心の音楽を奏でる巨匠 Ralph Towner ハーピスト古佐古基史(Motoshi Kosako
text by Motoshi Kosako 古佐古基史
もし、ラルフ・タウナー氏の音楽との出会いがなければ、私は音楽家の道を歩まなかったでしょう。
現在はハープ奏者としてオリジナル曲と即興の演奏を生業にしておりますが、28歳まではギターリストでした。ジャズを志し始めた当初は、伝統的なビーバップやハードバップなどの手法を追求しておりましたが、スイング感とジャズ特有のエッジの効いた演奏にどうしても馴染めず、ジャズミュージシャンとしての自分の限界を感じ、行き詰まっておりました。
そんな時に出会ったのが、ラルフ・タウナー、それにオレゴンの音楽でした。クラシック音楽のような和声とメロディーにジャズ的なリズムと即興演奏が合わさった独特の音楽世界。伝統的なジャズのスタイルを踏襲しないにもかかわらず、高度な即興を併せ持つ彼らの音楽に魅了され、自分でもそのような音楽を生み出せるようになりたいと志すようになりました。
最初の3年ほどは彼らのスタイルを愚直に模倣しようとしましたが、表面的に音を整えてみたところで音の説得力を深めることはできず、生半可な覚悟ではどうしようもないことを思い知らされました。そこで、まずは本格的にクラシックギターの演奏を習得し、そこからジャズ的な即興との融合を見出すという遠回りをする決断をしました。ところが、いざ始めてみるとクラシック音楽の素晴らしさに魅了され、クラシックに専心するあまり10年ほど作曲や即興演奏から遠ざかることになったのです。この10年間に、ギターからハープに転向し、プロのクラシックハープ奏者となり生計を立てられるようになったものの、徐々にクラシックハープの演奏への情熱を失い、ハープに転向して7年目には、クラシックハーピストとしての人生に完全に行き詰まってしまいました。
その時、なぜそもそも自分がクラシックをやり始めたのかを思い出したのです。そう、ラルフ・タウナーとオレゴンの提唱したスタイルのジャズを追求するためです。
こうして紆余曲折を経て十数年ぶりに原点であるジャズに立ち返り、いざハープで即興演奏を試みてみると、ハープという楽器の特殊性ゆえに、ギターやピアノのような発想で自由な即興をすることは不可能であることに気付かされました。そうなると、否が応でもハープに合ったオリジナル曲を作曲しなくてはなりません。ところが、そもそもハープでのジャズがほとんど存在していないところに、伝統的なジャズとは異なるスタイルでのオリジナル曲となると、その前例すらなく、非常に困難なチャレンジとなりました。この時期に創作の道標となったのは、ギターリスト時代にラルフ・タウナー氏からレッスンを受けた時に頂いた作曲に関するアドバイスでした。
1990年代半ば、東京でラルフ・タウナーとゲイリー・ピーコックによるギター&ベース・デュオのコンサートがありました。コンサートの後、当時の業界関係者の紹介でタウナー氏の宿泊しているホテルの部屋でレッスンを受ける機会を得ました。その時に、「どのようにしたらあなたのように素晴らしい曲が書けるのですか?」という、今思えばなんとも天真爛漫な質問をしたのですが、このような幼稚な質問に対し、タウナー氏は実に真摯に答えてくれました。
「まず、心の中の音楽に耳を澄まし、その音楽を楽器の上で実現する。それだけです。」
全く予期しない禅問答のような回答でしたが、自分の音楽に説得力が欠けていることを悩んでいた当時の私にとっては、これこそまさに的を得たアドバイスでした。つまり、当時の私は、知識や技術を磨くことに躍起になっていたけれども、心の中に良い音楽が鳴っていなかったから説得力のある音楽を生み出すことができなかったのです。本当に伝えたいことが心に宿っていなければ、どれだけ文法や修辞法を学んだところで、何を言っても説得力がないのと同じです。
タウナー氏からせっかく素晴らしいアドバイスをいただいたにもかかわらず、数年後にはギターに挫折しハープへと転向してしまいました。しかし、クラシック演奏家としての研鑽を積んだ十数年後の私の音楽性は、以前とは比べ物にならないほどに深みを増し、心には自然と音楽が宿るようになっていました。あとは、タウナー氏のアドバイスにしたがって、その音楽に静かに耳を澄まし、楽器の上で実演するだけ。
このようにして、ジャズハープ転向の数ヶ月後には、ジャズハーピストとしての初アルバム 『Naked Wonder』 をリリースしました。全9曲オリジナルで構成され、ECMアーティストのビル・ダグラス氏 (ベース/アート・ランデと共演)を起用した満足のゆくデビュー作に仕上がりました。そして、その2年後にはオレゴンのオリジナルメンバー、ポール・マキャンドレス氏(オーボエ、イングリッシュホルン、ソプラノサックス、ベースクラリネット)との活動を開始し、先年彼が引退するまでCD制作、コンサートツアーなどで彼の音楽パートナーとして演奏を共にいたしました。
ポール・マキャンドレス氏をフロントに、自ら曲を提供し和音楽器奏者として共演するというのは、まさにオレゴンでタウナー氏が担っている役割そのものですから、最初にポールとリハーサルをした時の緊張感は筆舌に尽くし難いものがあります。何しろ、比較の対象があのラルフ・タウナーなのですから!
