ジャズを聴かない橋本君へ~自分語りに終始した追悼文。

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text by 剛田武 Takeshi Goda

長い間「ジャズ」というものに曰くいいがたい違和感を感じていた。40年近く前にアルトサックスで見様見真似のインプロヴィゼーションを始めた当初から、大学のジャズ研やジャズ系のライブハウスにどうにも馴染めない疎外感を覚えた。大学の先輩からは「フリーとかぬかす前にチャーリー・パーカーを極めてから出直してこい」と叱咤されたり、「フリージャズには偽物が多いから気を付けろ」とご神託を賜った。ライブハウスの即興セッションでは、エリック・ドルフィーもどきの共演者が拍手喝采される一方で、サックスのマウスピースだけをピーピー吹き鳴らしながら会場中を歩き回る筆者のパフォーマンスは冷淡な無反応で迎えられた。勿論筆者の被害妄想に過ぎないが、それ以来、ジャズという特権階級に反旗を翻した、というと大げさだが、ジャズとの接点を持てなくなったというのが正しいかもしれない。大学を出て音楽関係の会社に入ってからも、自分がジャズ好きだということを人前で話すことはなかった(それは地下音楽に関しても同様だが)。好きなフリージャズのミュージシャンは何人もいるし、特に阿部薫や高柳昌行、デレク・ベイリーやエヴァン・パーカーには大いに憧れるが、彼らの音楽や言動に時折現れる「ジャズ的なもの」には畏怖の念と共に反感を覚える自分がいる。では筆者が抵抗を感じる「ジャズ」とは何なのだろう?

橋本孝之君は2017年の筆者とのインタビューで「普通のジャズに関しては面白いと思ったことが一度もないですし、いまだに全く興味がありません」と語っている。そして「お手本とされる海外のプレイヤーのように演奏することが評価される」ジャズを「自ら進んで定型に収まるような卑屈なスタンス」と看破し、自分が考える芸術とは「もっと生身の人間を、まるごと曝け出したようなもの」だと宣言する。そう、筆者が覚えた違和感は自分自身を表現するために定型=チャーリー・パーカーやエリック・ドルフィーを模倣することで本物と称することを善しとするジャズの掟に起因するのかもしれない。偽物と呼ばれても構わない。橋本君のように生身の自分をまるごと曝け出す表現を選びたい。

2012年元旦に橋本君から届いた.esのCD『オトデイロヲツクル』を聴いて筆者がブログに書いたレビューの一節を引用しよう。「私はフリージャズには2種類あると思っている。ひとつはオーネット・コールマン、アルバート・アイラー、サン・ラー、山下洋輔トリオ、高柳昌行ニューディレクション、渋さ知らズのようにジャズの基本を押さえた上でインプロヴィゼーションを繰り広げるもの。これを祝祭的フリージャズと呼ぼう。もうひとつはデレク・ベイリー、スティーヴ・レイシー、阿部薫、吉沢元治、浦邊雅祥のようにジャズの概念を一旦捨ててよりフリーな精神で自己の音饗を作り上げるもの。これを孤高的フリージャズとする。.esのサウンドは明らかに後者である」—甚だ怪しい分析だが、読んだ橋本君は「まったくその通り」と共感してくれた。

メールとSNSでやり取りをして親交を深めるうちに、2013年7月3日に橋本君から「アルトソロの音源が出来ました!」とCD-Rが送られてきた。期待して聴いてみたのだが、どういう訳だか集中できない。聴いていても、ふと気づくと気持ちが逸れている。これはどうしたことか、と思い.esの出たばかりの新作『darkness』(2013)を聴いてみたところ、20数分間ずっと集中できた。次に浦邊雅祥のソロを聴いてみたら、やはりどっぷりのめり込んで聴けた。さらに阿部薫、これは凄い。一音聴いただけで入り込んでしまった。橋本君への返事は、上記の経緯を説明しつつ「聴き手の注意が散漫になるのは、ここに録音された音の“意志”が感じられないからです。長い演奏ですが、流れが曖昧で気紛れに任せた、(たいへん失礼な表現ですが)垂れ流しに聴こえます。橋本さんの練習風景を知るには貴重な音源ですが、“作品”として提示するのは如何か、と思います」という、よくぞここまで身も蓋もない物言いを演奏者本人に向かって言えたものだと、当時の自分を抹殺したいほど傲慢な内容だが、阿部や浦邊と比較したくなるような「定型的な演奏」に感じてしまい、許すことができなかった。絶縁されても文句を言えない暴言に対して、橋本君の返事は「正直、すべて言い当てられてしまった、という気持ちです」という真摯なもので、この音源の出版は中止すると書いてあった。その1か月後の2013年8月27日にギャラリー・ノマルで橋本君が録音し作り上げたソロ作が『COLOURFUL – ALTO SAXOPHONE IMPROVISATION』(2013)だった。そこには阿部や浦邊はもちろん、誰との比較をも許さない、冷徹なほど屹立したアルトサックスがモノトーンの色彩を放っていた。それは筆者の意固地なジャズへの被害妄想を突き崩し、贖罪として筆者は自分語りに始まるディスク・レビューを書くに至った。

