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R.I.P. エンニオ・モリコーネNo. 268

「モリコーネの演奏した楽器は…。〜巨匠への追悼、そして最初で最後の私的モリコーネ評〜」

text by Yoshiaki Onnyk Kinno 金野Onnyk良晃

1.集団即興の時代

フランコ・エヴァンジェリスティ(1926-1980、伊) が1964年にローマで結成したGruppo di Improvvisazione Nuova Consonanza は作曲家達による、即興演奏集団である。
このメンバーの一人に若きエンニオ・モリコーネがいた。
彼等の特徴は、全員が作曲家であるがゆえに、演奏家としてその技量を披瀝することを意識するのではなく、まずはアンサンブル=総体としての音楽の構成を見ようとするところにあるかもしれない。
またヌオヴァ・コンソナンツァは一般的な楽器を、通常の奏法以外に依って音を出すことを多用した。例えばピアノの内部奏法などの特殊奏法。モリコーネも、幼少期から馴染んだトランペットの、マウスピースを外して吹き、ピッチの不安定な非分節的なサウンドを用いている。電気楽器は、ローランド・ケインのオルガンくらいであるが、この持続とクレッシェンドはかなり彼等の演奏では重圧感があった。
エヴァンジェリスティは、作曲家達による集団即興を新たな作曲であるとみなしたが、彼の専売特許ではなく、この当時の前衛的作曲家達は多かれ少なかれ集団即興という方法へ傾倒し、その中では早かった一人である。
トロンボン奏者としても有名なヴィンコ・グロボカールも、自ら即興演奏集団ニュー・フォニック・アートを結成した。それは技巧的な演奏家の集団であった。グロボカールは、カールハインツ・シュトックハウゼンの「直観音楽」の影響を受けているが、これは決して単なる即興ではない。そこに作曲家の「指示」が介在しているからである。それは詩のようなテクストだったり、記号として提示される。
ニュー・フォニック・アートは、即興演奏のパターン化を限定する事も試みた。際限なく野放図な締まりのない演奏を避ける事は重要であった。
これはアドリブ=即興を重視するスタイルとしてのジャズからの影響はあるにせよ、まずは作曲家というイデオローグの意志を優先させるという意味で、演奏家優先のジャズとは自ずと異なる位相がある。
しかし作曲家中心主義を嫌い、集団作曲の可能性を信じた一派は、作曲家の署名の無い集団の音響を「作品」として発表した。それは即興のドキュメントでもある。ただここでは完全即興であるがゆえに個々の演奏家が、違った総体を意識しているかもしれない。それは音響の共感のなかで探り合いとなるだろう。
シュトックハウゼンが既に、こうした共感の基盤に神秘的な背景を意識していたが、あたかもユング的集合無意識といっても無理ではなかろう。
一時エヴァンジェリスティと合流したフレデリック・ゼフスキはそうした批判から、袂を分かちMEV=ムジカ・エレットロニカ・ヴィヴァ(Musica Elettronica Viva、生の電子音楽)を、1966年にローマで結成した。彼等はその名の通り電子的手段での即興演奏を試みた。ヌオヴァ・コンソナンツァよりも演奏家寄りの姿勢、また当時は最新であった電子的手段の多用を見せている。しかし果たして、それがゼフスキやアルヴィン・キュランの目指した大衆化なのか?
英国の、ジャズ・コンボから出発した即興集団AMMは、シュトックハウゼン批判をしたコーネリアス・カーデューの指導で、より電子音中心の長時間即興を展開した。しかし後にカーデュー自身が是を批判してスクラッチ・オーケストラという、(それが成功しているかどうかは別として)大衆に開かれた集団を結成するに至る。
誤解なきよう書いておくが、ここに挙げた何人かがジョン・ケージの影響を大きく受けたにしても、ケージの根本的姿勢は、個人の即興にも、集団即興にも極めて批判的である。それは彼が意志の放棄を目指していたからだ。彼は「作曲の放棄というべき作曲」を、つまり不可能性を、<希求する>のではなく、体現したかったのである。

2.ヴ・ナロード(人民の中へ)

私が何故こんなに即興演奏集団とか、演奏家と作曲家の関係についてこだわるには理由がある。それは最終的には非常に単純な結論に至るだろう。
エヴァンジェリスティに対するゼフスキ、シュトックハウゼンに抗するカーデューは、作曲家の観念論から脱して大衆的な音楽生成へと向かいたいという、ある流れを見せている。
このテーマで何度も取り上げているのは、フェリーニの映画「オーケストラ・リハーサル」(1978)である。高圧的な指揮者の下で、各演奏者達は反抗をし、巨大なメトロノームに指揮を任せようとするが、さらに過激な一派が、それを破壊して、石造りのリハーサル室は騒然たる有様になる。そして…。この事態はあたかもMEVの名作『サウンド・プール』(1970, BYG)を思い出さざるを得ない。ある種の音楽的無政府状態(のようなもの)。

https://www.discogs.com/ja/Musica-Elettronica-Viva-The-Sound-Pool/release/4949991

いずれ60年代の反ソ的、親ソ的などちらからも、左翼意識がうねりとなって同時代の作曲家達の課題となった(音楽の政治参加=アンガジュマン)。果たして作曲家の存在意義は何か、大衆にとってどのような存在たりうるのかという問いに答えるべく彼等は動いていた。しかしコンソナンツァもMEVもスクラッチ・オーケストラも、結局大差なしと言えるだろう。結局、後年ゼフスキーもカーデューも、より大衆的な歌へと帰って行く。
それならば、とっくに、その時代において大衆の要求を満たし、導いた存在がいた。
それこそがエンニオ・モリコーネである。

