鈴木勲と過ごした「Jazz精神と時の部屋」by 小山道之 (ギタリスト)

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Text by Michiyuki Koyama 小山道之

2022年3月8日(火)午前5:17鈴木勲さんが89歳で亡くなった。
この寄稿文を頼まれたのが3月24日(木)なのでそれから15日後に手始めに。

はじめまして

私が初めてOmaさんに出会ったのは2002横浜にあったJazz men clubで鈴木勲b、丈青p、安東昇b、吉岡大輔dsの時なのだが、それから色々経て(ここでは割愛しますが、)2014年6月頃からOmaさんに(アルトの松井宏樹くんが連絡くれてから)再再度呼ばれるようになり、ライブ、ツアーをまわったりするようになり、外国のJazz Festivalに出たり、諸先輩とのセッションに連れて行かれ共演させてもらったり、ステージでギターはもちろんMCをする事になったり、Omaさんの現場も一緒に車で行っていたので深く関わる事になりました。気づけば OMASOUND(鈴木勲さんのバンド)最期のギタリストとなってしまいました。

ジャズ・メッセンジャーズ「Jazz精神と時の部屋」 

特に2020年あたりから世界中に拡がった新型コロナウイルスパンデミック。日本国内で1回目の緊急事態宣言が出た2020年4月。今まで続けてきたステージでの演奏がことごとくキャンセルになり、我々ミュージシャンにも苦境が訪れました。そんな時、Omaさんから電話があり(というかそれ以前もほぼ毎日何回も電話は来ていたのですが…笑)、腕が落ちないように練習をしないといけないから一緒に練習をしようというお誘いを受けOmaさんのご自宅へ伺うことになりました。そこでOmaさんと二人っきりで練習(普通に曲をセッション)するのですが、大体お昼12時過ぎにご自宅を訪ねると、昼飯を食べに行こうという事で近所のファミレスやら蕎麦屋さんに行き食事をご馳走になり、帰りに最寄りのコンビニでデザート(Omaさんフルーツが好きだったなあ)と晩御飯みたいなものを買い込み、自宅に戻り一息つく14時過ぎから二人でアンプをセットし数曲演奏しては休みの繰り返しで、大体23時過ぎまでずっと練習を続けるという。物凄い貴重な時間(自分にとっては修行)が始まりました。Omaさんは曲が始まったら常に真剣勝負で、一瞬の隙も見せられない緊張の連続でそれが長時間続くので最初の頃は一度練習に行った次の日から2日ぐらい私は家で回復するために寝込んでいました。感染症対策にも気をつけてほぼ誰とも会わない生活をしながら、Omaさんとだけと会い練習をするという異様な時間でした。


(画像は2020/6/9「20日目」より。左側には衣装が一部ある。他に衣装部屋もある。右上部には深圳2019LOFT Jazz Festivalのポスターが見える。真ん中にはツアーの時に持って行ったこともある鈴木勲コンサートの自画像が見える)

一番長い時で夜中25:30過ぎまで練習した日もありましたからね。こっちも87歳のOmaさんが「今日は疲れたなあ、ここら辺で練習はやめにするか」というまでは負けるわけにはいかないので必死で無茶してました。Omaさんのエネルギー量は信じられないくらいすごい!!

このコロナ禍で色々な人がインターネット動画配信などを始めていたので、この練習をSNSで生配信する事で、緊張感やモチベーションの維持にもなると思いました。実際二人っきりで真剣勝負のduoやってるのに誰かに聴いてもらえないなんて…、ただそこはなんと言ってもOmaさん。
わかってるんです「俺がやったらみんな観にくるだろ?」って。
正直、自分にとってはOmaさんという巨匠から怒られたりするのもドキュメンタリー生配信なので公開処刑だなと思っていましたが、、。この配信は何回目からか洒落で「jazz精神と時の部屋」というアニメドラゴンボールの主人公孫悟空が修行をした神様の部屋からもじってタイトルをつけ、また当時「100日で死ぬワニ」という漫画も流行っていたので「100日で上達するジャズミュージシャン」というタグをつけてFBで配信をしていました。多くの人から100日目まで行くことを期待されていましたが、結果的に放送できたのは78日目までだったのは残念でした。でも今動画を見返しても後半だいぶお疲れになっていたOmaさんにすら一度も勝てませんでした。(勝ち負けではないんですが、、)


