友の死 by 林聡
text by 林聡 Satoshi Hayashi
僕の数少ない友の一人であるタカボン(橋本孝之)が5月10日に亡くなった。20年以上勤めた広告会社を早期退職して人生のリスタートを切ったところだった。僕とはドットエスの結成の少し前からの付き合いで、僕の会社が美術を扱うということで、彼はその活動にも興味を持ち合わせてドットエスの活動としても、かなり深く付き合うようになる。うちに来る時には社員にアイスクリームのお土産を持ってくるなど、できすぎた性格だった。タカボンのアルバムタイトルは全て僕がつけた。彼に頼まれたわけだが音から直感的に思いついた言葉だったのだが全て受け入れてくれた。ドットエスについても同様だ。こんな音楽ではまだダメだ、どうすべきかといつも話し合っていた。音楽の内容自体やスタイルやコンセプトについて。僕の仕事柄そしてもう一人のメンバー、ピアニストのsaraもうちのスタッフということもあり、いつも現代美術は彼の念頭にあった。売れない現代美術と売れない前衛音楽の真の価値を分かち合い、その中でもがいていたように思う。彼は向上心も旺盛で多くの資格を有した。それをその目標のために活かせると信じていた。ある日、早期退職の話を聞かされて、大阪で我が社(ノマル)を一緒にやっていきたいという。でも給料取れないから何かインカムは別に考える。僕にとってはありがたい、嬉しい話である。社員も皆楽しみにしていた。オフィスをシェアしようとか友人たちが色々助けてくれそうだと言っていたけど、少しゆっくりしたらと話していた。しかし彼のこと、膨大な引き継ぎ業務の最中、就活にも励んでいた。東京から大阪への引っ越しも済んだある日、また作戦会議中にメールが届き、外資系広告会社の支社長に内定が出たということだ。そのままお祝いということになり僕たちの前途は洋々である。その後少し体調を崩したとは聞いていた。saraはその後のタカボンの様子を知っていた。1ヶ月ほどであるが、体調を崩し病院通いの僕に何も話すことは出来ず、彼に対しても僕のことを黙っていた。僕が聞いたのは今日から酸素吸引が始まったというタイミングであった。驚くまもなく翌日彼は亡くなった。今思うのは、彼と一緒に目指していたことを続けていきたい。それはドットエスとしての音楽活動やギャラリーを超えた何かだ。
上記はFacebookにあげた文章だがJazzTokyoということでドットエスとNomart(ノマル)について補足しておく。
2009年、フラメンコの教室でたまたま会った3人(タカボンとsaraと僕)はバンドをしようという事になり、フラメンコ繋がりだしスペインのドメインから.es(ドットエス)と命名した。橋本は一人で公園でサックスを吹き鳴らしていた、saraはクラシック音楽教育を受けてその後ロック等にも手を出していた、僕は少しはギターを弾いていたけど、ジャンルを超えた新しいことをしたいという2人の希望から、コンセプトメーカーでディレクターという立場をとった。
暗中模索の僕たちはフラメンコのパルマ(手拍子)を打ち込みでやったり、タカボンは作詞作曲しギターで弾き語りもした。いきなり数件のライブハウスに呼ばれたりしたが徐々に活動はギャラリーノマルに限定して、タカボンも楽器をどんどん持ち替えるのではなく、サックス中心になってきた。楽器をならべることがパフォーマンスではないのだ。しかしパフォーマーであり芸術家であることを目指した。売れない美術家と売れない前衛音楽奏者にタカボンは未来がないと感じていた。そしてギャラリーノマルの作家を愛してくれた彼は、全ての作家がもっと社会的にも十分な状況になれるはず、また自分たちの音楽に関しても同様に思っていた。何が足らないのか、何をすべきか、その答えは必ず見つかると信じ、大阪に帰って一緒にやろうと話していたのだ。音楽や美術という括りを超えて夢想していたと思う。ドットエスという名前は彼の想いと共にこれからも形は変われど続けていく。タカボンの最後のソロアルバムChat Meのジャケットアートに使った作家は当時25歳の若手女性作家だ。僕が将来どうなりたいか聞いたら彼女はレディーガガのようなステージに行きたいと答えた。なんだかわからないけどすごい。ドットエスは何になるのか。タカボンは何を夢想していたか。
僕にはわかる、だからこれからも共に…林聡
林聡 Satoshi Hayashi(ノマル・ディレクター / .esプロデューサー)
大阪教育大学教育学部美術学科卒業後、1989年に株式会社ノマルの前身である「版画工房ノマルエディション」のディレクターに就任。1994年にデザイン編集スタジオを設立し、作品制作や出版にデジタル技術をいち早く導入。1999年よりギャラリー開設(現 ギャラリーノマル)、2009年より前衛音楽のレーベル/発信拠点も稼働。
30年以上に亘り現代を生きるアーティスト達との共創を続け、ノマルは「稀有なアーティストの交流拠点」「奇跡の実験工房」と評される。
Nomart(ノマル):Nomade(遊牧民)+Artの造語。決まった形をとらずに、根っこは張り巡らしても定住せずにあらゆることにチャレンジしていくという姿勢を表している。