2014年4月に橋本君が東京に単身赴任してからは、プライベートでも交流を持ち、音楽の話だけでなく、仕事や家族の話もするようになり、酒を飲まない筆者とコーヒー一杯で長話に付き合ってくれた。知り合いのミュージシャンは少なくはないが、正直言って筆者のような音楽ヲタクとは別の人種に思えることが多い。特にライヴの打上げの席では酔いに任せた馬鹿話が多く、音楽の話を期待すると失望することが多々ある。橋本君もお酒好きだったらしいし、ミュージシャン同士でどんなノリで付き合っていたかはわからないが、筆者は勝手に「こっち側の人」だと思っている。少なくとも筆者と一緒の時はそうだった。だからKito-mizukumi roberという筋金入りの異能バンドに参加したことは意外だったし、スカートを履いて珍妙なダンスを踊る橋本君の姿に「無理をしないで」と勝手に心を痛めていたことは彼には伝えていない。

2017年に筆者が主宰するDJイベント「盤魔殿」にゲスト出演したのをきっかけに、2019年からDJ+サックスのデュオとして共演を始めた。無駄な装飾が削ぎ落された橋本君のサックスは、ミュージック・コンクレートや物音ノイズのレコードとの相性がバッチリだった。彼の演奏に感化されて筆者の表現欲求が刺激された。大阪時代に橋本君が尺八にサックスのマウスピースを付けた楽器を使っていたことにヒントを得て、フルートにサックスのマウスピースを付けて、40年前と同じように出鱈目インプロヴィゼーションを再開した。「ジャズ」への負い目を気にすることがなくなったのは、年齢と環境の変化もあるが、ジャズを聴かない即興演奏家の橋本君のおかげでもある。2020年の緊急事態宣言以降に何度か二人でスタジオに入ってセッションをした。橋本君はサックスは使わず、エレキギターを金属で擦ったり叩いたりして爆音を鳴らした。「他のミュージシャンと共演するときのような緊張感無しでやれるから楽しい」と言ってくれた。彼と一緒だと筆者の拙い表現欲求が無理なく解放される気がした。

2021年春に大阪へ帰ってから約1か月経った4月21日、今思えば彼の52歳の誕生日に突然電話が来て病気のことを聞いた。励ましたくても何を書いたらいいのか迷って筆が進まず、結局当たり障りのない近況報告の最後に「大阪でセッションしよう」と締めくくった手紙を投函した翌日、それを読むことなく橋本君は天国に召された。

ねえ、一緒にスタジオで作った音楽を他の人に聴かせても構わないかな?

失われたものの大きさを悔やむより、分かち合ったものの大きさを噛み締めながら、そろそろ自分語りを終えるとしよう。(2021年5月25日記)

*自粛中に立ち上げた自主レーベル“Les Disques Du Daemonium”から2021年4月16日にリリースしたコンピレーションCD-R『盤魔殿 Flashback ~Disque Daemonium Live Archives 2019-2020』に、「DJ Necronomicon(剛田武)+橋本孝之」と「UH(内田静男、橋本孝之)+剛田武」のライヴ音源が収録されています。

Bandcamp

剛田武

剛田 武 Takeshi Goda 1962年千葉県船橋市生まれ。東京大学文学部卒。会社勤務の傍ら「地下ブロガー」として活動する。近刊『地下音楽への招待』(ロフトブックス)。 ブログ「A Challenge To Fate」、DJイベント「盤魔殿」主宰

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