3.新たなパラダイスとしてのシネマ

20世紀に最も発達した映像表現は映画であろう。それは同時に大衆の欲望の対象を映し、商品として資本主義の重要な一部を担うメディアに発達した。
映画は最も大衆化した娯楽であり、芝居や見せ物の代わり発達した娯楽形態である。それは芝居小屋、劇場が無くても、(革命的キャンペーンを宣伝する)一座がわざわざやってこなくても、電力と映写機と技師とフィルムがあれば上映できる。役者連中の奔放さを警戒せずに、どんな田舎でも大都市と同じ作品を提供できる。
そしてまた映画は、大衆の力が溢れるときに発達し、求められるメディアだ。
中国、香港、日本、インド、イラン、東欧、ソ連の映画史をみよ。アメリカにおいてもグリフィスをみよ。「国民の創成」は同時代的アメリカ史である。
奥行きの無い影が、語りだす。画面は妙なる調べと歌声を齎(もたら)す。そして映画音楽が誕生する。
作曲を学んでいるうちからモリコーネは、既に大衆歌謡での編曲の才能を発揮し、たちまち売れっ子となってしまう。
60年代に彼が作編曲で関わった作品は数知れず、遂に少年時代からの朋友、セルジオ・レオーネ監督と出会う。そして空前の大ブームとなった「マカロニ・ウェスタン映画」シリーズに、モリコーネの音楽が合体した。特異なサウンドによる印象的な旋律はそれだけで、マカロニ・ウェスタンを想起させるものとなってしまった。
彼の映画音楽は、意外な楽器、例えばパンパイプや口笛を用い、タイプライターなど日用品の音をとりこむ。その程度なら凡庸な作曲家の気まぐれでもあり得る。しかしその哀愁を湛えた覚えやすい旋律が、画面に見事に合致するのである。
それだけには留まらない。映画音楽に特化した冴えの見せ所である。音楽的には、楽器間のバランスをとるミキサー手腕、そして要求される時間制限の中にはめる技術 、これは彼のインタビューを含む映像『ドキュメンタリー・オブ・エンニオ・モリコーネ』(2003)を見れば一目瞭然だろう。
その中でも関係者何人かが語るのだが、通常先に画面があり、それに適した音楽を要求される。しかしモリコーネは先に音楽を用意しており、それに監督が映像を合わせてしまうという事も少なからずあり、音楽を現場に流しながら撮影したこともあった。
そこまで準備されていたが故に、使い回し批判、多産かつ過剰、マンネリという批判もあった。それだけ彼は溢れてくる音楽を押しとどめる事が出来なかったともいえる。

4.そしてエンニオが残った

ビクトル・ハラ、セルヒオ・オルテガ、フレッド・フリス、荒木栄、ショスタコヴィッチ…こうした名前の連なりに貴方は何を感じるだろうか。いや、これはこれで大衆の欲望ではなく、圧迫をはねのけようとする希望を音楽にしたかった人々であろうか。
エンニオ・モリコーネは、どうだろうか。彼は同時代の最も大衆化した音楽家として成功した。
結果的に彼は名声と富を得たとして、それは全く非難されるべきものではない。正当な代価であり技術の提供と労働の報酬である。またそれは大衆の評価だ。彼は、富裕階級ではない一介のトランペッターの家庭に生まれた、大衆の星である。

オスカーもとった彼が、映画音楽を引き受けることを制限し、オ―ケストラとコーラスの為のシンフォニーはじめ、コンサート作品を集中して書き始める。結局、映画音楽は基本的に短い曲の集積なのである。モリコーネは少年時代からの夢である自作オーケストラ作品の実現、自らの指揮を、徐々にしかし確実に実現した。
極めてポップな曲から、自作コンチェルトまでを自らの指揮に依って上演すること。これはフランク・ザッパの軌跡にも似ている。
DVD『モリコーネ・コンダクツ・モリコーネ/ミュンヘン・コンサート2004』では21曲の映画テーマ曲を、自身が指揮しているが、そのオーケストレーションと、指揮ぶりは感嘆すべきものがある。特に大編成のコーラスの使用は、他の楽器や音響装置では得られない響きで、音楽に比類ない深みを与えている。また、ここではエレキギター、エレキベース、ドラムセット、電子オルガンなどロックバンド的楽器も多用されている(ザッパ生前最後のそして最高のオーケストラ演奏も奇しくもドイツ録音である)。
これを鑑賞すると、ミュンヘン・ラジオ・オーケストラがモリコーネの指揮によって燃え上がり、心地よいグルーヴを生み出し、また静かにたゆたう楽想を過不足なく表現しているのを感じる。オーケストラはまさに彼の楽器になったのである。

イタリアはルイジ・ノーノを始め、エヴァンジェリスティもそうだが、アンガジュマンを叫んだ作曲家達を輩出した。最も共産党勢力が流布した国でもあるのだ。しかし、結局、彼等の音楽は忘れられたか「現代音楽」というアーカイヴに収められてしまった。
しかし、モリコーネの音楽だけは、映画という物語性を伴う視覚メディアのお陰もあって、真に大衆の中に息づいているのは疑いない。これまでも、そしてこれからも。
モリコーネが再来する事はないだろう。




金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。「第五列」の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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