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R.I.P. ジョージ・ムラーツNo. 283

貴公子ジョージ・ムラーツとの思い出

text by Jun Yamazaki  山崎 純

 

先日、77歳という若さで急逝した長年の友人、ジョージ・ムラーツとの出会いは1974年。話題の歌姫ディ・ディ・ブリッジウォーターを擁した、人気のジャズ・オーケストラ、サド・ジョーンズ&メル・ルイス・オーケストラの一員として来日した際、私がこのオーケストラの日本側ロードマネージャーとしてツアーに同行して知り合い、当時、まだあまり英語が得意でないジョージはいつも私を頼ってくれました。
翌1975年もサド・ジョーンズ&メル・ルイス・オーケストラで来日、以後ローランド・ハナとのデュオのツアーでも同行いたしました。
その様な親しい関係でその後は、私のプロデュースでハンク・ジョーンズ主演の某電器メーカーのテレビCMに出演、演奏してもらったり、ニール・セダカの愛娘ダラ・セダカのデビュー・アルバムにも参加してもらいました。この録音では、パット・メセニーのドラマーとして名声を得た、ダニー・ゴッドリーブはその正確無比なリズムとピッチでグルーヴするジョージの演奏に感嘆の声をあげていました。(因みにこのアルバムはジャズというよりポップスより)
そして、なんといっても思い出深いのは、ピアニスト木住野佳子(きしの・よしこ)の2003年プラハで録音したアルバム『プラハ』。この時ジョージはこのアルバムの参加を快諾してくれて、しかもプラハで録音することを薦めてくれました。
(当時、弦を海外、特にプラハやモスクワで録音する事が流行りました。多分にスタジオ費を含め人件費の安さ、予算の関係と優れた弦奏者がいるという理由でした。)
そしてジョージは、スタジオ、ミュージシャン、エンジニアやホテルなどの手配を引き受けてくれました、これは私のプロデューサーとしての仕事の半分以上になりますので大変助かりました。
ミュージシャンに関して、ストリングス(4/4/2/2)は、なんとなんとチェコフィルの弦奏者達、そして木住野が一番不安視していたドラムは、ジョージ推薦のチェコ人 Pavel Zboril が参加、しかしリハで一曲目「Forest Rain」(木住野佳子作)を聴いた途端一気に不安解消、理想のドラマーでした。
このメンバー達の凄いところは、初見のオリジナル曲を瞬時に理解、把握して作者本人のイメージ通りに表現出来る事でした。
木住野はこれでリラックスしたのか、ほとんどが2take以内で順調に進み、好演が続きました。
特に、ジョージとのデュオ、B.エバンスの<Blue in green>は両者秀逸の演奏でした。
録り終えたジョージと木住野の満面の笑みが忘れらません。
録音2日、トラックダウン1日とわずか3日間で録り終えたアルバム『プラハ』は、通算20枚のアルバムをリリースしている中でも一、二を争う自慢のアルバムになりました。
また、木住野にとって初めてのストリングス・アレンジはチェコ・フィルのメンバーのお陰でクオリティの高いものになりました、さすがに弦王国チェコ。
このアルバムはジョージ・ムラーツ・プロデュースと言っても過言ではないほどお世話になりました。
そんな彼の音は、柔らかい音質の中にも輪郭がはっきりしており、特にアルコは素晴らしく、さすがにクラシックを身に付けたベーシストです。

60年代後半亡命のようにしてアメリカへ移住した彼は、長年帰国も許されなかったのですが、1993年チェコの民主化により晴れて帰国が許され、2004年に国民的英雄として凱旋記念コンサートを大統領指揮のもと開かれたのでした。この事を彼が嬉しそうに話してくれたのを今でも覚えています。
浮き沈みの激しい本場アメリカのジャズ界とチェコという国の歴史に翻弄された人生であったかもしれません。

最後に、ジョージには、こよなく愛したお酒、タバコ、女性(失礼!)以外に実はあまり知られていない趣味がありました。それは何とフライ・フィッシングなのです。私も釣りはしますが、彼はフライの達人でした。一度ニューヨーク州の北部まで釣りに連れて行ってもらいました、2泊3日の健康的な旅でした。
楽しかった!!
ありがとう、ゆっくり休んでください、ジョージ!
R.I.P
(Jun Yamazaki / 音楽プロデューサー)

 

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