ちなみに、私が持ち込んだオリジナル十数曲を、ポールは初見でほぼ完璧に演奏し、次の日にはレコーディングできるレベルに仕上げてくれました。その技能に感嘆し、言い尽くせない感謝を述べる私にポールがかけてくれた言葉は、今でも忘れられません。
「君の曲はどれも素晴らしい。音楽スタイルも、私には馴染み深いものだ。私たちは音楽的に同じファミリーに属してるね。」
伝統的なジャズに行き詰まり、タウナー氏の音楽に憧れるもギターにも挫折し、ハープに転向してクラシックに専心するもそこでも挫折。そしてようやく戻ってきたジャズの道で、期せずしてオレゴンのポール・マキャンドレス氏に私の音楽を演奏してもらえる機会が訪れたことには、運命の悪戯を感じます。ラルフ・タウナーのようなギターリストになるという夢を叶えることはできませんでしたが、アンサンブルでの彼の役割をハープという楽器で担うことになったのです。「急がば回れ」と言いますが、まさかこれほどの回り道をさせられるとは!
タウナー氏とは、10年ほど前にカリフォルニアで再会する機会がありました。ポールがオレゴンのコンサートに招待してくれて、そのお礼に私が差し入れたワインを、コンサートの後にメンバーと飲みながら打ち上げをする流れになったのです。タウナー氏は、昔東京のホテルで私にレッスンをしてくれたことなどすっかり忘れていましたが、ポールのデュオパートナーのハーピストとして敬意を持って接してくれたことを嬉しく思いました。残念ながら、それ以降タウナー氏と会う機会はなく、そのまま永遠の別れを迎えることになりました。
実は、ポールとの出会いも、ラルフ・タウナー氏との再開の宴も、私の妻の人懐っこさのおかげでありました。当時の私のバンドのベーシスト、ビル・ダグラス氏(彼も一昨年亡くなりました)が当時ポールの加入していたバンドのベースも務めていて、その縁でコンサートを観に行った時のことです。オレゴンの大ファンである私にとって、ポール・マキャンドレス=「神」ですから、気軽に話しかけるなんてことは考えてもいなかったのですが、休憩中に妻がステージで馴れ馴れしく話しかけて、しばらくしてから私のことを手招きしたのです。どうやら、ポールはベースのビルからも私のことを聞いていたらしく、音楽家として認識してくれているようでしたので、その場の勢いでトリオでのCDを手渡し、「こんな音楽やっているんですが、もしよければ私のプロジェクトでも演奏してくれませんか?」とお願いしてしまったのです。その時には、「CDを聴いてから改めて連絡する」と言ってくれて、名刺を交換して別れました。それから1ヶ月ほどなんの音沙汰もなく、多分こんなふうに手渡されるCDは山ほどあるだろうから、きっと忘れられてるんだろうなと思っていたら電話が鳴り、IDを見ると、なんとPaul McCandless!長期ツアーから戻ってCDを聴いてくれたポールが、ぜひ一緒にやろうという連絡をくれたのです。
オレゴンのコンサートに、ワインとおつまみを土産に持って行こうと準備したのも妻でした。養父がプロのジャズドラマーだった妻の「ジャズミュージシャンは、演奏後には絶対に飲みたいはず」という思い込みが功を奏し、終演後に気軽に現場で酒を飲めるバーがないコンサートホールだったこともあり、ワインとつまみのお土産はグレン・ムーア、マーク・ウォーカーも含むオレゴンのメンバー全員から大変歓迎されたのです。その時、ちゃんとワインの栓抜きまで用意していた妻には、脱帽です。