(2020年6月5日 「19日目」より、前日歩き過ぎて足が痛いというOmaさんが大量の湿布薬を貼った状態で、痛いのを紛らわす為に演奏しようと言い出し、本当に何曲か弾いたら治ってしまった一幕)

ただその練習の間にOmaさんは自分に多くを語ってくれました。ある時、「俺が演奏するのにストレスにならないようにお前を上手くする」と言われました。そこから多くのヒントをもらいました。亡くなってから渡辺香津美さんがTwitterにあげていたOmaさん追悼コメントを読んで、Omaさんはずっと昔から同じことをミュージシャンに伝えていたんだろうなあと腑に落ちました。


(驚異の87歳 「Jazz精神と時の部屋」から44日目 Alone Together)

Duoで同じ曲を1日に何回も演奏したり、何回も繰り返すうちにサウンドが出来上がっていく過程が味わえ、また色々な常識やセオリーを超越したオマさんのアイデアはどこまで行ってもお釈迦様の手の中だよという西遊記の孫悟空の話みたいな感覚を何回も受けました。

しかしそんな中、やはり外に出る機会も減り、少しづつ疲れてきたOmaさん。

東神奈川にあるINSPA横浜で昨年2021年4月30日(土)に行われたライブが最期のステージになってしまいました。

(2021年4月24日 INSPA横浜終演後。左より中山拓海as, 小山道之g, David Negrete as, 鈴木勲picc-b, 工藤精eb, 小松伸之ds)
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【お知らせ】
INSPA横浜はOmaさんがお気に入りで毎月ディナーショーライブをしていました。
Omaさんが入院した後も復帰を待ちながらspirit & music of OMASOUNDとしてメンバーが出演していました、これからも演奏していく予定なので次回は

2022年4月30日(土) INSPA横浜 ご予約・お問合せ
小山道之g,中山拓海as,楠井五月b,小松伸之ds ゲスト石崎忍as

Omaさんゆかりの映像も流れます。お運びください。また、

2022年4月19日(火) 新宿Pit Inn ご予約・お問合せ
spirit & music of OMASOUND
小山道之g,中山拓海as,小泉P克人eb,小松伸之ds

こちらも元々予定されていましたがOmaさんを偲んで。さらにOMASOUNDに関わりのある(Omaさんの長いキャリアから見たら)若手メンバー中心の有志が多数駆けつけてくれます(想像しただけで凄い)。鈴木勲さんの楽曲中心にオマサウンドによるOMASOUNDトリビュートです。是非お越しください。
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Omaさんの印象

Omaさんはとにかくオープンマインド。思いついたら瞬間でパッと切り替わってしまう。例えばさっきまで脚が痛いと言っていたのに、何かのきっかけで気分が良くなるとそれを忘れて小踊りしてしまう。これは嘘みたいだけど本当でした。多分ドーパミンの分泌量が人と比べて半端なく多い人間ではないだろうか?逆もまた然りで、具合が悪いと思うと本当に具合悪くなってしまい「死ぬかも、助けてくれ」となって救急車まで呼んでしまうのだ。昔、若い頃のトコ(日野元彦)さんに休憩中にオマさんが練習させておいて、お前のドラム聴いていたら具合が悪くなったと言って救急車を呼んで帰ってしまったことがあると言っていたが、Omaさんならやりかねないですね。

まあそんなお方だから演奏に対して厳しかったけれど、つまらない時間が少しでも長くなるとサッと次に切り替わっていく。いいことを思いついたりしても直ぐに匂いを嗅ぎ分けて進んでいく。よくなってくるとご機嫌で凄い所に連れて行ってくれる。あの楽しい顔してノリノリになっているOmaさんを見るために懸命に演奏していたなあと思い出す。その時は自分もいい演奏ができているし、バンドが良くなっている時間だからだ。

