RIP Lee Konitz by 福盛進也

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Lee Konitzが亡くなった。この気持ちは、どう言葉に表していいのか分からない。だから、僕の個人的なLeeとの想い出を綴り、それを彼に対する追悼文とさせていただく。

Leeの音を初めて意識して聴いたのは、Berklee在学中の頃だった。ECMアンサンブルという授業の中の課題曲で、Kenny Wheelerのアルバム『Angel Song』の中から「Unti」が取り上げられた。僕はすぐさまそのアルバムを購入し、「Unti」を聴き込んだ。どこにも置き所のない、浮遊感溢れる名曲だ。

Leeのソロは中盤にやってくる。Kenny WheelerとBill Frisell がコード進行上でソロするのに対し、Leeはたった二つのコードのループ上でソロを繰り広げる。流れる音に身を委ねているような、ソロというよりもその瞬間を「ただ生きている」だけのような。不自由の中に自由を見つけ、そこにゆっくり腰掛けている。そんなLeeの美しい音に僕は魅了された。現在もまだ尚魅了され続けている。

2017年10月25日、ミュンヘン。

Bayerischer Rundfunkというミュンヘンにあるラジオ局のホール「Studio 2」で盛大なコンサートが開かれた。Lee Konitzの生誕90周年を記念としたスペシャルイベント。テナーサックスのMatthieu Bordenaveが共演したいというところから始まったこの話だったが、ピアノにはWalter Langも入り、Shinya Fukumori Trioが基盤となっていた。そこにベースのHenning Sivertsが加わり、特別なカルテットでLeeを迎え入れた。

Leeとはその前日に既に顔を合わせていた。空港までMatthieuと迎えに行き、その後、夕食を味わいながらたくさん話をした。90歳にもなるLeeだったが、彼の耳は驚異的だった。レストランに入るや否や、バックグラウンドで静かに流れていた音楽が気になり、店員を呼び音量を更に下げてもらう。数分後、またしても店員を呼ぼうとする。今度は、かなり離れたテーブル席の二人組の声がうるさく気が散る、と。再び僕は店員を呼び、なんとかお願いをし、誰の声も聴こえない一番奥の席に移動させてもらった。そこからはご機嫌で、今まで一緒に演奏したミュージシャンの話だったり、スキャットを披露してみたり、とても有意義な時間を過ごさせてもらった。食事をした後は、ジャズクラブへとCraig Tabornのトリオを一緒に聴きに行き、お酒を少々嗜んだ。演奏後に、Craigに強烈なダメ出しをしていたのも可笑しかった。そして帰りの車の中、まだ発売前の『For 2 Akis』を聴いてくれ、「Yeah, beautiful music. I like it.」とコメントしてくれたのは、何にも変え難い宝物となった。

翌日、サウンドチェックの時間がやってきた。音は整い、後は本番を待つだけだったが、Leeが「何の曲でもいいから、一人ワンコーラスずつ別々の曲でソロしてみよう」と提案した。お互いの音をもっと近くに感じるためにそのアイデアを出したのだ。みんなスタンダードの有名曲をやる中、自分の番が来た。32小節からなるメロディラインをドラムで奏でながら、ワンコーラス分ソロをした。そのリズムに気付いたのか、Henningが「今の曲は何だっけ?」と訊いてきた。「Subconcious-Lee」と答え、Leeの方を見ると、嬉しそうに頬を緩ませていた。

そして本番。色々な素敵な瞬間が詰まった、とても美しいコンサートだった。最も感慨深かったのは「Alone Together」でドラムソロがまわってきた時だ。気持ちが昂り、勢いのある展開になっていった。そして後半部分、最高潮に達した時に、笑顔でジッと見つめていたLeeが「ワオ!!」と興奮した声を上げたのだ。そして、最大限の拍手を僕に送り、サラッとメロディに戻り曲を終えていったのが、最高に美しかった。

そして次の日、僕はLeeと奥さんのGundulaを中央駅まで見送りに行った。よく晴れた空の下、電車が来るまで、3人で談笑をしながら、時をゆったりと感じた。電車に乗り席へと案内し、熱いハグを交わし別れを告げた。

本来なら、今年の2月末に、Walterと一緒にイスタンブールでLeeと演奏する予定だったのだが、それも流れてしまった。最初で最後の共演となってしまったが、あの時の想い出は一生忘れない。

Leeは、本当に美しい心の持ち主だった。目を瞑れば、いつだって空から彼の音が聴こえてくる。

ありがとう。

どうか安らかに。

2020年4月25日

福盛進也
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