#07 『カエターノ・ヴェローゾ /メウ・ココ』
『Caetano Veloso / Meu Coco』

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text by Takashi Tannaka 淡中隆史

SONY MUSIC(2022年1月19日

01 Meu Coco(メウ・ココ〜僕の脳ミソ)
02. Ciclâmen do Líbano(シクラーメン・ド・リーバノ〜レバノンのシクラメン)
03. Anjos Tronchos(アンジョス・トロンショス〜歪んだ天使たち)
04. Não Vou Deixar(ナォン・ヴォウ・デイシャール〜させてたまるか)
05. Autoacalanto(アウトアカラント〜自分に歌う子守歌)
06. Enzo Gabriel (エンゾ・ガブリエウ)
07. GilGal(ジウガウ)
08. Cobre(コーブリ〜銅の色)
09. Pardo(パルド〜浅黒い肌)
10. Você-Você(ヴォセ・ヴォセ〜あなた・あなた)
11. Sem Samba Não Dá(セン・サンバ・ナォン・ダー〜サンバがなくちゃ)
12. Noite de Cristal(ノイチ・ヂ・クリスタウ〜クリスタルの夜)


80歳を迎えたカエターノ・ヴェローゾ9年ぶりのオリジナル・アルバム。12曲すべてが自身の作詞、作曲という構成はめずらしい。ファーストの『ドミンゴ』“Domingo” (Philips 1967) 以来、スタジオでのオリジナルとライブだけでも50作品を超え、長いキャリアの中でユニバーサルからソニーミュージックへの移籍は大きなエポックとなる。

『メウ・ココ』

2022年1月にリリースされた『メウ・ココ』をきき返すたび、「カエターノの脳ミソ」(Meu Coco)の謎が少しずつ解けてくるのは楽しい。*1

ピカソ、マイルス、ピアソラ並みに変容を繰り返すカエターノをリアルタイムに追いかけていると、袋小路に入って迷うことがある。そんなとき、決まったように、この『メウ・ココ』や、1997年の『リーヴロ』のような決定的な新作に巡り合う。すると、それまでのカエターノのイメージが一転、大きく視界が開ける。過去の作品に潜むメタファーが解き明かされる。私にとって『メウ・ココ』との出会いはその典型で、他のアーティストでこんな経験をすることはない。

全12曲はオリジナル曲のみで共作、カヴァー曲はない。新作以外では〈クリスタルの夜〉のように過去の楽曲がある。*2

20代のルーカス・ヌネス(Lucas Nunes)を共同プロデューサーに迎え、ギター、キーボード、ベースとミキシング・コンソールを任せてしまう。前作までと同じように息子モレーノ・ヴェローゾと、彼と同世代で40代のバンダ・セーのメンバーたちも加わった。初期からカエターノを支えたヴィニシウス・カントゥリア、さらに90年代以降のプロデューサー、バンドマスターのジャキス・モレレンバウンが17年ぶりに復帰したのもうれしい。ジャキスは〈シクラーメン・ド・リーバノ〉(レバノンのシクラメン)で中東的なフレーズにアントン・ウェーベルンをおもわせる弦楽アレンジを手掛けた。他の誰にもできないアプローチだ。アルバム全体はシンプルなロック・バンド編成〜弦楽を含むオーケストラまで多彩な表情をみせる。

1990年代から現在までを振り返ると、『リーヴロ』“Livro”((Polygram 1997)、『ノイチス・ド・ノルチ』“Noites do Norte”(Universal Music 2000)および、そのライブ盤と映像作品がカエターノのエッジーで実験的な頂点だと思う。対して、『メウ・ココ』は語り口こそ優しいが、さらに次のピークが始動していることを予感させる大作だ。

民族

カエターノは自身のルーツを音楽で語る。

ブラジル人がルーツを想うとき、それは必然的にアフロ・ブラジル文化、さらにその源にある奴隷制度の歴史を遡ることになる。アフリカ性はひとりひとりの内面に潜む。父親がムラート(白人と黒人のミックス)のカエターノも内なるアフリカと対峙する。『メウ・ココ』のオープニング曲〈メウ・ココ〜僕の脳ミソ〉で、混血文化について「僕らはムラートでハイブリットのマルメート、なによりもずっとカフーソだ」と歌う。われわれ日本人には人種混淆が複雑なブラジル社会で、純粋な白人、黒人、先住民を見出すことすらむつかしい。

奴隷制度は最大の人権侵害であった反面、ブラジル文化に大きな豊穣をもたらしてもいる。カエターノはこの、痛みと喜びのアンビバレンスを言語、宗教、哲学と、アフリカ由来のリズム、ビート、音楽で複眼的に明かにする。

