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このディスク2020(海外編)No. 273

#03 『Masayuki Takayanagi=Nobuyoshi Ino with Masabumi PUU Kikuchi / Live at Jazz inn Lovely 1990』
『高柳昌行=井野信義 with 菊地雅章 /ライヴ・アット・ジャズイン・ラブリー』』

text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌

NoBusiness Records NBCD 135

Masayuki JoJo Takayanagi 高柳昌行- guitar
Nobuyoshi Ino 井野信魏- bass
Masabumi PUU Kikuchi 菊地雅章- piano

1. Trio III  18:04
2. Duo I (Takayanagi – Ino) 15:21
3. Duo II (Takayanagi – Ino)  11:53
4. Trio I 20:57
5. Trio II 11:10

Track 1,4 & 5 improvised and composed by M.Takayanagi, N.Ino and M.Kikuchi / Track 2 & 3 improvised and composed by M.Takayanagi and N.Ino.
Recorded live by SONY TC-DM at jazz inn Lovely, Nagoya, Japan, October 9th, 1990
Gigs produced by Katsuhiko Kawai 河合勝彦
Tapes provided by Koujiro Tanaka 田中康次郎
Mastered by Arūnas Zujus at MAMAstudios
Design by Oskaras Anosovas
Cover photo ©1980 Tatsuo Minami (Masayuki Takayanagi & Nobuyoshi Ino@Moers, West Germany, 5.26, 1980)
Booklet photos from private collections
Produced by Takeo Suetomi 末冨健夫Kojirou Tanaka and Danas Mikailionis
Co-produced by Valerij Anosov


このコロナ禍の今年、めげずにCDを出し続けていたのは(僕の知る限り)、ドイツのECM、スイスのINTAKT、それにリトアニアの NoBusinessだった。ドイツはメルケルの手腕で拡散防止に成功したからECMは全員出社していたが、スイスとリトアニアはかなり大変だったようだ。NoBusinessは本業は公務員で、ふたりのうち相方が病気欠場したなか日本の音源を3タイトル同時、しかも2タイトルはCD+LPだったからね。その上、秋にはモントリオールからアルトのフランソワ・キャリリールがアンコール・ツアーをやるというので、去年の山猫軒での演奏を5月に急遽リリースしてもらった。結局、アンコール・ツアーはコロナでキャンセルになってしまったけど。サックスのリューダス・モツクーナスも9月にせんがわJazzArtからツアーに出る予定だったがこれもコロナでキャンセル。2018年の来日ツアーのCDリリースは来春に延期になった。
フランワ・キャリリール(as)、纐纈雅代(as)、不破大輔(b)、井谷享志(ds)の山猫軒のライヴ『Japan Suite』は海外での評判が良くレヴューがあちこちから届いた。続く12月にリリースされた3タイトルは ChapChapシリーズの第2期10タイトルの第1回発売。原盤はすべて、防府のChapChap レコードからライセンスされたもので以下の3タイトル;
1,『デレク・ベイリー=高木元輝/Live at FarOut, Atsugi 1987』
2.『豊住芳三郎=マッツ・グスタフソン/北斎』
3.『高柳昌行=井野信義+菊地雅章/Live at Jazz inn Lovely 1990』
第1期の10タイトルと違い、この3タイトルはChapChapレコードのオーナー末冨健夫さんが他所でライヴ収録された音源を受け入れたものである。1は厚木の「Far Out」、2は稲毛の「キャンディ」、3は名古屋の「ラブリー」。発売に至る経緯と苦労を知るものにとってどれか1枚を選び出すのは至難の技だが、心を鬼にして高柳=井野のデュオに菊地がゲスト参加した1990年の名古屋ラブリーでの演奏を推したい。高柳昌行の苛烈な生き方については晩年の高柳をサポートし未亡人の許可を得た上でこの音源の公開に踏み切った田中康次郎の解説に詳しい。ベースの井野信義とのデュオは長く続いた珍しいケースで井野の人柄と何よりが双方がそれぞれの音楽性を理解し、信頼し合っていたからに他ならない。ゲストで参加した菊地雅章との関係は微妙でふたりの性格を知るものには充分納得がいくだろう。高柳の主治医であり菊地の庇護者でもあったドクター・ジャズこと内田修の配慮があっての共演であることはいうまでもない。ふたりは1960年のジャズ・アカデミー、1962年の新世紀音楽研究所の同志であり、1972年の『菊地雅章&ギル・エヴァンス・オーケストラ』には菊地の声がけで高柳がギタリストとして参加する間柄であったのだ。高柳は1991年6月23日、58歳で病死するのだが、高柳の死期を知っていた主治医の内田修は死のふた月前まで高柳に演奏の機会を与え続けた。4月7日の自身が主宰する名古屋の定例コンサート「ヤマハ・ジャズ・クラブ」で渡辺貞夫に<Tokyo Dating><One for JoJo>を書かせ、渡辺に加え、渋谷毅、井野信義、富樫雅彦というベスト・メンバーを集めて送り出したのだ。この時の演奏は『内田修ジャズコレクション /人物VOL.1 高柳昌行』に井野信義とのデュオ演奏共に収録されている。
演奏はデュオ2曲を挟んでトリオによる演奏が3曲収録されているが、すべて即興演奏。曲の配列は演奏順ではなくCD1枚をドラマに見立てた流れになっている。高柳が没する半年ほど前の演奏だが長年連れ添った井野がコントロール・タワー的役割を演じている。ジャケット写真は1980年の西独メルス・フェスでのショットだが、南達雄(山猫軒)が珍しく高柳のおどけた表情をうまく捉えている。
死の数ヶ月前(だったと思う)に新宿・安田生命ホールで開かれたリサイタルで高柳は、「最近なんだか急にCDが出たり(『4月は残酷な月』を指す)、コンサートを開いてもらったりいろいろあって俺も最後なのかなあと思ったりしてる」と自身の死期を悟ったような挨拶をしたのを思い出しながらこのCDを聴いている。

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稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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