『近藤等則は、チベタンの青空と太陽のニューラルネットワークへ』 artist オノ セイゲン

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text by Seigen Ono 小野誠彦

「死ぬために生きてんだから。ハッハッハッハ」 黒田征太郎
10月18日黒田征太郎×中村達也ライブペインティング at enoco  3’43

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最後となってしまったのが、2016年4月16日(写真:沼田くん@Hot Buttered Club,2016年4月16日)

『空中浮遊』 近藤等則 チベタン・ブルー・エアー・リキッド・バンド(1983年)
『大変』近藤等則 & IMA(1984年)
『METAL POSITION』近藤等則 & IMA(1985年)
『コントン』近藤等則 & IMA(1986年)

ぼくが初めて近藤等則さんに会ったのは『空中浮遊』のリミックスだった。
帰国後初のレコーディングでミックスも終わってカッティングの段階で、コンちゃんが「俺の音はこんなんじゃない!」とNGを出して。渡辺香津美さんの推薦で急遽、僕がリミックスすることになった。Jazz Tokyo Kenny Inaoka さん(当時はトリオレコード)に会ったのもその時かな。(1983年)

1984のベルリン・ジャズフェスティバルでは、PHOTO & REPORT: Seigen Ono(26歳)
パリ→ロンドン→ベルリンと電車移動してたんだ、やるなあ。生意気で拙い文章ですが貴重な記録なので、Jazz Life誌からこちらに掲載させてもらいました。ペーター・ブロッツマンはじめ、近藤等則(35歳)の世界。

       

コンちゃんの頭の中にはいや頭の上には、いつもチベットの青い空と太陽があって(だって最初のメジャーアルバムが『空中浮遊』ですよ)、IMAバンドを結成し、東京から世界に発信すべく『大変』(1984年) では、ハービー・ハンコック『Rockit』(1983年)をプロデュースしたビル・ラズウエルを起用。ぼくも録音エンジニアとして『大変』『Metal Position』『KONTON』まで参加。六本木のSEDICスタジオ、ビルのやり方で最初にリズムトラックを録り、ソロだけをダビングしたりする。ソロパート吹き出すと録音であること忘れて瞬時にバックも一緒にやってる気分に切り替わる。フリージャズと同じ全員同時録音が当たり前の感覚、小節数なんか数えない。パンチアウトすると「オノちゃんなんでテープ止めるんや?」「バックテーマ消えちゃいますから」コンちゃんにはテープ録音は合わないと確信した。

1985年に、ジョン・ゾーン、アート・リンゼイを最初に日本に連れてきたのもコンちゃん。 山木秀夫、レックを加えて「ファイブハンドレッドスタチューズ」というバンドで東京、名古屋、大阪を回った。初めて麻田浩さんとも仕事。ここから僕はラウンジ・リザーズ関係など、東京に住んでいながらニューヨークへ、そしてブラジルへ通い出したのだった。

コンちゃんがトリオ、ポリドール(JARO)、エピックとメジャーレコード会社を渡り歩いた時代は、我々は(というかメジャーで出す全ての契約アーティストは)売れる音楽を作るのが大義名分である。利益をもたらさない売れない音楽はいい商品ではない。売れないと次はない。エピックではIMAレーベル総合プロデューサーとして『コントン』からは世界展開まで目指したはず。「3年くらいかけて全貌を表すような、徳川300年間、日本人て鎖国していたわけで(略)僕はもう正体不明になってしまったからね。自分の正体は何なんだろうと探って行ったら、正体不明だってのがよく分かった。」というインタビューがサンレコの86年7月号に3ページにわたって出ている。今読んで妙に納得。バックナンバーがオンラインで読める時代。サブスクですけど。

「サウンド&レコーディング・マガジン」1986年7月号が近藤さん表紙でした。「会員になると全バックナンバーが読める」
https://t.co/KlfjgzJ33Y?amp=1

『TAIHEN』と『Metal Position』がドイツJAROから発売され、1番の思い出は1986年5月、IMAバンドヨーロッパツアー。ドイツを中心にスイスなど40日間30コンサートだったか。旅程のコピーが一部出てきた,。アムステルダムに着いたその日にランチタイムに広場の目の前に止めているワゴンから楽器が盗まれた。翌日、今ちゃんは地元知り合いを頼って、その盗難楽器が売りに出されてないか探しに行ったのだった。たまに見つかるらしい。ステージに上がる時は、演奏する前にギャラをキャッシュで受け取り、楽屋でなく楽器ケースで自分の手元に置く。旅ミュージシャンの基本である。「お金は後からでいいよ」と言うのは日本人だけである。

