アーカイヴ:サッチモと佐藤有三(1970)

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text by Yoshio Koizumi 小泉良夫
photo by Yuzo Sato 佐藤有三

佐藤さん、最高の「サッチモ・ポートレート」をありがとう!
写真家、そして“伝説のプリンター” 故佐藤有三氏を偲んで…
──友子夫人が語るありし日の思い出

外山喜雄・恵子夫妻共著の写真集『聖地ニューオリ ンズ 聖者ルイ・アームストロング』(冬青社刊)の巻頭を飾ったサッチモ、そしてルシール夫人とニューヨークの自宅でくつろぐ貴重なポートレート計5点。写真集を手にされた方々は、これらサッチモの何とも人懐っこい笑顔に心を奪われたことだろう。これらの作品は、数多くのジャズマンを撮り続けてこられた写真家、故佐藤有三氏(写真上)の会心のショット。それらがこの写真集の出版にあたって改めて“発掘”され、いままた佐藤氏の諸作品に賞賛の声が集まっている。これらの傑作を残された佐藤氏って、いったいどんな方だったのだろう。前号でもちょっぴり紹介させていただいたが、友子夫人が我々とも身近な千葉・松戸市にいらっしゃるので、「この際、ありし日の思い出など、いろいろとお伺いしましょう」と、外山夫妻ともども、またまた友子夫人をお訪ねした。 (小泉良夫)

友子夫人の家庭料理店『アマポーラ』はまさに佐藤氏の個展会場!?
サッチモ、コルトレーン、エリントン、ガレスピー...
会心のショット!“究極のモノクロ” 壁いっぱいにジャズマンのポートレートが並ぶ

新京成電鉄「常盤平駅」から徒歩3分ほどの線路沿いにあるレストラン『アマポーラ』。ここが友子夫人と愛娘の真純さんが開いている、おしゃれな可愛らしい家庭料理のお店(注:当時。現在はコロナ禍もあり閉店)。近くには公団住宅「常盤平団地」の棟々が連なり、街路にはソメイヨシノの桜並木が続く。我々がお訪ねした3月24日は、桜見物にはまだちょっぴり早かったが、外山夫妻は「わーっ、今度ぜひここでお花見がしたいですねえ」。

友子夫人が温かく迎え入れてくれたレストラン店内は当然、佐藤氏撮影のジャズ・ミュージシャンのポートレートがずらりと並ぶ。1 枚、2 枚...35 枚! すべてモノクロ。 これらの写真は、いずれも2005年6月、東京・港区麻布十番のギャラリー東京映像で開催された『「ジャズ ポートレート」佐藤有三』展の秀作を一堂に集めたもの。「当時一緒にお仕事をしていた会社(ライトパブリシティー)の目羅勝さんが、ちょうど主人が亡くなって10年目に、この写真展を開催してくださったんです。その時の写真をちょっと小さくしてここに飾っています。ええ、主人は、カラー写真はいっさい撮っていないんです。モノクロ写真ばかり」。サッチモ、コルトレーン、エリントン、ガレスピー...。なるほどカラーではとても表現できない、“究極のモノクロ”が際立つ。

㈱ライトパブリシティーで腕を磨く  几帳面さが買われた?面接試験

佐藤氏が当時勤務していた会社は㈱ライトパブリシティー。東京・銀座に本社を置く、日本で初めての広告制作専門の会社(1951年に設立)で、クリエーターの育成に力を注ぎ、篠山紀信さん、和田誠さんら数多くの鬼才を輩出している。佐藤氏もこの社の扉をたたいた。入社(1959年)の際の面白いエピソードを友子夫人が披露してくれた。

佐藤氏=1939年(昭和14年)8月28日、東京都品川区生まれ=は、都立工芸高校の夜間で学びながら、㈱細川活版(1955年入社)で印刷の仕事をしていた。その仕事では飽き足り なかっ たのか、時代を先取りしていたライトパブリシティーへの入社を決意する。「 面接試験があって 、その面接会場へ入ったら、もう写真機材やら何やら部屋中に散らかっていたそうです。とても几帳面な性格の主人でしたから、面接の合間にそのあたりを片づけて回ったらしいんです。そんなことで、試験に当たっていた方が『カメラマンの助手としては、もってこいではないか』って。それで採用になったんですって」

