ゲイリー・ピーコックと菊地雅章の「スペース」 music people 上原基章

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text by Motoaki Uehara 上原基章

あれは1993年のクリスマス時期。休暇をNYで過ごしていた僕は、いつものようにプーさんのロフトを訪ねると「12月30日にゲイリーとポールの3人でビレッジでギグやるから、上原も来るよな」といきなり言われた。プーさんの誘いはいつだって断定的だ。その日にJFKを発って大晦日に日本に戻る予定だったが、僕はすぐに帰国便を変更した(マイレージ搭乗だったので変更可能だった)。そしてライブ当日、プーさんが「クラブまで一緒に行こう」というのでロフトに向かうと、ベースを抱えたゲイリーが一緒に待っていた。何でも年末でホテルが満室だから今晩はプーさんの家に泊まるという。

ギグが終わり皆んなで遅い食事を取った後、僕は機材運びを手伝いがてら一緒にロフトに戻った。熱いほうじ茶を飲み終わると、ゲイリーは慣れた手つきで空いている場所に布団を引きはじめた。ああ、こんな「スペース」まで共有しているんだなぁと妙に感心しながら、僕は深夜のホテルに帰った。
ゲイリー・ピーコックというアーティストを語る時、何人かのピアニストとの関係性抜きには出来ない。それはキース・ジャレットであり、ポール・ブレイであり、佐藤允彦であり、そして何よりプーさんこと菊地雅章の存在が大きいだろう。本稿では、ゲイリーとプーさんの40年以上にもわたる対話にフォーカスしていきたい。

ゲイリーと菊地のアルバム共演は、全部で17作品。ゲイリーが日本に居住していた70〜71年の2年間に録音された『EASTWORD』『Voices』、山本邦山『銀界』、渡辺貞夫『ペイサージュ』、菊地&富樫雅彦『ポエジー』の5作から始まり、菊地がNYに居を移して5年が経過した1978年にアル・フォスターやバダル・ロイといった元マイルス・バンドのメンバーも参加した菊地雅章『バット・ノット・フォー・ミー』。1990年代前半から2000年代前半にかけてリリースされた「テザード・ムーン」が7作、そして1994年に録音された菊地・ゲイリー・富樫雅彦のユニット「Great3」の『ビギン・ザ・ビギン』(スタジオ)と『テネシー・ワルツ』(新宿ピットインのライブ)の2作が現時点でのディスコグラフィーだ。

過去記事のインタビューを辿っていくと、二人の音楽的密度が深まったのは『バット・ノット・フォー・ミー』がきっかけと思われる。改めて2人の共演作をレコーディング順に聴きなおしていくと、70年代初頭のアルバムには演奏しながら互いの間合いを見計らっている緊張した空気を感じる瞬間がいくつもある(何故か貞夫さんがリーダーの『ペイサージュ』では2人とも自然にスイングしているが)。これが『バッド・ノット〜』の時には随分と変化があったようだ。ここにリリース当時のスイングジャーナル誌1978年11月号の特集記事に掲載されたゲイリーのインタビュー(聞き手:児山紀芳編集長)の一部を引用する。

「昔のプーは一緒に演奏していると、時々何をやっていいのか戸惑っているなと感じさせるところがあった。それが今回のリハーサルやレコーディングでは、それが全くなくなっていた。驚いたのはプーが周りの音を非常によく聴いて、直感的に見事に反応するようになったことだ。しかも、何を選び、何を弾くかという可能性の領域をプーは今や信じられないほどに広げている。だから、私はプーと一緒に演奏していてワクワクするような喜びを感じさせられた」

同じ号で、菊地はゲイリーについてこう語っている。

「何しろゲイリーという人は、オレなんかより数段高い次元で即興演奏しているからね。だって、オレ、和音の上部構造をどこまで発展させることが出来るだろうかって、指で鉛筆がメチャメチャになるくらいの可能性を五線譜に書いていったんだ。そうすると、最後の方は人間の耳には聴こえない、聴いていても聴こえない音になる。つまり、理論を超えちゃうってことなんだ。マイルスとかゲイリーは、その次元でアドリブしてるんだよ」

『バット・ノット〜』のレコーディングに、ゲイリーは<Pumu#1><Pumu#2>の2つのオリジナル曲を提供している。この曲名は菊地の愛称である「プー」とゲイリーが京都で学んだ禅の境地「無」を語呂合わせしたもので、特にデュオで演奏された<Pumu#2>は、ゲイリーと菊地の濃密なバイブレーションが聴く者にジワジワと伝わってくる。CBSソニー時代に『EASTWORD』や『Voices』、『ペイサージュ』を、その7年後に本作のプロデュースを務めた伊藤潔氏は、この時の印象をこのように語ってくれた。

