ジャズの伝統に根ざしながら、北欧人の感性を駆使して独自のドラミングに至るまでの歴史 by 池長一美

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Text by Kazumi Ikenaga 池長一美
Photo by Hideo Kanno 神野秀雄

ECMの二大ドラマーといえば、ジャック・ディジョネットとヨン・クリステンセン。もう名前を聞くだけで身を乗り出してしまう。マイルス・デイヴィス、チャールス・ロイドなどとの共演で颯爽とシーンに登場したジャックに比べて、ヨンの方は少し掴みどころのないミステリアスなドラマーに見えている人は多いのではと想像する。

ECMの全盛期は1980年以降、当時まだ彼のスタイルはその発展の過渡期にあって、全盛期はむしろ晩年にあると僕は感じている。

一般的なお客目線だと、さあ今日はクリステンセン、何をやってくれるかな?と期待するだろうが、当の本人はそんな頭は微塵もない。彼のスタンスは、「最終的に作品になった時にキャンバスにどう表現されるかをイメージしてプレイしている」ところ、なので必要なければ一音たりとも音を出さない。アートとして音楽を成立させるための、自分は絵具の一つくらい?な感覚なのかも知れない。僕はここに強く共感する。

そして北欧人である彼が伝統的なアメリカンジャズの踏襲からスタートし、独自のスタイルを確立するまでのプロセスを世界の表舞台でずっと主張し、その過程も我々に見せ続けてくれた。その功績は後進にとってはとてつもない財産なのである。

若き日のヨンはオスロのメトロポールのハウスドラマーとして、デクスター・ゴードン、ケニー・ドーハム、バド・パウエル、スタン・ゲッツなどそうそうたるジャズの巨人達と演奏経験を重ねる。当時の世界のドラマー達にとっては、アート・ブレイキー、マックス・ローチ、フィリー・ジョー・ジョーンズ、エルビン・ジョーンズ、トニー・ウィリアムスなどアメリカのドラマー達が指針になることが一般的だった。

実際、デクスターは当時20歳の彼に「お前は黒人じゃないし、ハーレムで生まれた訳じゃないし、お前が感じたままをやったら良いさ、それで良いと思う」とアドバイスした。それがヨンの心の支えになったそうだ。巨人達のプレッシャーと音楽的に恵まれた環境の中で、若者がトライ&エラーを繰り返し、後のドラミングスタイルに昇華させていくプロセスを思っただけで感動的だ。たとえ形式だけで上部を飾っても、本物にはスグ見抜かれてしまう。「本物は本物を求める」のだ。その一瞬一瞬に心から感じたことを音にしないと、意味がない。心で感じて聴こえてきたものを音にしていく、そういった姿勢でずっと演奏してきたのではないか。

我々ノンアメリカンにとってのジャズは、「いかに自分のアイデンティティを生かして自分がやる必然性を音楽に反映することができるか」だと思う。ヨンは北欧人の感性を駆使してアメリカンジャズに挑み続けた最初のドラマーだと思う。


スティーヴ・キューンとの『Watch What Happens』(1968)では彼の比較的ストレートなジャズの演奏が堪能できる。レガートは荒削りだが雄弁だ、他にもカーリン・クローグなどとセッションしている録音からは、相棒のヤン・ガルバレクがコルトレーンの影響を受けつつもまったく独自のスタイルで突き進んでいるのに比べ、ヨン自身のプレイにはまだまだアメリカンドラマーからの影響を強く感じる。


その後キース・ジャレットのヨーロピアン・カルテットのドラマーとしてヤン・ガルバレク、パレ・ダニエルソンらとタッグを組んだ頃から少しづつ変化が現れてくる、この時期はECMでのレコーディングもアクティブだった頃、結構グルーヴをしっかり演奏する事も増えたが、フリーになると解放されたようになる。当時は「キースをリスペクトしすぎて慎重になってしまった」とあるインタビューで語っている。個人的な印象だが、当時はいろんなことを試していて、迷っているようにも聴こえる。本人的には吹っ切れなかったんじゃないか?と..こんなことを言うと意地悪な批評家みたいだが、そうではなくて..すでにワールドワイドで活躍している彼の中にあった葛藤のようなものをどうしても感じ取ってしまうのだ..。あの素晴らしいタッチと流麗なフレーズ、伝統ジャズを踏襲した上での北欧のお家芸的フリーアプローチ。これだけでも素晴らしいのだが、「彼は絶対満足していないな、」と僕は感じてしまうのだ...これは我々芸人(じゃなかったドラマーです)の性かも知れない。

