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R.I.P. 橋本孝之No. 278

五日市街道には「グンジョーガクレヨン’16」が鳴り響く  by 奈良真理子

text by Mariko Nara 奈良真理子

うそとしか思えなかった訃報は、うそじゃなかった。
茫然とした。毎日茫然としていた。
こんなとんでもないことが起こったときは、自然に消えるまでしっかり茫然としたり驚いたり納得しなかったり嘆いたり怒ったり泣いたり混乱したりしたほうがいいのだ。たっぷりそれをしないと、たぶん何かとよくない。
今はまだそういう状態なので追悼の言葉を書く段階ではないのだが、書いたら状態が変わるかもしれない。書いてみます。

’18年11月、橋本孝之氏と剛田武氏が私の営んでいた小さな古道具屋に突然訪れた。むさ苦しい店なので焦った。勿論店だから誰が来てもいいんだけど古道具目当てのお客でないと焦るのだ。後日橋本さんは他の人にアンティークショップと言い換えていて笑ったが、彼らしい。おしゃれなのが好きなんである。
「阿部薫の話が聞きたい」と言う。
橋本さんのCD「colourful」はすでに持っていて「出自のわからない、突然現れた宇宙人のようなアルト」と思っていたので、「は?」だった。阿部薫とどう繋がるのかさっぱりわからなかった。あとになってあのCDは出来るだけ阿部から離れることを意識していたと聞いたのだった。
この時「signal」「asia」「曖昧の海」「グンジョーガクレヨン’16」「sound drops」などをいただき、いちいち驚愕したのが橋本音楽にハマる始まり。
そのほとんどは仕事で走る五日市街道の車内で初めて聴いた。強力な体験だったので、今でもそこを走るたびに脳内で鳴り響くのです。

全く同じ頃、ほかの友人にも「kito mizukumi rouber」をもらい、これにも盛大に驚愕した。なんて鬱なお祭り音楽。あらかじめ懐かしい、と感じたのは無意識に求めていた音楽だったということだろう。
友人はすでにkitoのライブも.esのライブも行っていたので、後になってこのお二人を引き合わせることが出来て今はほんとによかったと思っている。二人の横で私の知らない固有名詞ばかり飛び交う音楽談義を聞くのが大好きだった。

音楽馬鹿。私にとって彼を一言でいうならそれである。
話した内容の95%は音楽についてだった。(後の5%は剛田さんとアイドルのサイン会に行った話とかお父上の影響で銃が好きという話とかジャクソン・ポロックの話とかララランドの酷評とか)
そしてそのほとんどが阿部薫の話だった。そんなに好きだったのか。
ハーモニカの時は立ってたか座ってたか、ギターはスライドのように聴こえるが器具は使ってたかまで気にしていた。細部は気にするが、阿部のおおもとの「切実に音楽をやる」というマインドと音色の美しさはしっかり受け継いでいてブレのない人だったと思う。阿部と違い人当たりのよい人だが「自分はちょっと違う」と思ったことは絶対やらない頑固さがあった。
そしてそれが可能なのは他の仕事で収入を確保しているからだと。なのに「趣味で音楽やっている」と誤解されるのだと愚痴ったりもした。

アルトもギターも一音でも気にくわない音は出さないと決心しているかのようだった。美意識を崩さないという意味で、極めてスタイリストだと思う。でもハーモニカの時だけは情動的で時々阿部が憑依しているように感じた。ハーモニカってどこか特殊な楽器なのだろうか?

阿部薫のCD「ラストデイト」はハーモニカが一番すごい、次がギターだと言ったので、アルトはもっといいのがあるのよと
doubtmusicのCD「19770916」の元になったテープ起こしを聴いて貰ったらとても喜ばれたので、後日それが発売になった時ライナーはぜひ橋本さんにとお願いした。その後の文遊社「阿部薫2020」といい、ほんの僅かだが共通の関わりが出来たのはとても嬉しい出来事だった。

ジャズは知らない、といつも言っていた(帽子がガトーみたいねと言うとその場でガトーを検索した)が、チェット・ベイカーのある盤を勧めてきたり一番好きなギターだと言ってローレン・コナーズ(!ベイリーやキース・ロウじゃなかった)をくれたり、私にピアノのお勧めは?ギターは?と訊いてきて、パウエルとタル・ファーロウがよかったと言ったりするので、「ジャズは聴かない」もどこまで本当かよくわからない。ジャンルとしてのジャズには興味がないということだろう。興味がないから飄々とジャンルを横断する。実際、彼ほどジャズの音癖から解放されているアルトは世界でもいないのではないだろうか。
情動と覚醒の切り替えが速い。感性と理性の均衡がずば抜けていいのだろう。
そしていつも全力だから、彼には.esもソロもkitoもUHも同じくらい大事だということがわかる。聴けばわかる。

お酒が好きだったので一緒に飲みにも行ったが、仕事先の骨董市にも来てくれた。隣の店で売っていたアコギを手にとり、ロンリーウーマンのパッセージをちらっと弾いていたずらっ子のように笑ってみせた。
kitoでロンリーウーマンやりたいと言ったとか。その提案はどうかと思うけど!


彼の人柄も音楽も一筋縄ではいかない。まだまだ汲み取っていきたいと思わせる広さがあった。

「宇宙人のようだ」と思ったり「人間だった」と思ったり「やはりこの人間離れした感じは宇宙人か」と思ったり。
天然の善意。人にも世の中にも。
天然かな?獲得した?
ある日「そうだ彼は白痴のムイシュキン公爵なのだ」と膝を打ったので、そう言ったらピンと来てないようだったけど。

東京を離れる直前の日曜日、吉祥寺の焼鳥屋に行った。
すっかりライブをやめてSNSの投稿もしなくなって心配していたあるミュージシャンに引越しの挨拶メールをしたらすぐ返信が返ってきたのでお元気だったと言って、二人で喜んだ。
なのにね。まさかね。

橋本さん。

別れる時は必ず体を折って挨拶される、会った翌日は必ずお礼のメールをくれる律儀さと、他のミュージシャンの方々に率直に助言を求め、そのやり方を学びそれを考え続け、その上で自分のやり方を変えない頑固さを、ほんとうに愛していました。
どうか安らかに。
あなたのような率直さで人と関わり善意とユーモアのオーラを振りまいて周りをしあわせにしたいけど、出来ません。

‘21.5.某日



奈良真理子
  Mariko Nara
北海道小樽生まれ。青山学院大学文学部中退。札幌でジャズ喫茶「AYLER」(ほぼ’70年代いっぱい)、国分寺で古道具屋「上海リル」(’90半ば〜’2018)を経営。現在も古物商。

 

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