CMの仕事の合間にジャズマンを追いSJ誌など音楽雑誌に作品を持ち込む

几帳面...いや、とてつもなく「きっちりとした仕事ぶり」が、佐藤氏を支えていたに違いない。入社後、東京オリンピックの一連のポスター(共同製作)などで知られる早坂治氏のアシスタントなどをする傍ら、60年代前半からジャズマンのポートレートなどを撮影、『スイングジャーナル』(以下、SJ誌)などの音楽雑誌に持ち込んでいた。

「あの当時、仕事以外に個人的には何をやってもよかったようです。ですから主人もCMのお仕事以外に自分の好きなジャズ、ジャズマンのポートレートの撮影を続けられたんでしょうねえ」。こうした会社の理解もあっての佐藤氏だった。個人的な “芸術的発露” で来日したアーティストを追っていたある日、SJ誌から「サッチモ生誕70周年記念で特集(7月号)を組みたい。ニューヨークの自宅へ廻ってもらえないか。(評論家)野口久光さんが一緒に伺うことになっ ている」との依頼が来た。佐藤氏は、サッポロビールのコマ ーシャルの撮影の仕事で、たまたまニューヨークへ出張す ることになっていた。「ちょうどいい機会。願ってもないこと ...」と、きっと佐藤さんは、この白羽の矢が立ったことに歓 喜したに違いない。1970年5月のことだった。

「男は黙ってサッポロ...」の時代 NY行きの白羽の矢が立った!

当時のSJ誌編集長は、現評論家の児山紀芳氏(注:当時。2019年逝去)。 友子夫人は、なんとこのSJ誌で仕事をされていた。 「ジャズは高校生のころから聴いていたんです。卒 業して編集の専門学校に通うようになった当時、友達 のお兄さんがジャズのレコードを沢山持っていて...」 と、ますますジャズにのめり込んでいき、ついにはSJ 誌に入社。佐藤氏とはここで顔を 合わせるようになり、1977年に 結婚する。「掲載された写真が1 枚800円とか言っていた時代で した」。ちなみにこのSJ 誌7月号 は定価300円だった。 それにしても、この1970年前半のサッポロビールと言えば、三 船敏郎さんをイメージキャラクタ ーに抜擢した「男は黙ってサッポ ロビール」のテレビCM が一世を 風靡していた時代。佐藤氏がそ んな時代をときめくサッポロの、 どんな仕事でNYまで出かけたのかは、友子夫人には聞 かされていなかったようだ。

自宅療養中のサッチモがそこに... ルシール夫人とのツーショット!!
©1970 Yuzo Sato

1970年5月15日、佐藤氏は、ジャズ評論の第一人者、 野口久光氏(故人)とともにNYクイーンズ区にあるサッチ モの自宅を訪ねる。サッチモは当時、体調を崩して自宅 で静養中。それでも大分、回復して再起が待たれていた 時だった(注:サッチモは1971年7月6日逝去)。SJ 誌によると、両氏はにこやかなルシール夫人 の出迎えを受けてサッチモの待つ2階の書斎へ。野口氏 が来意を告げ、お見舞いの言葉を述べると、サッチモの 笑顔がはじける。佐藤氏は愛用の一眼レフのシャッターを 押し続ける。 「主人は、いろいろと相手に話しかけながらシャッターを切るというタイプの人ではなかったので、ファインダーをのぞきながら静かにシャッターチャンスをうかがっていたんでしょうね」と友子夫人。

 

SJ 誌に写真10枚10ページ特集佐藤氏に優しく応えた“聖者”

この10ページにもわたる『SJ誌』(7月号)の特集に掲載された佐藤氏の写真は計10枚。うち7枚にサッチモがとらえられている。いかにも自宅でくつろいでいるといった感じのサッチモの優しく、明るい笑顔...子供にかえったようなはにかんだ表情を見せているものもある。撮影している人の優しい、柔和な性格がサッチモの心を開き、こんな表情を引き出したに違いない。

「そう、仕事にはとても厳しかったんですが、普段は柔和なやさしい人でしたね」(友子夫人)これら一連の写真が外山夫妻の写真集をも飾ることにもなり、数多くの人たちの心を再び捉える。まずは、外山夫妻の写真集出版にあたって、これらの作品を薦めてくれた日本カメラの河野和典さん。

これを大喜びで受け入れ、自らの写真集の巻頭に載せてしまった夫妻。そして、出版にあたった冬青社の高橋国博社長。表紙デザインの石山さつきさん、編集の福山えみさん...誰もが佐藤氏の写真に惚れこんでしまった。