17.5.86 Internationale New Jazz Festival Myers
18.5.86  Jazz Festival Willisau (スイス)
19.5.86 Bruchhausen-Festival
20.5.86
21.5.86 DETMOLD DORY MUSIC HALL
22.5.86 BERLIN LOFT WINDSCHELDSTP
23.5.86 NURNBERG Open air concert
24.5.86  (リヒテンシュタイン)Schaan
25.5.86 off
26.5.86 Düsseldorf Junge Aktionsbunne
27.5.86 Recklinghausen FLEXI
28.5.86 HANNOVER Pavillion
29.5.86 HAMBURG Fabric
30.5.86
31.5.86 AACHEN University AUDI Max
1.6.86 オランダ, Festivals in Haarlem
2.5.86
3.6.86 Stuttgart
4.6.86
5.6.86 Hildesheim Be bop
6.6.86  Kassel Universität Gesamthochschule
7.6.86 Wupzeueg Stadttheater
8.6.86 Frankfurt Historisches Museum
9.6.86 Munich,  Alabamahalle TV,
続く

そして。コンちゃんはいつの間にかアムステルダムに引っ越した。2002年あたりに僕は家族がアムステルダムに居て、ダム広場にある高級デパート、バイエンコルフ(De Bijenkorf) の、まさかシーツ売り場でコンちゃんと出くわすとは!引越しでシーツが必要だったらしい、そこは鮮明に覚えている。

その後のコンちゃんは、
アムステルダムから東京に帰ってきてからは、ソロなんかもやってたようだが、全然会ってなかったのは後悔してももう遅い。最後となってしまったのが、2016年4月16日(写真:沼田くん)あの時も、近況というより自分で好きなだけリズムトラックをコントロールして、今はこんなセットで音を出してる、というような話をしたかな。あれだけ商業スタジオレコーディングの常識を知らなくとも、自分の出したい音色をはっきり分かっているので、機材を自分で組み上げて、作るのが正解である。マイルスともサッチモとも違う、気持ちのいい自分の音を求めて「地球を吹く」に行き着いたんでしょう。「自分が気持ちいい音をつくる」という進化だけは最期まで止まらなかったね。いまはチベタンの青い空からブッダといっしょに「地球を吹く」を実践しているのでしょう。はたまた電通かデジタル庁のVRの中の世界へ行ったのかもしれない。そこにいる感がすごくないですか?

音楽はもともとは、祈りとか弔いとか、農業、祭り、宗教の場にあり、自然と共存し、誰でもが必要とする伝承、伝統的で、庶民のもので、それはお金を払わなくてもいいもので、どこにでもあった。まあ今もあるか。いつからかコンサートホールに入るのにもお金を払い、商業音楽、イベントとして産業の一部になったのが現代社会。ここ100年くらいの商業音楽、売るためのレコード・インダストリー、デジタル、巨大スタジアム・イベント、100人ではなく1000人、1万人とかオリンピックとか、人と人が出会ってのセッションや経済活動は、いみじくもコロナのせいで全部止まってしまいました。ぼくのスタジオも商業音楽の端くれを扱っているので、日銭が売り上げで稼げず、見事に近所の居酒屋、お気に入りのレストランと同じ運命である。会社を潰さなないようにもがきながらもお金を稼ぐのは横に置いといても、音楽家はみなプロアマ問わず変わらないのは「自分が気持ちいい音をつくり続ける」これしかない。83年から89年のぼく自身の活動にはコンちゃんを中心に、ただしすごく影響を与え合ってるニューラルネットワークのような偶然のリアルな人脈があった。それはコロナでどんなにデジタルやVRが進化してもリモートやテレカンでも音楽は作れるけどあの感じにはならないな。コンちゃん!まさかの信じられないニュースやなあ。お釈迦さまのところへ、か。チベタンの青空と太陽のニューラルネットワークからいつでもどこでも交信できる。

オノ セイゲン

https://columbia.jp/seigenono/
http://www.saidera.co.jp/seigen.html

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Tibetan Blue Air Liquid Band ‎– 空中浮遊
発売:1983

• Producer – Kenny Inaoka* Toshinori Kondo
• Mixed By –  Seigen Ono at  Tamco Studio
•Drums – Cecil Monroe /  Electric Bass – Rodney Drummer /  Electric Guitar – Kazumi Watanabe / Percussion – Sabu Toyozumi / Trumpet– Toshinori Kondo
• Recorded at Chestnut Studio, Japan, June 19 -23, 1983
• Engineer – Masahiro Terada

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Toshinori Kondo ‎– China Boogie

発売:1984?