過去の作品でも同じ体験があった。

『ノイチス・ド・ノルチ 北の夜』*3とそのライブ盤と映像の前半はブラジルの奴隷解放史を辿る旅。冒頭の〈ゼラ・ア・ヘーザ〉は大航海の、『ズンビ』*4は「アンゴラ、コンゴ、ベンゲラ、モンジョロ、カビンダ、ミナ、キロア、レボロ」から来た人々の物語。さらに、反乱奴隷によって建国された世界最初の黒人共和国「ハイチ」*5の荒廃した現実へと飛翔していく。カエターノはその20年以上前『ビーショ』“Bicho” (Philips 1977)ですでにアフリカン・ルーツについて語り、そのテーマ性がこのライブの選曲に大きく反映した。

アングロサクソン系の人々はアフリカ系や先住民について、自分たちと対極にある存在だと考える。対して、ラテン系民族ブラジルでの想いは「人種の混淆は愛の産物」。正反対の人種意識だ。

政治

ブラジルでは現在も政治的な分断と混迷が続いている。

軍事政権時代(1964〜85)に左翼的な反国家主義を表明したカエターノとジルベルト・ジルは投獄され、1972年に帰国するまでロンドンで亡命時代を過ごした。カエターノの政治的スタンスは当時も今も変わらない。そして『メウ・ココ』は、過去の軍事政権を賛美する独裁者ボウソナロ大統領の後期〜末期に生まれた。

言語

アルバム『リブロ』(1997)のテキストでカエターノは言語について語る。

「ポルトガルが没落したために、ポルトガル語を使う僕たちは優遇されない言語圏にいる。だからブラジルはラテンアメリカの中で大きな国ではあっても、孤独な国だ」。

ふり返ると、日本は言語圏としてさらに大きな孤独を宿していないだろうか。

カエターノ体験

『メウ・ココ』の謎をひも解くために個人的なカエターノ体験をふりかえってみたい。

1970年代後半に日本フォノグラムからシリーズ「ブラジル音楽の新しい波」がリリースされた。来日したガル・コスタをのぞき、未知な音楽家たち。シコ・ブアルキ、マリア・ベターニア、カエターノ・ヴェローゾの名を初めておぼえた。

カエターノのふたつのアルバムが強く印象に残った。

『クアルケル・コイザ』“Qualquer Coisa”(Philips 1975)

『ビーショ』“Bicho” (Philips 1977)*6

いま考えると、2作ともカエターノがロンドン亡命から帰り、イノヴェーティブだった時期の作品だ。その後ファースト・アルバムに遡って10年分をきいたが、1969〜72年のロンドン時代の作品で迷路に入ってしまった。一方で、ボサ・ノヴァ・アルバムの『ドミンゴ』“Domingo”(Philips 1967)やアコースティックな『ムイト』“Muito” (dentro da estrela azulada) (Philips 1978)への偏愛はそのころも、現在も変わることがない。

1985年セルフ・タイトル『カエターノ・ヴェローゾ』“Caetano Veloso” (Nonesuch 1986)はマニャタン(マンハッタン)の2日間でつくられた。ほぼ弾き語りの、美しいアコースティック・アルバム。ここから1980年代後半〜90年代にはアート・リンゼイ*7を中心とするプロデュースワークで『エストランジェイロ』“Estrangeiro” (Philips 1989)とその後のコラボレーションが始まる。同年、カエターノを大きくフィーチャーしたデヴィッド・バーン*8のブラジル音楽コンピレーション『ベレーザ・トロピカル』(1989)がリリースされた。

日本ではこれらによって当時、新しいブラジル音楽とカエターノを同時に「発見」した世代が生まれた。ニューヨーク系アヴァンギャルド二人がロック・ファンをブラジル音楽に誘導したともいえる。坂本龍一*9が「シルクラドー』“Circuladô”(Polygram 1991)に参加した影響も大きかった。

90年代

カエターノの90年代はジャキス・モレレンバウン(Jaques Morelenbaum)との時代。*10

チェリスト、アレンジャー、バンドリーダー、プロデューサーとしてジャキスは傑出した存在だ。

1994年、スペイン語で歌われた〈粋な男〉で、レコード会社のテーマは「ヒスパニック言語圏へのマーケティング拡大」だっただろう。しかし、ジャキスの参加で作品はそんな意図をはるかに超えるものになった。キューバ〜プエルトリコ〜メキシコ〜ベネズエラ〜ペルー〜パラグアイ〜アルゼンチンをめぐる、いにしえの「はやり唄」の数々。カルメン・ミランダからアストル・ピアソラへ、ヒスパニックの脳ミソに宿るシュールな幻想をあかしていく。

続く1997年、多くの人たちがカエターノの頂点と讃える『リーブロ』(本、書物)が生まれた。エッジーなラップからフルオーケストレーションまで、ジャキスは様々にうつろい、乱反射するカエターノの楽想にイマジネーションを与え、全方位で対応できた。

