ソニー・ロリンズ亡くなる 小西啓一
現在のジャズ界屈指のタイタン(巨星)、ソニー・ロリンズが遂に亡くなってしまった。享年95。このニュースを知り合いから聞いた時、いつかは…と恐れていたものが当然に訪れた訳なのだが、ある意味ぼくの愛し・憧れ・生きた、モダンジャズの時代はほぼ終わったなー、という感じが強くしたものだった。寂しいし残念だが、まあこれも自然の摂理、仕方ないことだ。ロリンズは「クリエイティブな人間は終りを迎えても、次の存在へと続いていくのだ…」と語ったとも言われるだけに、その存在や精神は次代に引き継がれていくはずで、その死も安らかに受け入れるべきなのだろう…。
カリブ海のヴァージン諸島出身の両親の元、NY のハーレムで生まれ育ったロリンズには、やはりカリブに出自を持つ者ならではの、特有な明朗さ・快活さなど向日的要素も強く、そこら辺が多くのファンを魅了した所以なのだろう。だが数度の引退&カムバックにも象徴されるように、単なる明快さだけの向日派では無く、実に繊細な感性と真摯な探究心の持ち主でもあった。その証座は引退している間に、NY のハドソン川に掛かる橋の上で、17 時間に及ぶ練習を繰り広げ続けた…、その模様を収めた有名なドキュメント写真からも良くうかがえる。
ぼく自身のジャズ経験から言うと、モダンジャズ沼にはまり込んだ高校生時代~早稲田大の時代、即ち1960 年代の頃には、屈指のトランペット吹きの帝王マイルスは別格として、やはりシーン全般ではサックス、それもテナー・サックスがリードする時代だった。そしてその中心に位置する2人が、ソニー・ロリンズとジョン・コルトレーンで、ある意味当時のジャズ人気を二分していたとも言えた。ジャズの進化などを求める求道派のファンは、トレーンことコルトレーンを…、ジャズに愉しさなどを求める享楽派はロリンズを…、とかなりその趣向は2分化されており、全体には学生運動など政治・抗議の時期だけに、トレーン派がやはりそれなりに優位を占めていた感もある。かく申すぼく等も運動などの関係もあり、どんどん自身を昇華させ煮詰めていく、トレーンの姿勢に傾倒。ロリンズはジャズにハマった初期には、それなりに聴いていても、大学のジャズ研時代などは本当にトレーン一辺倒だった。然しその後程なくトレーンが亡くなってしまったり、政治の時期も終わりぼくもラジオ局に潜り込みジャズ番組を担当するなど、ぼくを囲む状況も大きく変化すると共に、トレーンの音楽は余りにも重過ぎに感じ、自然に遠ざかってしまった。
そんな折り大学のジャズ研の1年後輩で、当時の若手の代表格の呼び声も高かった増尾好秋(g)が、渡米してロリンズのグループに加わったこと。またぼく自身もジャズ雜誌などで、ロリンズのインタビューなどを手伝ったりと、何かと彼と関わりも出来てきた。まあそんなこんなで、ロリンズとトレーン、この2人のテナー・タイタン、どちらかと言うとロリンズの方に傾倒するように成っていったのだった。
ところでロリンズは、あのロックのカリスマ「ローリング・ストーンズ」とも共演を果たす(『刺青の男』)など、様々な分野で活動を展開しており、大の日本贔屓だけに 63 年の初来日以降、日本での公演も数多い。また彼のトレードマークとも言える、あのモヒカン刈りも多くの意気がり若者達にも真似されたもので、一時はファッション・アイコンでもあったのだ。サックス・タイタンのロリンズ。彼の究極の1枚&1曲となると、やはり名盤『サキソフォン・コロサス』( Prestige 56 年)と、そこに収録された<モリタート(マック・ザ・ナイフ)>となるのは衆目の一致する処。ぼくもそれには大いに賛成だが、ぼく自身が最も愛着ある1枚&1曲となると、その同年の春に夭逝した天才トランペッター、クリフォード・ブラウン(tp)と共に吹き込んだ、『ロリンズ+4』(Prestige 56年) とそこに収められた究極のジャズワルツ<ヴァルス・ホット>ということになる。いずれにせよロリンズがもうこの世にいない…という厳然たる事実は、あまりにも寂しく悲しいものだ。ロリンズの魂に 合掌!
編集部注:
ラジオNIKKEI「Taste of Jazz」【小西啓一の今日もジャズ日和 Vol.836~ソニー・ロリンズ亡くなる~】を筆者の同意を得て転載させていただきました。
