In memory of Ryo Kawasaki by 伊藤 潔

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Ryoが亡くなったと聞いて、しばらく信じられない気持ちだった。

いつも眼がギラギラしていて、白髪になっても後30年は生きそうなエネルギーが感じられた稀有なミュージシャンだった。

1975年、New Yorkで『Prism』(East Wind) をプロデュースしたのが出会いで、それから間もなくRyoはメジャーのRCAに邦人アーティストとして初めて契約が出来て、『Juice』の録音の時 RCA Studio へ招待してくれたこともあった。

1979年、やはりNew Yorkで『Mirror Of My Mind』(Openskye) のセッションは、とても記憶に残っている。Ryoは、自分のサウンドとフレージングを持った優れたギタリストだったが、作曲の才能も兼ね備えており、いつも新作に向けて素晴らしいマテリアルを用意していた。それが上手くブレンドしたのが『Mirror Of My Mind』だった。その中から〈Trinkets & Things〉と〈In & Out Of Love〉の2曲は、Radio Edit Version も作って、盛んにエアープレイされた。
参加したミュージシャンは、Harvey Mason, Anthony Jackson, Rubens Bassini, Leon Pendarvis (Strings & Horns Arrangement も担当)、Michael Brecker が上記の2曲にソロを吹いてくれた。当時の Fusion 界のオールスターのサポートもあって、Ryoの代表作の一枚になったと思う。

1990年代になり、僕は One Voice という新レーベルをスタートした時に、1969年の渡辺貞夫バンドから交遊が始まった、旧友鈴木良雄(チンさん)とも契約した。チンさんは、New York の Manhattan Plaza という所にアパートメントを持っていて、チンさんは30階、Ryoは15階に住んでいた。チンさんは、Ryo が自分で作ったデモを聴かせてくれ、僕はとても気に入り再び Ryo とサインした。
Ryoの15階の部屋は2ベッド・ルームで居間はかなり大きかったが、楽器と録音機材で埋め尽くされており、当時としてはまだ珍しいホーム・スタジオだった。Ryoは日大工学部卒業で理科系の知識と考え方も持ち合わせていたので、このホーム・スタジオでトラッキング~オヴァーダブ~ミックスまで全ての作業を可能にしていた。

Ryo の2枚目のアルバムの時ミックスが最終に近くなると、Ryoから僕がゲストで滞在させて貰っているチンさんの30階の部屋に電話が掛かってくる。15階に下りていってミックスを聴いて、2ヶ所程の修正を提案すると、腕利きのNew Yorkのエンジニアと同じレベルで苦もなく直してくれる。

ファイナル・ミックスを聴きながら、夜が明けつつあるManhattanを眺めて飲んだコニャックを、もういちど一緒に飲みたかったよ、Ryo。


伊藤 潔(いとう・きよし)
1946年7月24日名古屋市生まれ。慶応義塾大学卒業後、’69年 CBSソニーに入社。’73年退社までに、渡辺貞夫、菊地雅章、増尾好秋、笠井紀美子、鈴木良雄、Gary Peacockをプロデュース。また、A&Rとして『Miles in Tokyo』, 『Weather Report in Tokyo』, 『Bill Evans in Tokyo』を制作。1975年、鯉沼利成氏の「あいミュージック」に参加、East Windでの内外の活躍を経て EWEレーベルを通じて綾戸智絵をトップセラーに押し上げる。その後、One Voice レーベルでの制作もあり、現在までのプロデュース作品は約200枚。日本を代表するジャズ・プロデューサーとして頂点に立つ。

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