『シルクラドー』“Circuladô” (Polygram 1991)(チェロ、弦楽4アレンジで参加)

『粋な男』“Fina Estampa” (Polygram 1994)

『リーヴロ』“Livro”(Polygram 1997)

『フェリーニへのオマージュ』(ライブ)“ Omaggio a Federico e Giulietta”(Universal Music 1999)

『ノイチス・ド・ノルチ』 “Noites do Norte” (Universal Music 2000)

『異国の香り〜アメリカン・ソングス』 “A Foreign Sound”(Universal Music 2004)

2006年〜2012年

『セー』“Cê” (Universal Music 2006)

『ジー・イ・ジー』 “Zii e Zie” (Universal Music 2009)

『アブラサッソ』 “Abraçaço” (Universal Music 2012)

『メウ・ココ』を聴いたあとの、フレッシュな耳でこの3作を振り返ると、かつて気づかなかった喜びが湧いてくる。なぜだろうか。

カエターノは息子モレーノと同世代の、ペドロ・サー(Pedro Sá1972〜)と当時30代のトロピカリア・チルドレン3人のバンダセー(Banda Cêセー・バンド)と組んだ。この「ロックバンドの時代」はオリジナル、ライブ、映像作品をサイクルしながら6年間も続くことになる。*11

それまでのジャキスの緻密なオーケストレーションと比べ、バンダセーの極端にシンプルな音は新鮮だったが、とまどいもした。脳ミソを支えているのホネだけだから。

続く『ジー・イ・ジー』はもともとのタイトルを『トランサンバ』(Transamba 超サンバ)として出発した異形のサンバ・アルバム。そのアイディアをオルタナティヴ・ロック・バンドに適応させてしまう。スルドも、コーラスも、和声のフォローもないスカスカの構造は究極の断捨離。そんな逆説までを使ってでも、曲の本質を表現するしたたかさはカエターノならでは。

最終作の『アブラサッソ』はさらに鋭角的だ。

いずれも「メウ・ココ後」の耳で聴いていると、自分がシンプルなバンドサウンドに想像上の和声を加えて聴いたことに気づいた。曲の構造はそれ以前も「メウ・ココ」も少しも変わっていないのに。

この6年間、カエターノはYouTubeで制作過程を発信し続け、CD〜ライブアルバム〜DVDを連作した。

こちらもさすがに息が切れてくる。

3つの「ライブ」体験

1995年ニューヨーク、リンカーンセンター(当時の)エイヴリー・フィッシャー・ホールで初めてカエターノのライブを観た。『粋な男』リリースの翌年、ジャキス以下9人のバンド。新作と今までの代表的なレパートリーを含めた2時間は夢のようだった。

オーディエンスの一方はUS在住のブラジル系、他方は新しいバックグラウンドをもつ若い人々とに分かれているようだった。カエターノがステージに登場した瞬間、双方がスタンディング・オベーションを始めた。ブラジル人とは超能力者の集団らしい。複雑な歌詞もメロディーも自然に丸暗記できるのは、他の民族にはできない芸当だ。カエターノのアブストラクトなメロディーラインを全員が歌う。コンサートで聴衆が歌い手となり、主役はステージから耳を澄ませる。

実際のライブではなくDVDでの体験。

『ノイチス・ド・ノルチ ライヴ〜北の熱い夜』“Noites do Norte”(Universal Music 2000)の翌年、2001年サンパウロでの同名のライブ盤“Noites do Norte Ao Vivo”(2001)、さらに映像作品がリリースされた。この映像体験は私のそれまでのカエターノ観を大きく変えてしまった。*12

ジャキスによるオーケストラとペドロ・サーのギター・バンドを併用。さらにマルシオ・ヴィクトル(Marcio Victor)他3人のパーカッション・グループがアフリカン・リズムの要となっている。カエターノはブラジルでの奴隷制度の歴史を語り継いで『ズンビ』、『ハイチ』に至る。

この音楽による歴史劇を観ることでカエターノの『メウ・ココ』がわかる。

 2005年5月の東京 フォーラムA

「異国の香り〜アメリカン・ソングス」 直後のツアーで、ジャキス他による大きなバンド、コンサート会場での最後のものだった。英語で歌われたパートを挟み、ジャキスとの近作をふり返り、最後にはカエターノ作品を俯瞰するレパートリーも披露してくれた。日本で行われた最高のステージだった。

カエターノとはだれか

現在もリアルタイムでカエターノの世界を共有できることは素晴らしい。

音楽のカテゴリー、人種、ジェンダーの境を超えた表現者。アジア、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパのどこにもない特異なイマジネーション。

