RIP Stanley Cowell : A Universe of Music by Ethan Iverson
追悼 スタンリー・カウエル:宇宙ほどの音楽

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text by Ethan Iverson イーサン・アイヴァーソン

スタンリー・カウエルほどの本格的ジャズ・ヒーローといえる人物はそう多くはいない。

カウエルが初めて脚光を浴びるようになったのは60年代後半、タフなNYCシーンの実力者たちと共演していた頃のこと。1968年にリリースされたマックス・ローチのアルバム『Members, Don’t Get Weary』(Atlantic 1968) は、ローチの最高のアルバムの一枚で、新旧が見事にミックスされた内容を持つ。なかでも、初めてのカウエル印ともいうべきオリジナル曲<Equipoise>が収録されており、ゆったりしたモーダルなハーモニーを伴ったいぶし銀のような対位的メロディが特徴だ。

同じ頃、カウエルはボビー・ハッチャーソンのアルバム『Spiral』(Blue Note 1968) と『Patterns』(Blue Note 1968) に参加しているが、この頃はハッチャーソンがハロルド・ランドとモード・ジャズの探求をしていた頃に当たる。

ハッチャーソンのアルバムでは同じようなラインナップの(ピアノはチック・コリア)『Total Eclipse』(Blue Note 1969) の方が知られているが、これは『Spiral』と『Patterns』の発売が遅れたことにもよるのだろう。噂によれば、マイルス・デイヴィスがハービー・ハンコックの後釜にカウエルかコリアのどちらを据えるべきか悩んだそうだ。ハッチャーソンの意見は、ヴァーチュオーソ・ソロイストとしてのコリアとカウエルの実力は伯仲しており、マッコイ・タイナーかハービー・ハンコックかと同じようなチョイスになるというものだった。『Total Eclipse』のオープナーの名曲<Herzog>ではコリアのピアノが素晴らしいが、同じ<Herzog>では圧倒的な演奏を聴かせるカウエルのビデオがある。これまた甲乙つけ難いのだ。

ハッチャーソンとランドがコンビを組んだアルバムのなかでもっともアブストラクトなテーマを提供しているのはドラマーのジョー・チェンバースで、チェンバースはハッチャーソンとともにカウエルの初期のリーダー・アルバム『Brilliant Circles』(Freedom 1969) にも参加している。ちなみに、この頃、彼らはヨーロッパのアトーナル(無調)なクラシック音楽に強い関心を示していた (チェンバースの兄弟 Talib Rasul Hakim は著名な作曲家であり、カウエルはとてつもない楽曲 <Placements>にソロ・ピアノで参加しているが、この曲はのちにDTMであちこちでカバーされることになる)。タイロン・ワシントンsaxの『Brilliant Circles」に収録された名曲<Earthly Heavens>は、真摯なブラック・ジャズ・ミュージシャンたちが演奏してきた60年代の高度なモダニズムの最後を飾るものだった。この曲は僕の生涯のお気に入りだ。(ちなみに、バンドには他にウッディ・ショウtpとレジー・ワークマンbが参加している)。

70年代初頭、カウエルはチャールズ・トリヴァーtp手を組み、今日では数少ないアフリカ系アメリカ人が所有するジャズ・レコードレーベル、ストラータイーストを設立。セシル・マクビーbとジミー・ホップスdsとカルテットを組み ダウンタウンのクラブ Slug’s で録音された2枚のアルバムは、混沌としたポスト・コルトレーン期を代表する記録であり、ピアノ・ソロはじつに素晴らしいものである。 <Drought >は深い空間の中で始まるが、すぐに音楽は燃えるようなスウィングに変化していく。ジミー・ホップスはあまり知られてはいないが、素晴らしい演奏を披露している。。

60年代後半から70年代前半にかけて、このタフで活発なNYCのブラック・ミュージックには多くの前進がみられたのだが、やがてシーンは一変する。Slug’s でのリー・モーガンtpの射殺事件がシーンに壊滅的な打撃を与えたのだった。数年のうちにストラータ・イーストは活動を停止した。目を覆う光景が広がっていった。いくつかの先頭集団は電化バンドとなりロック・ビートを取り入れたりもしたが、他の多くはシーンを去っていったのだ。
技術的にカウエルは興味をそそられる奥の手を持っていた。カウエルが子供の頃、あのアート・テイタムp が故郷のトレドに立ち寄り、カウエルの家族のために <You Took Adavantage of Me>を披露してくれたのだ。カウエルは、マッコイ・タイナーやハービー・ハンコック、アヴァンガルドに関する知識に劣らず、オールド・スクールのスイング・ピアノにも興味を失ってはいなかった。カウエルは時にはその名人芸を複雑な方法でモダン・ジャズに取り込むこともしたのだ。一例をあげると、”ミラー・インプロヴァイジング” ともいうべき奏法、クリフォード・ジョーダンのアルバム『Glass Bead Games』のなかの驚異の自作曲<Cal Massey>で彼はピアノの鍵盤を完全にシンメトリー(左右対称)に演奏しているのだ。つまり、耳を澄ませて聴くとカウエルの左手が右手を同じ動きをしているのが分かるはずだ、しかも逆方向に。(ちなみに、このアルバムのベースはビル・リーでドラムスはビギー・ヒギンスという素晴らしいカルテット)。

