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R.I.P. ラルフ・タウナーNo. 334

R.I.P. ラルフ・タウナーかく語りき 淡中隆史

2026年1月18日、85才のラルフ・タウナー(Ralph Towner)がローマで亡くなった。
彼のなかの「静かなろうそくの灯」(*1)がふっと消えたような寂しさを感じる。
ながく聴きなじんできた音楽家を失った喪失感がある。しかし、これからは、さらに彼の音楽に親しむことになりそうだ。新たな出会いに期待がふくらむ。タウナーの不思議なパーソナリティーあってのことだ。
なぜタウナーは晩年にパレルモやローマの地を選んだのか。オレゴンがイタリアのレーベルCAM Jazzと契約していたことなど、現実的な理由があったのかもしれない。しかし、生まれ育ったのはワシントン州やオレゴン州。留学先はウィーン、ECMでの制作はドイツ、ノルウェー、スイスなどだったはず。これらと風土の異なるイタリアに何を求めたのかは暗示的だ。ながく「アルプスの南」への憧憬を抱いていたのかもしれない。

1月20日、訃報に接してタウナー関連のアルバム50枚ほどをデスクに積み上げた。
ひとつひとつを眺めると初めて手にした時の記憶がよみがえる。私にとってタウナーを聴くことは着なじんだシャツに袖を通すようで、少しも違和感がない。

1月23日、1967年のポール・ウィンター・コンソート時代から出発。オレゴン結成、~初のソロアルバム~ECMの諸作~現時点での最終作『At First Light』まで、ずうっと時間のページをめくってみる。(*2)

10代だった1970年から現在までタウナーのアルバムをリアルタイムに聴いてきた。幾度かライブに足を運んだ。ヴァンガード時代のオレゴンの再発売CDでは、リマスタリングとリリースに携わる幸運もあった。世代的な偶然とはいえ時代を共有できた喜びは何ごとにも変えがたい。

おなじように接した音楽家には菊池雅章やアストル・ピアソラがいる。私にとって彼らが憧れの対象であるのに対しタウナーはインティメイトな存在だ。ECM系のギタリストにはエグベルト・ジスモンチやスティーヴ・ティベッツもいる。でも、彼らは宇宙人度が高すぎてタウナーのような親近感を持てないのだ。

1975年、新入社員としてレコード会社に勤めた。その頃の契約先ヴァンガードレコードにオレゴン、過去のA&M時代のカタログの中にポール・ウィンター・コンソートを大発見。
夢中になって毎日聴いていると、ジャズやクラシック担当の先輩たちから「こんなワケわからないのが好きなんだ。変わってんね、売れないよ」といわれた。(文化的パワハラだ)
オレゴンについて、ジャズメディアや評論家の大先生たちからは「これはジャズでもクロスオーバーでもない!」(あたりまえです)と滅法評判が悪い。
挙げ句の果て、90年代には「ワールドミュージックやニューエイジミュージックを先取りしたグループ」なる頓珍漢な再評価を受けることになる。(もちろん、少しもありがたくない)なんだかタウナーたちに気の毒だった。すなわち、オレゴンやタウナーはひと握りのマニアに愛されたのみ。あらゆる音楽カテゴリー、マーケットの辺境に存在したのだった。

そんな70年代初期ECMから目を見張るような2枚がリリースされた。
実質オレゴンのメンバーによる『Trio / Solos』(ECM1025 1972)と、タウナーの多楽器演奏によるソロアルバム『Diary』(ECM1032 1973)。
これらに魅せられた人たちがタウナーの最初の賛美者だったと思う。

タウナーがウィーンでカール・シャイト(1909~1993)にバロック音楽、(当時の)古楽を学んだことは出発点のひとつとして重要だ。シャイトはJ.S.バッハのリュート組曲全曲を初めて演奏し、ギター教授法5巻、多くのギター編曲を出版。新たなバロック音楽復興、のちのピリオド楽器ルネッサンスに貢献した。その仕事はチェロ~ガンバに至るパブロ・カザルス(1876~1973)にも近い。
彼はバッハ時代のギタリスト、作曲家シルヴィウス・レオポルド・ヴァイスの現代への復権に尽くした。タウナーの音楽にリュート奏者コンラート・ユングへーネル(1953~)が奏るヴァイスやバッハとの親和性を見いだすことが可能だ。シャイト起源の音楽性を二人が共有しているからだと思う。
その後ウィーンからアメリカに帰り、ポール・ウィンター・コンソートやオレゴンへ参加した直後、ウェザーリポートのアルバム『I Sing the Body Electric』(1972)の録音を経験している。この時代も、今だって、こんな音楽カテゴリーの横断性と振れ幅はフツウでない。