• Producer – Toshinori Kondo
• Co-producer [Rhythm Tracks] – Bill Laswell
• Engineer – Seigen Ono
• Mixed By – Aki Ikuta, Seigen Ono
• Mastered By – Kazuie Sugimoto (JVC)
• Other [Special Thanks To] – Kenny Inaoka & Chinese Opera Theatre
• Photography By – Eiichiro Sakata

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Toshinori Kondo ‎– 大変 Taihen
発売:1985 Polydor  / Germany 1985

• Producer – Toshinori Kondo, Masa Marumo
• Mixed By – Bill Laswell, Seigen Ono
• Recorded and  Mixed At – Sedic Studio
Drums – Cecil Monroe / Electric Bass, Voice, Guiro [Güiro] – Rodney Drummer/ Electric Guitar – Taizo Sakai, Yoshinori Teramae, Reck / Guest, Percussion – Kiyohiko Semba / Tape [Tapes] – Bill Laswell / Backing Vocals [Background Vocal] – Rika Tanaka, Fusako Fujimoto*

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Toshinori Kondo & IMA ‎– Metal Position
発売:1985 Polydor  / 1986 JARO

• Recorded and Mixed At – Polydor Studio, Tokyo
• Engineer, Mixed By – Seigen Ono

Drums, Percussion – Hideo Yamaki / Electric Bass – Rodney Drummer / Electric Guitar – Taizo Sakai / Electric Guitar, Voice, Synthesizer, Percussion – Reck / Synthesizer, Piano, Soprano Saxophone, Voice – Haruo Togashi / Trumpet, Voice, Percussion, Producer – Toshinori Kondo
Toshinori Kondo & IMA ‎– KONTON
発売:1986 Epic

Produced for Material /Bill Laswell
Recorded at CBS/Sony Roppomgi Studio, Tokyo,
• Recorded By – Seigen Ono
Additional recording at Quadrasonic Studio, New York City

• Engineer [Additional Recording] – Rob Stevens
Mixed at Post Logic Studio, L.A.
• Mixed By – Dave Jerden
Mastered at Capitol Records, L.A.
• Engineer [Mastering] – Eddy Schreyer

Bass, Producer – Bill Laswell / Drums – Hideo Yamaki / Electric Guitar – Taizo Sakai /  Electric Guitar, Bass– Яeck (Friction) / Keyboards – Haruo Togashi
Changgo, Kkwaeng’ Gwali– Kim Duk-Soo (Samul-nori)*
Fairlight Programming] – Nicky Skopelitis / Trumpet – Toshinori Kondo


オノセイゲン Ono Seigen
1984 年に JVC よりデビュー。 87 年に日本人として始めてヴァージン UK (アーティストとして 3 枚)、ヴァージン・ミュージックパブリシング(作家として 10 年)と契約。同年、コム デ ギャルソン 川久保玲から 「誰も、まだ聴いたことがない音楽を使いたい」「洋服がきれいに見えるような音楽を」 という依頼によりショーのためにオリジナル楽曲を作曲、制作。 アート・リンゼイ、ビル・フリゼール、ジョン・ゾーン、マーク・リボウ、 フレッド・フリスら、80年代のNYダウンタウン・シーン最精鋭たちが結集した『COMME des GARÇONS SEIGEN ONO』は、ファッション、広告、建築、デザイナーの間で再び注目されている。『Olive Tree for Peace / Seigen Ono』『Maria and Maria / Seigen Ono』 『Memories of Primitive Man / Seigen Ono and Pearl Alexander』(2015年 Sony Music Japan Int’l)ほか多数のアルバムを発表。 ニューヨーク、サンパウロ、リオデジャネイロ、パリ、ミラノ、東京で録音された『Bar del Mattatoio(屠殺場酒場) / Seigen Ono』はカエタノ・ヴェロ-ゾが寄せたライナーノーツも話題となる。2019年度 ADCグランプリ受賞。

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