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私の撮った1枚No. 309

私の撮った1枚 #1 「上原ひろみ @浜松 2005」

photo & text by Toshio Tsunemi 常見登志夫

上原ひろみが2005年に地元・浜松での凱旋コンサートを行った時の1枚(トニー・グレイ(b),マーティン・ヴァリホラ(ds)とのピアノ・トリオ)。スイングジャーナル誌での撮影依頼だったが、当日出向くと主催者ヤマハのオフィシャルのカメラ撮影が入っており、ステージの撮影は許されなかった。わざわざ浜松まで出向いたのに、と編集担当の不行き届きを恨みながらも、客席からステージを楽しむことにした。ちょうど新しいカメラを購入していたこともあって主催者側に許可を取り、撮影をさせてもらった(たぶん、頭の1曲のみ)。なので数枚(それも上原のみ)しか撮っていない。これには後日談があって、「ヤマハから提供された写真がブレブレで使えないので、常見さん、写真撮っていませんか?」と編集者から連絡があり、実際にはスイングジャーナル誌に掲載されたのでした。

バークリー音楽大学を卒業直後にリリースしたデビューアルバム『アナザー・マインド』が20万枚というとてつもない売り上げを記録し、続いてリリースした『Brain』も10万枚に近づく売れ行きと、久々のニュースター誕生でジャズ界の話題が上原一色になっていたころだ。TBS系テレビ「情熱大陸」が取り上げたり、この撮影の前年には「東京JAZZ」 にも出演するなどレコード会社のプロモーションもしっかりしていたが、ほぼゲスト扱い。日本の主要都市を回るコンサートツアーも舞台はホールではなく各地のライブレストランだった(しかしながらチケットは完売)。この年、上原が「浜松ゆかりの芸術家顕彰者」に初めてジャズ界から選ばれたこともあって、地元・浜松の大ホールでの歓声はすごいものだった。デビュー当時はそのアクロバチックともいえるほどの壮絶なテクニックにばかり目が奪われていたが、「オーソドックスなピアノ・トリオの系譜に残る」と思い始めたころのステージだ。

同世代のメンバーでぐいぐいと突き進むピアノ・トリオではあったが、奏でられるフレーズすべてが新鮮で、“ピアノが歌っている”のを実感したものだった。その後もスイングジャーナル主催の「ジャズ・ディスク大賞パーティー」やカナダ大使館“オスカー・ピーターソン・シアター”などでのクローズドなライブや東京 JAZZ など、様々なステージでのHiromiの撮影の機会を得たが、この地元での凱旋コンサートが一番印象深い。

上原がバークリーに留学する以前(たぶんまだ10代?)、神田岩本町にあったジャズクラブ「Tokyo TUC」に出演した時の演奏ぶりを当時のオーナー、田中紳介氏から聞いていた。才ある者を見つけるのもまた、才能なのだと知った。

 

常見登志夫 

常見登志夫 Toshio Tsunemi 東京生まれ。法政大学卒業後、時事通信社、スイングジャーナル編集部を経てフリー。音楽誌・CD等に寄稿、写真を提供している。当誌にフォト・エッセイ「私の撮った1枚」を寄稿。

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