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特集『マイルス・デイヴィス生誕100年』No. 341

マイルス in 香港  稲岡邦彌

text: Kenny Inaoka 稲岡邦彌

マイルスのアルバムではライヴ録音が好きだ。『Four and More』(1966)、『1969 Miles』、『at Fillmore』(1970)、『Isle of Wight』(1970)、もう1枚、同じメンバーでフランスのライヴのブートレグがあるがどこに行ったか。とんでもなくファー・アウトしていくぶっ飛び盤だ。キース・ジャレットは、自分が在籍していたマイルスのライヴで音源が残っていたらリリースすべき演奏が5、6回はある、と断言している(『キース・ジャレットの真実』)。
ボクがマイルスにサインを頼んだは『We Want Miles』。カメラマン米田ライス泰久の写真が使われている。他に日本人が関わったマイルスのアルバムには、池田満寿夫、石岡瑛子、横尾忠則、中平穂積があるが、サインが映えるデザインは米田盤である。自分では近づけないのでジョン・スコフィールドに頼んだ。渋谷メアリー・ジェーンの福島哲雄に頼まれた写真を添えて。1983年来日時だ。ギル・エヴァンスがアレンジしたアルバム『スター・ピープル』(1983)のメンバーでの来日だ。ジョンスコとマイク・スターンのツイン・ギター。ちなみに、ボクはジョンスコとマイクのデビュー・アルバムをトリオ・レコードからそれぞれリリースしている。『ジョン・スコフィールド』(1978)と『ファット・タイム (Neesh)』(1983)。その縁で、日野元彦のアルバム『イッツ・ゼア』(1993)で二人を共演させることができた。

マイルスとニア・ミスしたのは香港のイミグレーション。1987年、「ライヴ・アンダー・ザ・スカイ」の香港公演の時。4本あった列のマイルスの後だけが途切れていたのでボクが付けた。マイルスは小柄でボクの目の前のマイルスの頭髪がすでに薄くなっている。我がアイドルの素の姿にちょっぴりやるせない思いがしたのを覚えている。当時まだスマホは持っておらず(ボクがスマホを使い出したのは1995年の阪神・淡路大震災から。Macも同じ)証拠写真はない。この時ボクは SXL(坂本龍一 vs ビル・ラズウェル)のロード・マネジャー役を務めていた。東京公演(読売ランド・イースト)では坂本が難聴を理由にドタキャンし、鯉沼利成に売り込んだボクは吊し上げられた。それでも、東京、香港でSXLはマイルスと同じステージを踏み、生田朗の尽力でSXLのライヴ盤がSONYからリリースできた。同様にマイルス・バンドも『Live Under the Sky 1997 ‘87』としてリリースされている。(文中敬称略)

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稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。最新刊に訳書『キース・ジャレットの真実』(DU BOOKS)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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