私が最も感銘を受けたタウナー氏のアルバムは、『Solstice』です。ヤン・ガルバレク、ヨン・クリステンセン、エバーハルト・ウェーバーとラルフ・タウナーによるカルテットで、今聴いても全く古さを感じさせない不朽の名作です。このアルバムについて、ポール・マキャンドレスと話したとき、彼にとってもこのアルバムは特別で、発売された当初は数週間毎日のように聴いていたと語っていました。このアルバムの<Nimbus>という曲の12弦ギターの演奏は特に圧巻でしたが、晩年のタウナー氏が12弦ギターを徐々に弾かなくなったことを残念に思うファンの方も多かったのではないでしょうか。私も、カリフォルニアでのコンサートの後、ポールに「なんでラルフは12弦を弾かなくなったの?」と尋ねたことがありました。その理由は、移動が大変、12弦の演奏では爪がかなり傷むためにナイロン弦の演奏に支障が出る、演奏が体力的にキツい、というものでした。ツアーミュージシャンにとって、年齢を重ねるに従い体力を温存しながらツアーをする必要性はどんどんと高まるものですから、12弦をツアーの楽器からはずすという選択は十分に頷けるものでした。まあ、こんな裏事情はお構いなく、「もっと12弦を聴きたい!」と勝手なことを言うのもファンの特権ではあるのですが…。
タウナー氏が逝去して数日後、ポールと電話で話しました。ポールにとっては、50年以上も一緒に演奏を共にした盟友を失ったことになります。ポール自身も健康上の理由から演奏活動からは引退しており、私の目標とした音楽家たちが舞台から姿を消してゆく現実をしみじみと感じながら、共にタウナー氏の冥福を祈りました。
タウナー氏の演奏を聴く機会はもうありませんが、彼の音楽は私を含め多くの音楽家の心の音楽に根を下ろしています。彼の足跡を追って音楽の道に進んだ我々が、彼に倣って真摯に内的音楽に耳を傾け、それを誠実に楽器の上で実現する努力を続ける限り、これから生み出される新たな音楽の中にラルフ・タウナーが生き続けることは間違いありません。私も死ぬまでのしばしの間、彼の残してくれた偉大な音楽の遺産を次の世代へと繋いでいきたいと思っております。
敬愛する音楽家、師、ラルフ・タウナー殿。安らかにお眠りください。
東京大学在学中にジャズギターに出会い、東京都内でジャズギターリストとしても活動する。1997年に渡米後、独学でハープに転向し、カリフォルニアのストックトン交響楽団の主席ハープ奏者を歴任したのちに、2007年に米国ハープメーカー主催の国際ジャズ、ポップハープコンクールにおいて準優勝を果たす。芸術性の高いオリジナリティーと卓越した演奏技術が高く評価されており、ソロ活動に加え、グラミー賞受賞管楽器奏者ポール・マキャンドレス氏らトップ・アーティストを起用するプロジェクトで、2025年までにオリジナル曲による15枚のアルバムをリリース。近年、日本においては関根彰良(ギター)、門田晃介(Pe’z サックス)らとのデュオ、米国ではマイケル・マンリング(フレットレス・ベース)とクリス・ガルシア(タブラ、パーカッション)を起用した前衛的なトリオ “KoMaGa Trio”、弦楽四重奏とのコラボレーションなど幅広い活動を展開中。2025年には、イタリアでの作曲コンクールFIRST INTERNATIONAL COMPETITION OF HARP COMPOSITION “Daniele Garella”で2位を受賞。
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