Ryoさんの35年分の思い出 by 上原基章

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ギタリストの川崎燎さんが亡くなった。

Ryoさんと初めて会ったのは、1985年3月のニューヨーク。まだ学生だった僕は、電話帳で片っ端から日本人アーティストの番号をピックアップして「会って話を聞かせてくれませんか?」と図々しく電話をかけて9thアベニューの43丁目にあるマンハッタン・プラザを訪ねた。全くの初対面にも拘らず、Ryoさんはニコニコしながら僕を部屋に招き入れ、当時の奥さんのイラーナや娘のタネちゃんと2匹の猫(ペルシアン・ブルー)を紹介してくれ、色んな話をしてくれた。開発を手掛けていたコンピューター用の音楽ソフト、ダンス・ミュージック「Satellitesレーベル」、翌1987年にメルダックからリリースされた環境音楽アルバム『時のイメージ』の構想など、「自分はこれからどんな音楽を仕掛けていくか」という未来志向の話を色々と聞かせてくれた。部屋の壁には『RYO〜アランフェス協奏曲』のジャケットに使われていた宇宙船のイラストの原画が飾られ、床にレコーディングに使われたRolandのギター・シンセサイザーとFostexの8トラックのテープレコーダーが置かれていた。そんなプライベート・スタジオの中で過去の思い出話ではなく現在進行形の「ミュージック・ビジネス」を熱く語るRyoさんに、ニューヨークで音楽を仕事とすることのリアリティを強烈に感じることができた。

帰り際に「帰国する前にまた来てもらえますか?チンさん(ベーシスト鈴木良雄)に渡してもらいたいものがあるので」と言われ、3週間後に再びアパートを訪れるとRyoさんは「今日はご飯を食べて行ってください。イラーナが出かけて居ないから、僕が作るんだけど。」と言ってキッチンに立ち、何とラーメンと餃子を出してくれた。学生旅行のギリギリ予算で食費を切り詰めながら毎晩のライブだけは通い続けていた身にとってはまさにご馳走で、ありがたくて食べながら涙が出そうだった。

以後もその年の秋に来日したRyoさんに早稲田の学祭で自分のバンドに飛び入りで弾いてもらったり、卒業後もニューヨークを訪れる度にRyoさんの所に顔を出し、ビクター・ジョーンズ(彼もマンハッタン・プラザの住人だった)のギグに加わるRyoさんと一緒にニュージャージーのクラブに行ったり、家族と一緒にナイトクラブに踊りに行ったりと沢山の時間を過ごした。ビデオアーツでソロ・ギターのシリーズがスタートした時は「Ryoさんのビル・エバンスへのオマージュを聴きたいですね」というちょっとしたアイディア・トークからアルバム『マイ・レヴァリー〜ビル・エヴァンス夢想曲』が生まれたり(ライナーノーツでRyoさん自身がその経緯を記している)と、ずっといい距離感で友人関係を続けてきた。10数年前に私がソニーミュージックを離れてからはニューヨークに行く機会も減り、Ryoさん自身も2002年から活動拠点をエストニアのタリンに移したことで交流は一時途絶えたが、2007年に鈴木良雄さんとのデュオ・アルバム『アガナ』の発売記念ツアーで来日した時に再会。昨年秋にfacebookのメッセージを送りあったのが、Ryoさんとの最後のコミュニケーションとなった。

訃報を聞いてから数日間、改めてRyoさんのリーダー作やサイドメン参加のアルバムを聴き続けて、改めて何てスケールの大きいギタリストだったんだろうという事を再確認した。疾走するギターソロだけでなく、バッキングに回った時のスペース感覚の凄さと言ったら!あのギル・エヴァンスがジミ・ヘンドリンクス死後に『プレイズ・ジミ・ヘンドリックス』のギタリストにRyoさんを抜擢したことも、エルヴィンがグループにレギュラーとして迎え入れたことも納得がいったし、『プリズム』(‘75)や『ジュース』(’76)『ミラー・オブ・マイ・マインド』(‘79)といったリーダー作におけるサウンド・カラーの鮮やかさを、数々のソロ・ギター作品ではプレイの繊細さを、またピアニストのジョアン・ブラッキーンとの共演作『AFT』(’78)では純粋なギター奏者としての技術の凄さを改めて思い知ることとなった。そして晩年の作となってしまった『Level8』(‘17)や『Giant Steps』(’19)の変わらぬアーティストとしてのエレルギーを。

そういえば、1987年に初めてRyoさんと会った時にこんな話をしていたことを思い出した。
「うーん、今のギタリストで僕より上手いと思うのはパコ(デ・ルシア)くらいかな」。
改めて僕もそう思います。Ryoさん、長い間友人として付き合っていただきありがとうございました。

最後にWebマガジンなので、いくつか動画のリンクを紹介します。

>Ryo Kawasaki & Golden Dragon 1980 at Roppongi Pit Inn

>Ryo Kawasaki with Yoshio”Chin”Suzuki(b),Cecil Monroe(ds) 1988 at J Shinjuku

>Ryo Kawasaki Satellites 1986 at NYC

>Ryo Kawasaki Group 1999 at Birdland NYC

>Ryo Kawasaki & Level 8 2017 at Tallinna


上原基章 (うえはら・もとあき)
早大卒。元ソニージャズ・ディレクター。
https://jazztokyo.org/rip/smotoaki-uehara-%E4%B8%8A%E5%8E%9F%E5%9F%BA%E7%AB%A0/

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