朱夏に〜近藤等則『日本の秋』

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Text by 伏谷佳代 Kayo Fushiya
Photos by yamasin @ Kitazawa Town Hall, 2012/08/25, event “SHIMOKITA VOICE”

地球にタダ乗りさせてもらっているだけで凄いことだと思わないか?

20年以上前の近藤等則の言葉だが、あまりにスケールが大きすぎ、当時は実感が伴わなかった。どん詰りの地球環境に直面している今ようやく、その臨場感に息を呑む。

誰にも外へ外へと意識が向かう生意気時代があるが、自分にとって近藤等則ほど眩しい存在はいなかった。時はDJ Krushと組んだ『記憶』の頃。入り口は確かに音楽だったが、彼から得たものはその次元ではない。

精神を持った人間の何たるや。
利便性の追求に麻痺させられた不穏の時代を泳ぎ切る核となるもの。そんな「土性骨」を近藤等則は具現化していた。

旧ソ連解体にともなう世界情勢の激変、つづくバブル景気の崩壊。その混迷期に月並みな大都市ではなくヨーロッパの成熟したハブ都市・アムステルダムを移住先に選ぶ俯瞰の効いた視座。

音楽によるコミュニケーションを、人間同士の感応の次元から解き放ち、大自然とコネクトしてゆく超・身体性。

芸術間のミクスチャーは悠に越え、知・情・テクノロジー・自然、を掛け合わせてゆく、「新しい共感域」の常なる追求。

一方、原点であるフリー・ジャズのステージでは、屈強な体躯の欧米人を打ち負かすほどの強烈なオーラを放つ。2000年、リスボンの夏。前衛ジャズのフェスティヴァル ”Jazz em Agost” にて、ペーター・ブロッツマン ”Die Like a Dog” のステージに居合わせた。ご存知、「マシンガン」ペーターのほか、ベースはウィリアム・パーカー、ドラムスはハミッド・ドレイクという猛者揃い。近藤のエレクトリック・トランペットは、濃厚な圧で野外会場を満たした。ステージに登場する瞬間から演者が纏(まと)う特殊な空気。実際は一番小柄である近藤の存在が、誰よりも大きく、強靭なのだ。野蛮かつエレガント。刹那、「ステージ人とは何たるか」を直球で見せてもらった。百の言を弄するよりも雄弁に。

毒・華・土性骨—これらを兼ね備えるステージ人は稀有である。
アーティストにとって最も大切なのは唯一無二の個性だが、近藤の音には一聴すればたちどころに誰だかわかる強烈なビートと香気がある。巧い/下手で語る次元が霞(かす)む毒性。その衝撃は、視覚よりもはるかに速い。

時は巡り2020年春、畏れ多くも近藤本人から「新譜を聴いてくれ」と連絡を受けた。“Love the Earth Project”。古希を超え、寂たる境地も得たかのようにみえた風貌の近藤等則の音楽には、しかしながら毒の華がまだまだ咲き誇っていた。災害への政府の後手の対応に怒りを駆り立てられたIMAバンド名義『Live Typhoon 19』、青い地球に生まれた魂への讃歌であるソロ『Born of the Blue Planet』。怒りと祈り、創造にとって最も根源的な表裏一体が、きわめて近藤らしいどぎつさで差し出される。出したい音に一切の妥協がないからこその軋みや痛み。音の粒子が内包する広大な宇宙。「個」のフィーリングが、時には地球とシンクロし、時には放擲(ほうてき)されるに任せる気風の良さ。

近藤等則の音や言葉を拾ってゆくと、その先見性に驚愕する。誰よりも先取の人。その弛みなきアウトプットは壮絶だった。ドラッグで早逝したミュージシャンが「太く短く」のドラマティックな生として伝説化されがちだが、速密度を引き合いに出すのなら近藤等則の右に出る者はいまい。ひねることも気取ることもなく潔く、ブレることなく、より大きな何かとがっつり四つに組む。男性ファンが多いのも頷ける。

近藤等則のヴァイブレーションはまだまだ旋回している。姿は消してしまったが、地球そのものに組み込まれてしまったかのような。従って、月並みに「ありがとうございました」や「安らかに」で締めることはしない。こうした常套句こそ本人に最も似合わないものであるし、世界のどこかでまたその気概に遭遇できるような気がするからだ。それが張り合いでもある。(*文中敬称略)

<追記>
“Love the Earth” の延長線上に着手したのが、“Beyond Corona” プロジェクトである。コロナが収束を迎えるまで毎月8 trackづつ、近藤直筆のシリアルナンバー入りの100枚限定で刊行していく予定だった。9月末に発売の最新盤 “Beyond Corona 5 -日本の秋-“はCDは現在完売状態だが、引き続きBandcampでダウンロード購入が可能だ(下記リンク)。深部から躍りでるビートが静寂と融和していく、自然への畏怖を呼び起こすサウンド。日本人の古来からのDNAをしっとりと骨身で再認識する音色である。

https://tkrecordings.bandcamp.com/album/beyond-corona-volume-five?fbclid=IwAR05UlexYh1wA_k1MfXGZg4Jb4TQIH2J70wQXuQt8F7qs8J65rNl1PeX59w

https://tkrecordings.bandcamp.com/

また、すでに収録が完了していた “Beyond Corona 6″は、菊地康幸氏ら近藤とゆかりの深いスタッフやミュージシャンの手により、制作進行中である。続報を待たれたい。

伏谷佳代

伏谷佳代

伏谷佳代 (Kayo Fushiya) 1975年仙台市出身。早稲田大学卒業。幼少時よりクラシック音楽に親しみ、欧州滞在時 (ポルトガル・ドイツ・イタリア) に各地の音楽シーンに通暁。欧州ジャズとクラシックを中心にジャンルを超えて新譜・コンサート/ライヴ評、演奏会プログラムの執筆、翻訳などを手がける。

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