Ralph Towner 1940-2026 ECM
Photo © Caterina Di Perri/ECM Records
独自の感性を備えたギタリストであり、きわめて独創的な作曲家、そして50年以上にわたりECMのアーティストとして活動してきたラルフ・タウナーが、85歳で逝去した。
かつて自らを「抽象の即興的語り部」と称していたタウナーは、ワシントン州の小さな町チェヘイリスで、音楽一家に生まれた。6歳で音楽を始め、やがてトランペット、フレンチ・ホルン、ピアノを自在に操る若きマルチ・インストゥルメンタリストへと成長した。22歳になって初めてクラシック・ギターを手にし、ウィーンに渡ってカール・シャイトに師事。ルネサンス期のリュート音楽の編曲譜に没頭し、起きているあらゆる時間を練習に費やした。
アメリカに戻ると、別の影響が前面に現れてくる。「1960年代の初めから半ばにかけて、私はブラジル音楽から強い影響を受けていました。その後いったん離れましたが、その素晴らしい基礎は自分の中に残りました」と彼は回想している。「当時、私はクラシック・ギタリストでありながら、ジャズ・ピアノを弾いて生計を立てていたので、ブラジル音楽は私に大きな影響を与えたのです。スコット・ラファロとポール・モチアンを擁したビル・エヴァンス・トリオもまた、非常に大きな影響源でした。私は小編成グループにおける相互作用の概念を、ギターそのものの上で体現しようとしたのです。つまり、ブラジル音楽、エヴァンスのジャズ観、そしてクラシック・ギターという三つの流れがありました。年月を重ねる中で、私はそれぞれを自分なりの方法で適応させ続けました。抽象化し、変形を加えることで、もはや出自が判別できないところまで推し進め、気付かぬうちに、自分自身のイディオムに到達していたのです。」
多くのジャズ・リスナーがタウナーの音楽に初めて出会ったのは、1972年のウェザー・リポートのアルバム『I Sing The Body Electric』だった。そこに収められた、ウェイン・ショーター作 <The Moors> のための、和声的に自由な12弦ギターによるイントロダクションは、まさに啓示的なものだった。同じ時期、ラルフはニューヨークでマンフレート・アイヒャーと出会う。仲介したのはデイヴ・ホランドであり、こうしてECMにおける半世紀に及ぶ創造的な協働と、生涯にわたる友情の舞台が整えられたのである。
タウナーがこのレーベルに残した初期の録音には、数多くの傑出したアルバムが含まれている。その中でも特筆すべきは、スタジオ録音とライヴ録音によるソロ作品『Diary』(1973年録音)と『Solo Concert』(1979年)である。『Solstice』(1974年)では、ヤン・ガルバレク、エバーハルト・ウェーバー、ヨン・クリステンセンと共演し、今日ではモダン・ジャズの古典として評価されている。また、1974年にゲイリー・バートンと録音したデュオ作『Matchbook』には、チャールズ・ミンガスが「自分のお気に入りのヴァージョン」と称えた <Goodbye Pork Pie Hat> が収められている。
ラルフは、友人であり同じギタリスト仲間でもあるジョン・アバークロンビーとの共演をこよなく愛していた。二人のアルバム『Sargasso Sea』(1976年)は、大西洋の両岸で数多くのコンサートを生み、さらに続編『Five Years Later』へとつながった(なお二人は、ケニー・ウィーラーの『Deer Wan』でも見事な共演を聴かせている)。ジャック・ディジョネットとエディ・ゴメスを迎えた『Batik』(1979年)は、タウナー作 <Waterwheel> によって冒頭からきらめきとさざ波のような流れを確立する、流麗なアルバムである。