テイタム流の名人芸のさらなる一般的な手法はストライド・ピアノである。ジャキ・バイアードやローランド・ハナのようにカウエルもまた涼しい顔をして”普通の”ジャズ・ギグの最中にストライド・ピアノにジャンプすることができた。最近マーク・ストライカーから仕入れたばかりの情報では、カウエルは一種のアヴァン・ラグタイムとでもいうべき奏法でマリオン・ブラウンas の『Three for Shepp』(Impulse 1966) のなかの <Spooks>でレコーディング・キャリアをスタートさせたというのだ。

カウエルはこの古風なアプローチを、ポピュリスト的な傾向を持つ現代のブラックミュージックで和らげるように気をつけていた。彼のゴスペル・ソロのいくつかはこの形式の最高の例にランク付けされている。J Dillaは、カウエルのピアノソロ・アルバム『Musa : Ancestral Streams』(Strata-East 1974) のなかの <Maimoun>をサンプリングすることになるだろう。

トリヴァーと別れてからのカウエルはヒース・ブラザースやロイ・ヘインズと旅に出ることが多かった。どちらのバンドでも、カウエルは Xファクター的存在で、他に何が起きているかによって、バンドをより現代的なものに引き込むことができたり、よりオールド・スクールなものに引き込んだりすることができた。1977年のセシル・マクビーbとヘインズdsとのアップテンポな <Dr. Jackle>では、カウエルのフレーズはよりビバップ的だったり、より強力にモーダルだったりしたが、スイング時代の何かをまとったアヴァン風なものも散見された。

カウエルがソロで演奏するときは、彼は通常、叩きつけたコードから”立ちのぼる”メロディを紡ぐやり方は言うまでもなく、テイタムからタイナーまでのすべてを取り入れた<ラウンド・ミッドナイト>のラプソディックな演奏をしていた。1993年のトリオの演奏では、ベースとドラムが入ってきた後、カウエルは左手でメロディを弾きながら、右手ではトップで激しいクラスターを叩いていた。(私が聞いた他のジャズ・ピアニストの中で、この種のことをよくやっていたのは、バッド・プラスのピアニスト=かくいう私本人だけだったと思う)。

晩年、彼はツアーに出るのやめ、優れた教育者になった。しかし、だからといってカウエルが練習をやめたわけではない。若い頃にスキルを手に入れた多くのピアニストは、どこかの時点でその過酷な訓練をやめてしまうものだが、カウエルは逆により厳しい訓練を課していったのだ。タルス・マティーンb、ナシート・ウェイツdsとの素敵な後期のレコード『Dancers In Love』(Venus 2000) には、エリントンのタイトル曲の素晴らしい演奏が収録されている。


私とスタンリーはちょっとした知り合いに過ぎないのだが、私が彼にジェイソン・モラーンのクルーとアルバムを作ることについて尋ねると、笑みを浮かべながら「タウラスとナシートは汚れのない魔法だったよ」と言った。

スタンリーは、私が1991年にバンフのワークショップに参加したときのピアノの教師だった。なかでも私の記憶に残っているのは、彼が、チャーリー・パーカーのブルースの最初のコードはメジャー7th(ドミナントが当然ということではない)のはずだ、と指摘したことで、それは信じ難い啓示だった。

後年、彼がハーレムのナショナル・ジャズ・ミュージアムで私たち大勢 (テッド・ローゼンタール、アーロン・ディール、エフード・アシュリー、クリスチャン・サンズ、ジェイコブ・サックス、アダム・バーンバウムら) に加わって、ジェームス P. ジョンソンの <Carolina Shout>を演奏する機会があったた。私はスタンレーを最後にプログラムしたが、彼は言語の基本的な理解力という点で、他のメンバーよりも優れていたので、それは賢明な判断だった。


私は、このささやかな投稿を締めくくるために、最後の段落をどうすべきか、まとめは、最後の締めはどうしようか、なにか本当にポジティヴなフレーズをひねり出そうと1時間もこのページを見つめていた。アメリカのジャズ界の巨匠が亡くなった時にはいつもそうなのだが、またしても私は恨みつらみに取り憑かれている。カウエルの遺産が豊かであるように、ヨーロッパの才能ある(そして経済的も恵まれた!)作曲家と同じように実力を発揮しつづけられるフィードバック・ループを構築しながら彼はもっと社会から愛と感謝を受けるべきだったのだ。それでも、最高のレコードが残っているので、これからの世代は、ひとりのピアニストがいかにして宇宙全体の可能性を指揮することができるかを見る機会には事欠かないと言えよう。(訳責:稲岡邦彌)

2020年12月18日
*イーサン・アイヴァーソンのブログ「DO THE M@TH」の投稿を本人の許可を得て訳出しました。
https://ethaniverson.com/2020/12/18/rip-stanley-cowell-a-universe-of-music/


Ethan Iverson イーサン・アイヴァーソン
1973年ウィスコンシン州生まれ。ピアニスト、コンポーザー、ジャズ批評家。2001年から2017年までThe Bad Plusのピアニストを務める。2017年、ECMからマーク・ターナーとのデュオ・アルバム『Temporary Kings』、トム・ハレルを含むカルテットで『Common Practice』をリリース。菊地雅章の『Black Orpheus』(ECM)の解説を執筆。

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