ワークとロールし淀みのない創造的で順応性に富んだスタイルは非常に多彩なコンテクストに対応することができた。彼がよく口にしていたのは、波に乗るように演奏すること、音楽に色付けすること、ホーン・プレイヤーのようにフレーズを作ること、だった。ラルフ・タウナーの “Solstice”からチャールス・ロイドのカルテットまで、エンリコ・ラヴァのカルテットからケティル・ビヨルンスタの“The Sea”まで、ボボ・ステンソンのトリオからアヌアル・ブラヒムの“Khomsa”まで、あるいは“Masqualero”グループからディノ・サルッシのデュエットまで、というようにクリステンセンのディスコグラフィーはまさに創造性に富む深い鑑賞に耐えうる不滅の記録である。
偉大なチーム・プレイヤーに徹し、バンドリーダーとしての野心を持たなかったクリステンセンにもECMに1作だけ自身の名前を冠したアルバムがある。自選の :rarumシリーズのアンソロジーである。このアルバムでクリステンセンが選んだ演奏は『ビロンギング』、『マイ・ソング』『パーソナル・マウンテンズ』とキース・ジャレットとの共演に重点が置かれていた。ECMでの最後の作品は、2018年のヤコブ・ブロ、パレ・ミッケルボルグ、トーマス・モーガンとの『Returnings』。

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