「楽譜に書いてあることを演奏するんじゃなく、その場で生きている事を弾くのだ。頭より先に手が動いくんだよ。そして自分が出した音を後から自分の耳で聴くんだ。」何遍も何遍も言われた。確かにオマさんの音楽は二次元の楽譜に閉じ込められたものではなく、3次元の立体的な音楽だった。さらに4次元の時間軸まで揺らぐ事があったから歪なアートに聴こえてた瞬間もあったと思う。しかし、どうなってもあのタッチ、あのリズムで、あのOmaさんのシグネイチャーがビシッと刻まれた極上のトーン(音色)でメロディを弾くんだから。それは最高でした。

さて、子供の頃のOmaさんは音楽と絵への興味が強い子で、将来は絵の世界へ進むのではと思っていたと妹さんから伺いました。確かに家には絵の道具やキャンバス、自作の油絵、水彩画などが多数あった。

Omaさんの絵で有名なのはソロアルバム「自画像」のジャケット。

もしかしたら絵から飛び出してきたのがOmaさんの音楽だったのかもしれない。
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「1978年の鈴木勲」
当時45歳。今の自分とほぼ同じ年齢である。この78年だけに注目してみてもOmaさんこと鈴木勲(以下Omaさん)はリーダーアルバム、プロデュース作品、サイドメンとしてもかなりの数の作品を残している。まずはリーダーアルバム、


My Spare Time 1978/2
鈴木勲、佐藤允彦、井野信義、日野元彦、渡辺貞夫、中牟礼貞則

このアルバムはFlying Discレーベルから出され佐藤允彦さんのアレンジしたストリングスをバックにOmaさんがスタンダードを歌い上げている。所謂、成功の証のようなwith Strings。泣く子もだまる豪華メンバー。1933年生まで同じ歳の貞夫さんと中牟礼さんとの共演盤でもある。Omaさんはストリングスが好きでした。

ここからOmaさんのフュージョン・ファンク・フリージャズの方向に変わっていく

ユピテルレコードという新レーベル立ち上げにあたりプロデュース作品を4作品発表している。もちろんベースも演奏している。

『宮本典子/Push』
ユピテルレコード 鈴木勲プロデュース 第1回作品
1978年3月16日,17日録音。
鈴木勲、宮本典子、笹路正徳、秋山一将、土井昭、樋沢達彦、唐木裕二、横山達治

宮本典子(現mimi)さんのボーカルで笠井紀美子さん、高岡早紀さんも録音している「My life~やりかけの人生」、リフがカッコ良い「Stella by starlight」この時の秋山さんはギターシンセシザーを導入しているのだが滅茶苦茶カッコ良い。Omaさんらしいリズムの「Push」という変形blues。「Cadillac woman」は全部で3回録音されているがこのバージョンもかっこいい!!


ユピテルレコード鈴木勲プロデュース第2回作品
『Burning Men (燃える男達)』 Burning Super Session
1978年6/5録音 →8月発売
鈴木勲、山本剛、益田みきお、秋山一将、岡田勉、岸田恵二、横山達治、大野えり

バーニングメンこのファンキーなフェスティバルのような歓声が入っているのだがOmaさんが自分で入れたらしい。「いいだろ?」って何回も言われたなあ。新しいテクノロジーを取り入れて人を驚かすのが得意で大好きなオマさんだなあ。まさに燃える男達なのだ。大野えりさんがコーラスで参加してるのを始め豪華なメンバーによる共演である。

このレコードは2019年の西日本ツアーで浜松ハーミッドドルフィンに行ったときに終演後にマスターがかけてくれたので初めて聴いたのだが「The way we were」を爆音でかけてくれて感動したのを鮮明に覚えている。でもこの日の夜に移動して大トラブルが起きて大変だったんだよなあ。(おかしな珍道中の話も尽きないがまたの機会に…)

この6月と10月の間に佐藤允彦さんがストリングスのアレンジをしてHank Jones、Ron Carter、Roy Haynesというジャズジャイアンツ達と共にリーダーアルバムを吹き込んでいる。


『Strings Band』 1978年8月
鈴木勲、Hank Jones、Ron Carter、Roy Haynes、
加藤隆、篠崎正嗣、滝沢達也、矢島とみお、小野寺武