ラルフはまた、他のアーティストの録音においても重要な貢献を果たした。キース・ジャレットの『In The Light』(1973年)に収められた <Short Piece for Guitar and Strings> では、その難題に応え、さらにウィンドハープの神秘的なドローンとともに、ヤン・ガルバレクの峻厳な傑作『Dis』(1976年)の情感的な空気を形づくる一翼を担った。エグベルト・ジスモンチの『Sol Do Meio Dia』(1977年)への客演は、ブラジル音楽と真正面から向き合う貴重な機会となった。また、ジョン・テイラー、ケニー・ウィーラー、ノーマ・ウィンストンによるアジムス・トリオとの1979年作『Départ』は、将来のコラボレーションを予感させるものでもあった。ウィーラーはその年の初めにタウナーの『Old Friends, New Friends』に参加しており、ウィンストンはその後も度々タウナー作品に立ち返り、自身の歌詞を加えていく――『Somewhere Called Home』『Dance Without Answer』、そして近作となる2024年の『Outpost of Dreams』(タウナー作 <Beneath an Evening Sky> を収録)などがその例である。
リーダー作やソロ・ツアーと並行して、ラルフは異文化志向の室内楽グループ、オレゴンのメンバーとしても活動した。タウナー、シタールおよびタブラ奏者コリン・ウォルコット、オーボエ奏者/サクソフォニストのポール・マッキャンドレス、ベーシストのグレン・ムーアというクラシックな編成は、ECMから『Trios/Solos』(1972年)、『Oregon』(1983年)、『Crossing』(1984年)を発表している。1980年代のオレゴンでの活動や、マルチ楽器を用いた多重録音によるソロ作『Blue Sun』(1984年)では、プロフェット5をはじめとする電子キーボードを楽器編成に加え、断続的に音響のパレットを拡張していった。シンセサイザーはまた、ドラマーのピーター・アースキンとのデュオ作『Open Letter』においても、音のヴェールのような広がりをもたらしている。
マーク・ジョンソン、ゲイリー・ピーコック、アリルド・アンデルセンといった卓越したベーシストたちとの共演は、アコースティックな相互作用の重要性をあらためて強調するものとなった。ジョンソンが参加した『Lost and Found』、ピーコックとのデュオによる『Oracle』や『A Closer View』、そしてナナ・ヴァスコンセロスとともにタウナーが重要な役割を果たしたアンデルセンのアルバム『If You Look Far Enough』などがその成果である。
1990年代に入ると、イタリア人女優マリエッラ・ロ・サルドと結婚したラルフ・タウナーは、南ヨーロッパに居を構え、最初はシチリア島パレルモ、その後ローマに移り住んだ。そこから新たな芸術的協働が生まれる。サルデーニャ出身のトランペッター、パオロ・フレス(「この男は本当にメロディを吹ける!」とタウナーは喝采した)とのデュオ作『Chiaroscuro』(2008年)、そしてヴォルフガング・ムースシュピール、スラヴァ・グリゴリアンとのギター・トリオによる『Travel Guide』(2012年)などである。
しかし、ラルフ・タウナー晩年の作品群の核心は、一連の魅力的なソロ・アルバムに体現されている。オスロのレインボー・スタジオで録音された『ANA』(1996年)と『Anthem』(2000年)、サンクト・ゲロルトでの『Time Line』(2005年)、さらにルガーノで録音された『My Foolish Heart』(2016年)と『At First Light』(2022年)――いずれも強い自伝的性格を帯び、タウナーの比類なき芸術の旅路を映し出している。締めくくりとなる『At First Light』では、彼自身の言葉によれば、「長年にわたって私を惹きつけてきた音楽家や作曲家たちの痕跡的要素」を織り込んだオリジナル曲によって、初期の影響源が総括されている。そこにはジョージ・ガーシュウィン、ジョン・コルトレーン、ジョン・ダウランド、ビル・エヴァンスといった名前が挙げられている。
タウナーはかつてこう語っている。「音楽は、文学作品が読者に展開されていくのと同じように、聴き手に向かって展開されるものだと私は考えています。ただし、書かれた言葉や話し言葉が持つ具体的な意味を伴わないという点で異なるのです……即興ソロイストであることの利点は、『物語』に転機が必要だと感じた瞬間に、いつでも曲の形式を変えたり、そこから逸脱したりできる自由があることです。」
彼のソロ・コンサートを体験し、ソロ・アルバムに耳を傾けてきたリスナーなら誰もが知っているように、ラルフ・タウナーはまさに比類なき語り部=ストーリーテラーであった。
Originally published by ECM Records
https://ecmrecords.com/ralph-towner-1940-2026/