「ゲイリーとプーさんの共有する“スペース”の深さが、益々すごくなったと感じました。ゲイリーはプーさんの本当の理解者の大事な一人だと思いました」

ゲイリーと菊地がスタジオで再び交わるのは「テザード・ムーン」の初録音となる1990年10月。このトリオは10数年の間にジャズのスタンダード曲に留まらず、ジミ・ヘンドリックスやエディット・ピアフ、そしてプッチーニのトスカと全部で7枚のアルバムを残している。2人の音楽的対話は引き続き「蜜」であったが、菊地は2012年のHMVオンラインサイトのインタビューでこんな興味深い発言をしている。

「テザード・ムーンの出だしの頃っていうのは、俺がリーダーシップを執って全てのことを決めてたんだけど、途中からそうはいかなくなったわけ。『ファースト・ミーティング』を聴いてもらえば分かると思うんだけど、結局あれは、俺とゲイリーが上手く噛み合ってない箇所が多いんだ(苦笑)。勿論ゲイリーはゲイリーで自分の感覚があるだろうし、でも、俺も俺でこだわりがあるから。そこを上手く繋げてくれたのがポールだったんだ」

インタビュー前年にモチアンが亡くなっている感傷と、この時期から菊地のリズムの要となっていたトマス・モーガンとの出会いがあったからか、長い時間の経過の中で2人の“スペース”に少しずつズレが生じていたのだろうか。

ゲイリーと菊地の対話の到達点として注目すべきなのは、1994年に富樫雅彦を加えたトリオで録音された「Great3」の2作だ。元々1970年の『EASTWORD』はゲイリー〜菊地〜富樫のトリオで企画されていたが、レコーディング直前に富樫がある事件によって演奏不能となり、菊地の推薦で村上寛が富樫の代役を務めている。その翌年にパーカッション奏者として復帰した富樫は、渡辺貞夫『ペイサージュ』と菊地と富樫『ポエジー』でゲイリーとの共演を実現させているが、「Great3」で実現した四半世紀ぶりの本格的共演は、今こそ再評価すべきレコーディングだと考える。このアルバムはゲイリーと菊地の音による対話の到達点であり、富樫も加わったトリオの“スペース”はどこまでも自由で、軽やかで、限りなく美しい。

 

1978年のSJ誌インタビューで、ゲイリーは「プーは私と一緒に音楽を通じて、菊地雅章とは誰かということを証明したがっていた。一緒にやることによって、自分自身を証明し、同時にプーは“ゲイリー・ピーコックは誰か”をも音楽を通じて見抜こう、探り出そうとしていた。つまり私はプーという人間を体験し、より深く知ることができたんだ」とまるで禅問答のような話をしているが、「Great3」の2枚のアルバムを聴いていると、ゲイリー・ピーコックと菊地雅章という2人の偉大なアーティストが共有したバイブレーションが少しずつ染み込んでくる。そして菊地が2001年のインタビュー(聞き手:富澤えいち氏)で語ったこの言葉こそ、2人の音楽に対する共通の姿勢だったんだろうなということも。

「ゲイリーとも話したことがあるんだけど、演奏能力とか知識とかって“ユーティリティ”って呼ぶんですけど、それとスピリチュアルなものとの関係の問題ね。ユーティリティのほうが高くなればなるほど、スピリチュアルも同じように増加させていかないと、音楽としてのバランスが失われちゃうんですよ。速弾きもいいんだけど、結局はユーティリティが高くなればなるほど、同じだけスピリチュアルを伸ばしていかなきゃならない。でも、スピリチュアルを伸ばすというのは、これ、たいへんな作業ですよね。精神的なものだからね。精神的に自分を淘汰していかなきゃ。だったら音は少なくていいから、スピリチュアルを常に保っていたほうが、結果として僕は良いものが出てくると思うんですよ」

1990年代半ばから、ゲイリーはマンハッタンの120マイル弱北に位置するキャッツキルという小さな街に独居して、音楽以外の時間の多くを座禅を組んで過ごしていたという。2000年頃だったか、プーさんに「ゲイリーが手術をして入院してるっていうんだ。あいつが住んでるのは田舎町だろ。オレ、看病に行ってやろうかな」とマジ顔で言われた。いやいや、運転免許も医療知識もないオジさんが行っても迷惑なだけでは?と思いながら、単なる共演者の関係を超えた2人の「縁」を強く感じたものだった。そういえば、最後にプーさんと会った時に「ポール(モチアン)の追悼ライブ、オレとゲイリーがデュオで演奏したんだ。DVDいるだろ?」と焼いてくれたディスクはどこに行ったんだろう。1993年末の「テザードムーン」のギグもDATのコピーを貰ったけど行方不明だし。思えばゲイリーとは何度も同じ空間に居たけど、サインを貰ったこともなければ、一緒に写真を撮ったこともなかった。ただ、とても穏やかなキャラクターと、あのベースの深くて暖かくて響きはよく覚えている。

――――今はそれだけで、十分幸せなことと思えるのです。


上原基章(うえはら・もとあき)
元ソニーミュージックエンタテインメント・洋楽担当ディレクター

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