これはまた凄いメンバーだ。Ron CarterさんもOmaさん追悼コメントとこのレコードのYouTubeリンクと共にFBにアップされていましたね。

そして、ここで以前のアルバム「Cadillac woman」「Ako’s dream」などのバンドメンバーから、よく年以降の『The Thing』『Mongolian chant』などにつながるバンドメンバーになる変化がある


ユピテルレコード 鈴木勲プロデュース第3回作品
『SOLARIS』 Burning Super Session 2
1978年10/3,4録音
鈴木勲、峰厚介、Donald Bailey、米田正義、平山恵勇、樋沢達彦、加藤崇之

ここでは峰さんがフィーチャーされている「Beautiful October」 このアルバムが10月録音なところが興味深いタイトル。「Feel Like Making Love」ではOmaさんがViblaphoneを演奏しているが聴けばオマさんだなというのがハッキリわかる。前作「Strings band」にも収録された「Avenue」も演奏されている。これがまた素晴らしい。凄腕メンバー達の演奏だ


ユピテルレコード 鈴木勲プロデュース第4回作品
『BALLOON』 HIROSHI SUZUKI & Isao Suzuki BURNING SUPER SESSION 3
1978年11/8,9録音
鈴木勲、鈴木博、米田正義、平山恵勇、加藤崇之、樋沢達彦、小宅珠美

オマさんが仲良かったと言っていた鈴木博さんのvocalを加えたアルバム。これでBurning super session三部作は終わる

しかし凄いエネルギーだと思う。

これらのレコードはCD化されていないのがほとんどなのですが、名演が収録されているので、どうか是非多くの方に聴いていただきたいです。意外に全国のジャズ喫茶やライブハウスで聴けるかもしれませんね。青春の輝きに脂の乗ってきた40代の色気がここからどんどん増していくのが時系列でOmaさんの作品を聴いていくとわかりやすいと思います。

翌年は名盤「陽光」が出たり…「1979年の鈴木勲」はまたの機会にご紹介したいです

「評論家か?お前は。」とOmaさんに怒られそうですね。

とにかく

Jazz Godfather Omaさんの残してくれた沢山の音楽を聴いて追悼しています。

いつだってOmaさんの音を聴くと背筋が伸びるんです。真剣な眼差しをいつでも思い出させてくれる。ほんとに全てに欲張りな人だったけど音楽が1番な人で最後までReal Jazz menだった鈴木勲という稀代の天才アーティストと同じ時代に少しでも関わらせていただいた事に感謝しかありません。

献杯

また今回このような追悼の機会を作ってくれたテナーサックスの森田修史とJazz Tokyo神野秀雄氏に、そして長文にここまでお付き合いいただいた読者のみなさまにも感謝しています。

それではまた逢える日まで

2022.3.26
小山道之 guitar


小山 道之 Michiyuki Koyama: guitarist
1976年長野県小諸市出身。天秤座、O型、左利き。ピアノ、トランペットなどを経て、中学生の時にギターを手にし高校ではロックに没頭する。社会学に興味を持ち明治学院大学社会学部に進学するもJazzに開眼し在学中よりプロ音楽家としてのキャリアをスタートする。ジャズを加藤崇之(g)氏、クラシックを小原聖子(g)氏に師事。またブラジル音楽に傾倒したこともあり07年に単身ブラジルに渡り武者修行をし帰国後に大手レコード会社からの依頼でTV、ラジオなどでも活動。現在は自己のバンド”Something Special Jazz Quartet”で新宿ピットインなどに出演する他に、鈴木勲(b)OMASOUNDなど様々なバンドやセッションに参加し全国のライブハウス、コンサート等で国内外多くのミュージシャンと共演している。19年に中国・深圳で行われた国際ジャズフェスティバル「2019 OCT-LOFT Jazz Festival」に鈴木勲グループのメンバーとして出演し好評を得る。また日野皓正(tp)presents jazz for kids 世田谷Dream Jazz Bandで2006-2021まで16年間にわたり講師ミュージシャンとして後進の指導にもあたる。使用ギターは Westville Guitar

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