筆者にとってラルフ・タウナーとコリン・ウォルコット(*3)在籍時のオレゴンは長年のアイドル。
だから、オレゴン唯一の東京ライブ(ビルボードライブ東京 2008年)に押しかけてサインをお願いした。そんなことをしたのは1988年のアストル・ピアソラ以来だ。
「1960年代からのあなたたちのファンで、アルバムは全部きいています」、「このCDも私がリマスタリングして再発売したんです、オリジナルよりオトいいです、サインくださいっ」等々まくしたてると、
ラルフ・タウナーかく語りき、
「へぇー、そんな人いるってきいたけど、あんたなんだ」
おまけに
「このライブも物好きな日本人が企画してくれたんだよ。変てこなバンドでも長年やってるといいことあるもんだなぁ」
と、優しげに語るのだった。
(なんたるご謙遜、あなたは私たちのアイドルですよ)
たしかに少数派だけれど。身のまわりにはジム・オルーク、藤本一馬など熱烈なファンがいる。

多重録音を除くギターソロアルバムとしては下記
“Solo Concert” ECM1173 1979 Martin Wieland (Live in Munchen&Zurich)
“ANA” ECM1611 1996 Jan Erik Kongshauk (Rainbow St. Oslo)
“Anthem” ECM1743 2000 Jan Erik Kongshauk (Rainbow St. Oslo)
“Time Line” ECM1073 2005 Markus Heiland (Propstei St. Gerold Austria)
“My Foolish Heart” ECM2516 2016 Stefano Amerio (Auditorio Stelio Molo RSI Lugano)
“At First Light” ECM2758 2022 Stefano Amerio (Auditorio Stelio Molo RSI Lugano)(レコーディング年、エンジニア、スタジオ、地名を表記)

聴き比べてみると、各々のエンジニアや環境でタウナーの音の表情がいかに異なるかわかる。

タウナーはギタリストのみならず作曲家としても天才だった。
特に自作曲の演奏では孤高の域に達した。
心にいだくイメージを100%矛盾なく実現できる真のテクニシャン。難解な脳内楽譜をさりげなく演奏、しかも聴き手の心を安らかにさせる人間性と奥義をもっていた。

1月29日までに、50枚のアルバムを聴いて様々な発見があった。
通史として音楽のページをめくってみると、今までわからなかったことが突然理解できて有頂天になる。

ブラインドサイドで見つけた3枚。
“Five Years Later” (ECM 1207 Rec.1981)
ECMではジョン・アバークロンビーとの傑作デュオ“Sargasso Sea” (ECM1080 1976)の「5年後に」作られた続編。のちに日本のみでCDリリースされた。タウナーのマンドリンが美しい。
“Song Without End” (徳間ジャパンコミュニケーションズ 1994)
マーク・コープランド(p)との名曲ぞろいのデュオ。タウナーの意外な一面がわかる。
“If Summer Had Its Ghost” (Summer 1997)
ビル・ブラッフォード(ds)(*4)のアルバムにエディ・ゴメスと参加、ピアニストとしての最高のプレイ。

あらためて自分のなかに棲みついているラルフ・タウナーを思う。
現実に彼は亡くなってしまった、けれど、その音楽はさらに大きなリアリティを持って、これからも、そっと、佇んでくれるはずだ。

*註
*1 “The Silence of a Candle”「ろうそくの灯の静けさ」
ポール・ウィンター・コンソート時代からのタウナーのオリジナルで、多くのバージョンがある。“ICARUS”(Epic Records 1972)ではウィンターから「歌わされた」タウナーのヴォーカルバージョンが面白い。オレゴン時代の“Oregon in Concert” (Vanguard 1975)でのコリン・ウォルコット(シタール)との交歓は凄すぎる。

*2 R.I.P「デヴィッド・ダーリングとPWC の1+4+1」にオレゴン期のタウナーについても記した。参照ください。

JazzTokyo(2021)

「デヴィッド・ダーリングとPWC の1+4+1」 淡中隆史

ダーリングはポール・ウィンター・コンソートのメンバー。

*3 コリン・ウォルコット(Collin Walcott)
タウナーに最も大きなインスピレーションを与えたオレゴンのメンバー(1970~1984年)。1984年(当時の)東ドイツのアウトバーンでECMのツアー中に交通事故死。タウナーはウェザー・リポート“I Sing the Body Electric”(CBS 1972)、同年ウォルコットはマイルスの“On the Corner”(CBS 1972)に参加した。

*4 ビル・ブラッフォード(Bill Bruford)
70年代イギリスでイエス、キングクリムゾン、アラン・ホールズワースなどと共演。プログレッシヴ・ロックのフィールドで突出した才能を発揮した。変拍子ドラマーでもある。

タウナー目線で聴くと最高のピアノが楽しめるアルバムなのだが..。
一方、ビル・ブラッフォード目線からAmazon(Japan)に寄せられたカスタマーレビューでの罵詈雑言の数々は一読に値する。

 

淡中 隆史

淡中隆史Tannaka Takashi 慶応義塾大学 法学部政治学科卒業。1975年キングレコード株式会社〜(株)ポリスターを経てスペースシャワーミュージック〜2017まで主に邦楽、洋楽の制作を担当、1000枚あまりのリリースにかかわる。2000年以降はジャズ〜ワールドミュージックを中心に菊地雅章、アストル・ピアソラ、ヨーロッパのピアノジャズ・シリーズ、川嶋哲郎、蓮沼フィル、スガダイロー×夢枕獏などを制作。

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