追悼 ジョージ・ウィーン by 林 伸夫
RIP George Wein by Nobuo Hayashi

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text by Nobuo Hayashi  林  伸夫
photos by Mituhiro Sugawara. 菅原光博

世界にジャズフェスティバルを植え付けたニューヨーク・ジャズ界のドン、逝く

ニューヨーク、ウエストエンド・アベニューとリバーサイド・ドライブの間。赤いれんが造り、あるいは手の込んだ彫刻を施した石造りの古いヨーロッパ・スタイルのアパートが建ち並ぶ一角にジョージ・ウィーン・フェスティバル・プロダクションはあった。19世紀のタウンハウス、教会が集まるこのあたりは音楽の香り漂い、かつてはジョージ・ガーシュイン兄弟も近くのアパートの最上階を占有していた。
高級避暑地ニューポートにかの有名なニューポート・ジャズフェスティバルを誕生させ、それまでジャズは暗がりのジャズクラブで聴くものだったジャズを潮風吹き渡る屋外スタジアムに引っ張り出したのがウィーンだった。54年7月の第 1 回から今年までに、紆余曲折、うち何度かは中止の憂き目に遭いながら世界にジャズの楽しみを届け続けてきたのは驚嘆に値する。
1980年から81年まで私はマンハッタンに息づくJazzの香りを届ける別冊スイングジャーナル「Sounds in New York」(1981年8月出版)の取材のために半年に一度のペースで計3回ニューヨークを訪れていた。毎回3週間程度。濃密な取材スケジュールを組んでマンハッタン中のジャズクラブ、楽器店、レコードショップ、ミュージシャン、写真家、画家、FM/AMジャズステーション、ジャズレコードコレクター、劇場、スタジオをくまなく取材した。同行してくれたのはカメラマンの菅原光博氏。私がホテルから電話をかけまくり取材のアポを取って一日中マンハッタン中を駆け回る。ミュージシャンとのアポが取れず数時間空いたときは楽器屋さんに押しかけ工房まで取材させてもらった。
そんな中、ニューヨークのジャズといえば「ニューポート・ジャズフェスティバル/ニューヨーク」をプロデュースするGeorge Wein(ジョージ・ウィーンと発音する)ははずせない。ちょうどマンハッタンでのフェスティバルが終わった7月初旬、一段落したであろうジョージ・ウィーン・フェスティバル・プロダクションを訪れた。ちょうどニューヨーク市長からマンハッタンをジャズ一色に染めてくれてありがとうという感謝状を受取ってご満悦のウィーンは上機嫌で我々を迎えてくれた。

でっぷりとしたお腹周りに鷲鼻の禿頭はいかにもニューヨークのジャズ界を仕切るドンという印象だった。ここが世界中にジャズフェスティバルを送り出している拠点なのか、忙しいでしょうね、と話を向けると「そうでもないよ。来週はニースでジャズフェスティバルがある。取材に行くかい?」と電話機を取り上げ約1分後、「バックステージのフルパスを出してもらうように言っといたから」。
ウィーンが電話すれば世界中のプロモーター、ミュージシャンとは一瞬で話がつく。「で、今回のこの事務所取材はどういう扱いになるんだい」
「ニューヨークのジャズの息吹を余すところなく紹介するスイングジャーナル初めての音楽・ライフスタイルのムックです。ミュージシャンの自宅なども紹介したいんですがね」。すると、また電話を取り上げ、「あ、トニー?? 今週時間ある? スイングジャーナルのハヤ〜シサンがね、取材したいって。家に行っていい?」
それで決まりだ!! トニー・ベネットの自宅訪問が誌面を飾った。
1954年から途中中断を余儀なくされながらも続いてきたニューポート・ジャズフェスティバルは昨年、COVID-19まん延のために中止された。1年後、巻き返しを図って企画された今年7月に開かれたニューポート・ジャズフェスティバルの開幕式にはウィーンの姿はなかった。
ウィーンはオンラインで挨拶に登場し、「私はもう出歩くのもつらい。私が築き上げてきた音楽遺産を引継いでくれる人たちが居てくれることをこれで確認できた。安心した」
ウィーンはその2ヶ月後、マンハッタンのアパートでこの世を去った。享年95。安らかに眠ってください。世界のジャズの心をこれからも励ましてください。


林 伸夫(はやし のぶお)
山口県生まれ。1972年大阪大学基礎工学部卒。富士通、スイングジャーナル社を経て1982年日経マグロウヒル社(現日経BP社)入社。91年3月日経パソコン編集長、91年10月日経BPシステムラボ室長兼務、92年6月パソコン局開発長、92年10月より日経MAC編集長。98年3月パソコン局次長兼務。99年3月からパソコン局主席編集委員を務めた。ユーザーのためのパソコン情報誌「日経パソコン」ではビジネスマンがパソコンをどう使うかを啓蒙。パソコン通信、パソコン教育、デスクトップ・パブリッシング、マルチ・メディア、インターネットなど、「パソコンの新しい利用分野」を積極的に紹介してきた。引退後はITの使いこなしを手ほどきするコンシェルジェ、ネットワークを利用した遠隔装置開発などを行っている。

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