「こんなに素晴らしいサッチモの表情をとらえた写真なんて、これまでに見たことがありませんでしたよ」。外山夫妻の写真集を手にしたNYやニューオリンズの人たちが絶賛したのも、決して例外ではなかった。

現地ニューオリンズが飛びつき...NY サッチモハウス博物館も絶賛

現地『サッチモ・サマーフェスト』のポスターやパンフレットの作成に携わっていたアーティストたちの反応も早かった。「ワオ! なんて素晴らしいサッチモなんだ! この笑顔をサマーフェストのシンボルにしない手はないぞ!」。ポ ス タ ー 、プログラム、パンフレット、Tシャツ、バスのボディー...昨年夏、ニューオリ ンズ市 内は、いたるところにこのデザインがあふれかえっ た 。 それらの現地ルポは「会報56号」でお届けした。

波紋はさらにNYへ と 広がった。野口・佐藤両氏が取材で訪れたサッチモの自宅(現在はサッチモハウス博物館として一般公開中)では、マイケル・コグスウェル館長はじめスタッフ一同も、一様に目を見張った。

「ヨシオ!(外山さん) これらの写真がサッチモハウスでも使えるように、なんとか橋渡しをしてくださいよ。こんな願ってもない写真が日本にあったなんて、本当に驚きました」(コグスウェル館長)外山夫妻の仲介もあって、サッチモハウスでの使用は、友子夫人の快諾を得た。前述の目羅氏の手で六つ切りほどの大きさに焼かれた作品16枚が、海を渡ってサッチモハウスに急送された。「サッチモが自宅でくつろいでいる写真などは、まさに貴重なんです。ですからこれらをパネルにしてサッチモハウスを訪れた人たちに披露したいそうです」(外山夫妻)

きっとこんな風に...「みなさん、この写真をよーくご覧になってくださいね。そう、この場所なんです。サッチモとルシール夫人が、ここでこんなに打ち解けて、犬と戯れたりしていたんです。ここも当時と全く変わっていませんでしょ?ここにいま、今、皆さん方がいらっしゃるんですよ」。ほかに、これらの写真を絵はがきにして、来館者に記念品として販売したいという話もあるそうだ。ところで、こんなこともあった。外山夫妻の写真集の出版に合わせて、冬青社が外山さんの写真展を開催することになり、佐藤氏の写真も当然、会場に展示されることになった。そこでどなたかに新たなプリントをお願いすることになったのだが、プロ中のプロでかつては同僚だった目羅氏をしても、「いやいや、とても佐藤さんのようには焼けませんよ」と“敬遠”されてしまい、会場に展示された作品は佐藤氏の“オリジナル”だったそうだ。

佐藤氏はのちに独自のラボ「ラボ・シャラク」を設立(1974年)した。これも夜学時代からの佐藤氏の夢だったに違いない。佐藤氏は、業界でも“伝説のプリンター”としても高く評価されていた。佐藤氏は1995年(平成7年)12月24日逝去、享年56。写真を受け取り大喜びの NY スタッフ歓迎写真とメールが送られてきた! <サッチモハウスのビジター、スタッフと撮影した一枚...写真横のショーケースにはサッチモのトランペットが入っています。書斎での写真は、サッチモの生前からの隣人セルマ・ヘラルドさんが正装して撮影に参加してくれました。セルマさんが “ハロー”と言っていますよ! 佐藤さんの写真、正に感激です。この写真のお陰で、私達のサッチモとルシール夫人についての知識が大きく拡がりました!>(コグスウェル館長)セルマさんは、私達をとても好いてくれていて、ツアーで行くと一緒にサッチモのお墓参りにもいってくれます。今回の佐藤さんのサッチモ・ポートレート寄贈の話を聞いて、写真に収まってくれました! サッチモハウスでは、ビジターの案内をするときに、このパネルをガイドに使う予定で、佐藤夫人もとてもお喜びです。故佐藤氏、そしてサッチモ翁も天国で喜んでいるでしょう!!

ハウスの準備段階では、会員、ジャズファンの皆様に多大なご協力を頂きました!! 深くお礼を申し上げます。 2002年10月15日に立派にオープンを果たし、そして2011年にはハウスの正面に2,3階建てのビジターズ・センターもオープン予定です!!(外山喜雄)

*この記事は、日本ルイ・アームストロング協会の会報「ワンダフル・ワールド通信」No.58 (2009年5月発行)から発行人  外山喜雄代表の許可を得て転載させていただきました。記事を執筆された小泉良夫理事は、産経OBで会報の編集を担当されていましたが、2018年逝去されました。

 

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