演奏は演奏者の気持ちが必ず音に現れる、「怒って出した音は怒りを、楽しんで出した音は喜びを伝える」。音に感情は込められる、というか出てしまうのだ、僕はそう思っている。


彼の様々な挑戦が功を奏してくるのが熟年期、それは90年代チャールス・ロイドとやっている『Fish Up on The Water』(ECM1393)などから感じ取れる。この頃になるともう何にも捕われていないのが分かる。スタイルが「具象から抽象」へ変化していくのである。グルーヴを刻む事がなくなりパルスやルバートの演奏が増えてくる。パレ・ダニエルソンのソロのバックでいきなりタイムを解放して一人だけルバート状態になったり、なんとも奇想天外なアンサンブルだった。これはパレとの長年の間柄だからこそ可能なのかも知れないが、他のメンバーはタイム通りなのに明らかにドラムだけがいきなりある瞬間からノータイムになる。そんな無謀な事は自然発生的にできるのだろうか?

あるインタビューで、ジョン・スコフィールドと共演した時に「ジョンが我々このオープンな解釈について来れなくて、長い話し合いが必要になった」と語っている。2000年当時よく共演していたピアニスト アキコ・グレース氏がヨンと一緒にオスロでレコーディングしていたのでその事を尋ねてみたら、、「俺、好きにやるから、気にせずタイムキープはお願いね、、」とあったそうだ、ますます、彼が大好きになった。


僕が勝手に”焚き火”と名付けているアプローチがある、ヨンのドラミングからイメージを得たオリジナルの手法だ。これは僕自身の昨年5月にリリースしたデュオThe Third Tribe(Pf 小林洋子氏)とのアルバム『Nearly Dusk』の中に収録されている。ピアノはルバート、ドラムはパルスという対比でアンサンブルを成立させる。


まあこのように、彼について書きたい事は山のようにあって、キリがないのでこのくらいにしておくが、、この後、最終的にボボ・ステンソンのトリオで集大成というか僕的にはヨン・クリステンセンの全盛期だと思っている。もう、「一生聴き続けられる音楽!」聴き終わったら神棚へ..というかもうアートの領域!!全作品素晴らしい。

ヨンの残したアンサンブルでの関わり方の数々、そして作品を一つのキャンバスに見立ててアプローチするスタンスは、後進にとっては、彼がデクスターから受けたアドバイスと同じくらい大きなものを残したと思う。ジャズの伝統に根ざしながら、自己のルーツを表出して独自のドラミングに至るまでの歴史。という訳で、かくいうワタクシもこの北欧を代表するアーティストの影響を肌で受けたうちの一人である。こんな人がもう世界中にゴマンといるはずだ!!本当にスペシャルな人、彼の死を悔やむ声は多い。

この機会に彼の素晴らしいディスコグラフィーに触れ、その歩みを共に辿ってみてはいかがだろうか?一人のドラマーが後進に与える影響が、そのドラミングのミステリアスな部分も含めてこれだけ広大なのはこの人を置いて他にいないだろう。

あなたの残した功績は偉大です。
ありがとう、ヨン・クリステンセン。
彼を愛する一人のドラマーとして

RIP, Jon Christensen

筆者提供

 


池長一美 Kazumi Ikenaga Drummer
京都市出身
1986年 上京後、鈴木勲、金井英人、のグループで活動。
1989年 バークリー音楽大学の奨学生として渡米。ジョー・ハントに師事。ジョージ・ガゾーン、カート・ローゼンウインケル、クリス・チーク、マット・ギャリソン他とギグを重ねる。
1991年 アメリカ合衆国政府より滞在芸術家としてアイオワ州ルーサー大学のジャズ科講師に迎えられ、ユニファイ・ジャズ・アンサンブルの一員として米国各地で演奏活動を行う。
1995年 帰国後 バート・シーガー、マグナス・ヨルト、クリスチャン・ヴースト、ヤコブ・ディネセン、他とツアー、レコーディングなどを行う。欧米各地のジャズフェスティバルに出演。
国内では中牟礼貞則、山口真文、宮野裕司、中川昌三、石井彰、ハクエイ・キム、西山瞳他、様々なアーティストとの活動を現在も継続中。その傍ら、一昨年復帰した小林洋子との The Third Tribe では『Nearly Dsuk』をリリースしアクティブに活動を続け各地で好評を得ている。2020年4月にピアニスト浅川太平との NordNote の第一作目CDをリリース予定。
空間を活かし、暖かく美しい音色で語りかける独自のドラミングスタイルに国内外を問わず根強い支持者を持つ。近年は自己のオリジナルやコンセプチュアルなデュオなど、より独自の活動を繰り広げている。参加CDは40作を超える。

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