80歳を超えて今なお闘士であり、次なる変革を予感させて生きるカエターノの美しい音楽を、遠くない未来に新しい世代が熱をもって語ることになるだろう。

再び「メウ・ココ・ワールド・ツアー」でカエターノに出会うことができるだろうか。

*1 「カエターノの脳ミソ」のなかを覗くもうひとつ方法がある。自著の「熱帯の真実」(Verdade Tropical 国安真奈訳 アステルパブリッシング 2020)。センテンスのひとつひとつは奇妙に長く、複雑だ。哲学からの引用も多く、美しい難解さをもつ。

*2 妹のマリア・ベターニアのアルバム『マリア』“Maria”(BMG 1988)収録の〈クリスタルの夜〉(Noite de Cristal)。ベターニアは『12月』“Dezembros”(BMG 1987)でアフロ・ブラジル文化のルーツを辿る〈ヨルバイーア〉(ヨルバ族のバイーア)をとりあげた。カエターノ参加。

*3 ジョアキン・ナブーコ(Joaquim Nabuco1849〜1910)の同名の「ノイチス・ド・ノルチ」による。「北(熱帯)の夜」のもとでの奴隷制度と文化の明暗が語られている。アフリカの様々な民族、種族ルーツがブラジル文化にもたらしたものは何か。

*4 「ズンビ」(ジョルジ・ベン)。アルバムでは04、ライブバージョンでは05曲目

ズンビ・ドス・パルマーレス(Zumbi dos Palmares 1655 ?〜1695)のこと。17世紀ブラジルで逃亡奴隷を組織化した、数万人規模のキロンボ(ミニ国家のような共同体)のリーダーで不死の象徴。キューバでのエル・シマロンのように、多数の逃亡奴隷たちが独立集団をつくった。のちのハイチ独立革命(1804)で世界初の黒人共和国の成立への布石となった。20世紀のアフリカ各国独立への原点

。ブラジルで10月20日は「ズンビの日」は黒人意識の日として祝日。

*5『トロピカリア・ドス』“Tropicália 2”(Polygram/Philips 1993)が初出のラップで、ジルベルト・ジルとの共作。『ノイチス・ド・ノルチ』のライブにも収録。「ハイチのために祈ってくれ、ハイチはここだ、ハイチはここじゃない」

*6 1975〜77年のカエターノの2アルバム

当時の私のボサノヴァ〜ミルトン・ナシメント〜エリゼッチ・カルドーゾといった経験値では、そもそも、これがブラジル音楽に属するのかどうかも理解できなかった。のちに『ノイチス・ド・ノルチ』のライブ映像を観ることで旧作『ビーショ』のもつアフリカ性の謎が22年ぶりに氷解。

*7 ex. DNA〜ラウンジ・リザーズ〜アンビシャス・ラヴァーズ。17歳までブラジルで暮らし、カエターノのアメリカでの通訳〜英訳詞〜共同プロデュースを行う。

*8 イギリス生まれ、ex. トーキング・ヘッズ。ロックの側から「ワールドミュージック」を確立した。カエターノとのアルバム『ライブ・アット・カーネギーホール』“Live at Carnegie Hall”(Nonsuch 2004)がある。

*9 「教授」のブラジル音楽との接点はこの時期に始まる。

マリーサ・モンチ『マイズ』“Mais”(EMI 1991)をプロデュース、ジャキス・モレレンバウン(Vc.)たちとの『1996』(Four Life 1996)、をへて、ジャキス夫妻との『カーザ』“Casa” (Warner 2001)のシリーズへとつながる。

*10 ユダヤ系ポーランド移民の第二世代。ミュージシャン、アレンジャー、プロデューサーとして、後期のアントニオ・カルロス・ジョビン、カエターノ・ヴェローゾ、カルリーニョス・ブラウン、坂本龍一などと関わる。

*11 カエターノは90年代からオリジナルアルバム→そのライブアルバム→そのDVDという3点セットをサイクルしてリリース。各々で内容や選曲が異なることも多く、フォローするのが楽しみ、かつ大変だ。

*12 どなたにも「ライブ体験」できるライブ映像の傑作。輸入盤DVDでも日本語スーパーあり。音声選択で“Japoneses”(日本語)を「日本人」と誤訳しているところから入ル。一部You Tube視聴可。


淡中 隆史

淡中隆史Tannaka Takashi 慶応義塾大学 法学部政治学科卒業。1975年キングレコード株式会社〜(株)ポリスターを経てスペースシャワーミュージック〜2017まで主に邦楽、洋楽の制作を担当、1000枚あまりのリリースにかかわる。2000年以降はジャズ〜ワールドミュージックを中心に菊地雅章、アストル・ピアソラ、ヨーロッパのピアノジャズ・シリーズ、川嶋哲郎、蓮沼フィル、スガダイロー×夢枕獏などを制作。

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