追悼 沖至さん pianist 後藤理子

閲覧回数 2,180 回

text by Riko Goto 後藤理子

私がパリで沖さんに出逢ったのは2004年初めの事でした。
2003年まで音楽留学をしていたフィンランドから、パリに移住し、フィンランドで共に演奏活動をしていたドラマーのエルッキ・ヨウツェノをパリに呼び寄せてライブを行うために、パリで一緒に演奏出来るベーシストを探していた私は、今思えば完全なる若気の至りなのですが、当時まだパリに在住だったアラン・シルバに直談判し、パリでの3公演をご一緒させて頂く機会を得る事が出来ました。
アランにしてみれば、何処の誰とも知らない小娘が自分のCDを聞いて欲しい、一緒に演奏して欲しい、フリージャズがやりたい。と突然自宅を訪ねて来て、フリージャズ界の大御所にそんな大胆に共演を頼む無名の新人もきっと相当珍しかったのでしょう。
共演を快諾して下さって、そしてそれを面白がって、古くからの親友である沖さんに私の話をしてくれていた様で、パリでのアランとの公演当日に沖さんが楽器を持って会場に颯爽と現われたのです。
“伝説のアラン・シルバ”との共演の上、突然の”世界の沖至”の登場に私は完全に舞い上がってしまい冷静さを失い立ち向かったステージ初日となったのです。

アランとの共演は、最初の1音からこちらがどう出るか試されているという緊張感がビシビシ伝わって来るステージで、打ち合わせも音合わせも一切無しで全編にわたり即興でしたから、私は必死で鍵盤を叩き、ピアノにしがみついて全く余裕の無い状態でした。
アランの気迫は物凄く、ベースの音の波に飲み込まれそうになり必死でもがいていたそんな中で、天から降りて来たかの様な全てを包み込んでくれた沖さんの音にどれだけ救われたか分かりません。
そこにある全てをあるがままに受け止めて音で昇華してくれる沖さんの包容力は神がかっていて、私は幸運な事に何度もそんなシーンをライブで目撃しています。
その後、イタリアのカステロバッソ・フェスティバルで沖さんとデュオで演奏させて頂いた時には、山の上の野外ステージで満点の星空の下で大盛況の中、沖さんが突然思い立ってアンコールにゴッドファーザー愛のテーマを即興で仕掛けてきて、私にとっては余りにも突然の提案でしたが、その音色はイタリアの観衆を魅了していました。

photo:©Eric Devischer

いつも誰かを、どう喜ばせるのか、を考えていて、演奏している時も普段の生活の中でも、とても優しい愛に溢れた人でした。
限りなく自由でオープンで、人を喜ばせるのが大好きで、いつも合言葉はハッピネスとクールクール。

そんな沖さんが大好きになり、私が結婚した時も子供が生まれた時も一番に駆けつけてくれて人生の門出を祝って頂き、我が家で美味しいものを食べる時、気の置けない仲間でワイワイ飲む時、いつも我が家の楽しい時間に沖さんは欠かせぬ存在となり、これまで家族ぐるみのお付き合いをさせて頂くようになりました。
物心着いた時から沖さんのトランペットを聞いて育った我が家の子供たちは二人ともコンセルバトワールでトランペットを習っています。

沖さんとの出会いを通じて音楽の悦び、大好きな人達と一緒に時間を共に出来る喜び、アーティストとして生きる意味、たくさん大切な事を教えて頂きました。
これから先もそれは私の人生における指針として沖さんの思い出と共に消える事は無いでしょう。(2020年9月23日)


後藤理子 ピアノ
4 歳からピアノを始めクラッシックを故・森安耀子氏に師事。19歳で単身フィンランドに渡り1997年から2003年までの6年間、ヘルシンキに音楽留学。ヘルシンキPJコンセルヴァトワールでジャズピアノ及びジャズ理論を学ぶ。2001年よりフィンランドの女流フリージャズピアニストのイロ・ハ-ルラ氏に師事し即興演奏、フリージャズに傾倒。2002年、フィン ランド人ミュージシャン、エルッキ・ヨウツェノ(ドラム)とタパニ・ヴァリス(コントラバス)とトリオを結成。以後、ヘルシンキを中心にフィンランドで 積極的にライブ活動を行う。2003年6月、フランスに生活拠点を移す。2004年2月、パリにてコントラバスのアラン・シルバーと共演。2004年7月 イタリア・カステロバッソフェスティバルにてトランペットの沖至とデュオ公演。2005年イタリア・サルデーニャ国際音楽祭にサックスの仲野麻紀と出演。2008年より新生トリオをドラムスのギョーム・アーボンヴィル、コントラバスのスズキケンタローと結成。 現在は音のソムリエを目指しピアノ調律師としても活動中。

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。