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R.I.P. チック・コリアNo. 275

(アーカイヴ)チック・コリア、その素顔 by promoter 斎藤延之助

text by Nobunosuke Saito 斎藤延之助

ある一流日本人ジャズマンに「寄せ集めの名人」と評され、念願とする「より多くの聴衆とのコミュニケーション」を批判された「リターン・トゥ・フォーエヴァー」のリーダー、チック・コリアは去る一月来日し、念願通り各地の公演でつめかけた聴衆と充分にコミュニケートして離日したが、以下はその大成功にも決して自己を見失うことなく素朴さと夢を保ち続けた彼、チック・コリアに関するリポートである。

前述のようにチック・コリアが念願する「より多くの聴衆とのコミュニケーション」は単に音楽上の希求ではなかった。彼を駆りたてるもの、それは彼が信奉する応用哲学(アプライド・フィロソフィー)、サイエントロジーなのである。実際、二年程前に波がサイエントロジーの発唱者、ロン・ハバード氏と知り合ってからマイルス・デビスとの共演時代、そしてサークルでの活動の時期における深刻かつ陰鬱なチック・コリアと完全に訣別したのである。今日のチック・コリア、それは何というハッピー・ガイであろうか。この複雑、深刻な今日の世界に在って、そこに生きる人々をあえて信じきろうとする彼、一見現代のドン・キホーテとも思えるチック・コリアはしかし音楽というオール・マイティーともいえる武器を持っているのだ。

各地における超満員あるいはそれに近いコンサートの終了後、サインを求めて楽屋につめかけるファンの数は近年来日したジャズ・グループの中ではとびぬけて多かった。そしてチックはそうしたファンのひとり、ひとりに心からのほほえみをなげかけながらサインした。この記事の読者がチックのサインをもらった方だったら彼の暖かく、きらめく瞳を覚えていらっしゃるでしよう。そう、あれがチック・コリア自身なのです。——レコード会社、楽器屋、主催団体等からまとめて持ちこまれる色紙等へのサイン、彼はそれを拒もうとはしなかったけれど歓迎していなかったのは事実である。彼が真に望んでいたものはファンと肩を接し、あるいはたがいを見交しながらするサインの場だった...何故ならそれは最も素朴なファンとのコミュニケーションの機会だからなのだ。

今度の公演旅行で感銘をうけた点のひとつにコンサートに先だってのサウンド・チェックなる仕事があった。チックはそれぞれのコンサートの前に最低一時間半を費して各楽器のサウンド・バランシングに没頭したのだ。もっともこの楽器が聴こえない、あの楽器が聴こえないというあまり、各楽器のマイクのボリュームが最高に達してしまい、東京の初日第一部ではエレクトリック・ビアノの音が割れてしまうといった事態が起きてしまったようだが、それは早速チックに対して指摘され、以後は適切な音量に押える配慮も充分になされた。美しい音、バランスのとれた音の集合体に深い関心を持つチック・コリアは、「この次の日本訪問には必ずサウンド・マンを連れて来て万全を期す積りだ。」と語ったものだ。

それにしてもチック・コリアのコンサートの熱っぽさは特筆ものでファンと一体になったそのエキサイティングな演奏はしばしば三時間の畏きに及んだ。京都会館でのコンサートが終りに近づいた時、私はステージの下にある楽屋にいたが、突如として起ったドロドロという津浪のような上方からの音に驚かされた。ステージのそでに走った私が発見したのは熱狂した葱衆の足踏みと最前列にむらがった人連のステージをたたく姿であった。この強烈なアンコールの要求に対して「マトリックス」が演奏きれたがその熱演がますます聴衆をエキサイトさせてしまい、遂には司会の久保田高司さんにお願いして終演のアナウンスをしていただいてその場をきりぬけたのであった。

本紙の編集長、杉田君が「リターン・トゥ・フォーエヴァー」のメンパーにぶつけた質間のひとつに「ソロ・パートの少い点に不満はないのか?」というのがあった。ところがジョー・フプレル、スタンリー・クラーク、アイアート・モレイラの面々(フローラ・プリムは欠席)は全く同意見であったのである。だからモレイラの意見をここに引用しよう。——私がこのグループに入って学んだことは集合休による音楽創造のすばらしさという点です。このグループにもソロの場はあります。しかし他のグループの従来のいき方と違って、ソロをとるプレイヤーは常にサイドのミュージシャンの関心とサポートを得ることができるのです。それはソロをとるプレイヤーを刺激し、よりすばらしいプレイを誘発するのです。

チック・コリアの日本料理愛好度は一般の想像以上といえる。なにしろ彼の滞日中に一日として欠かさなかった食物は刺身、味噌汁、お新香、米飯なのである。アイアート・モレイラも刺身が好きで、京都ではホテルの近くの魚屋でまぐろの切身を買い、部屋に戻ってかねて用意の醤油とわさびをそえて食べたという位なのだが、チックのそれはとびぬけているといえよう。彼はうにからなまこまで食べてしまうし、福神漬などは好物のレパートリーの中では最右翼におかれている程なのだ。チックの離日にあたって私はインスタント味噌汁五〇袋(二五〇杯分)を贈り、大変感謝されたが、その時チックは、「三ヵ月位でなくなっちゃうだろうね。手紙出すから追加を送ってう。くれるかい?」といったものである。(プロモーター)

*本稿は、JAZZ誌 #17(spring 1973)  「特集 l チック・コリア」に寄稿されたものの再録である。
斎藤延之助はジャズ・プロモーターとしてニューJBCの代表取締役を務め、ジョン・コルトレーンを始め多くのジャズ・ミュージシャンを招聘した。

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