渋谷毅さんご逝去にあたって 三田晴夫
7月17日にSNSで渋谷毅さんの訃報がパートナーの清水くるみさんから公開され、前日7月16日に86歳で亡くなられたとの事だった。
5月20日に病院にお見舞いに行った時には、少し痩せられてはいたが非常にお元気で、僕が訪ねていくと昔の話、CM音楽の話、準備中の企画など新旧取り混ぜて途切れなくお話ししてくださった。渋谷さんの体調の事もあるので長居しないで早めに帰るつもりだったが、普段以上に沢山のお話ができた。その内にくるみさんが来院したのでくるみさんと話をしていたら、渋谷さんは文庫本を開いたまま黙って二人の話を聞いていた。少し話し疲れたのだろうか。
それでも間もなく退院との事で、SNSにも盛岡などのライブ情報がアップされていたので、いよいよ回復・演奏活動開始と思っていたが、暫くしてそれらのライブがキャンセルになったものの、演奏活動は少し見送りながらも回復に向かうものと信じていたので、その訃報には非常に驚いた。
渋谷さんとの出会いは、僕がジャズ事務所ジャムライスに入った1977年から。当時僕はトロンボーンの向井滋春さんを担当しており、向井バンドは月一くらいのペースで西荻のアケタの店に出演していたのだが、あるときから何となく風体が上がらないおじさん(失礼)に気が付いた。いつもジーンズに同じようなカーキ色っぽい地味な服装をしてポツンと(そう、正にポツンという感じ)客席の最後方に座っていた。ある日、演奏が終わりアンコールのときだったか、向井さんがその人をステージに呼び込み、レギュラーの元岡一英さんに替わってピアノの席に着いた。え、この人ピアニストだったんだ。どうやらメンバーのベーシスト川端民生さんと懇意でいつも聴きに来ていたようだ。その風貌・服装やあの独特のややたどたどしい語り口は亡くなるまで、僕が知る約50年間変わらなかった。あの頃は、諸事情により活動をあまりやっていらっしゃらなかった時期だった。
その後僕がジャムライスを辞し、CM音楽制作のノウハウを学ぶために一時的に仕事を手伝っていたI氏が以前CM音楽制作の老舗オールスタッフ出身で、そのオールスタッフに所属していて売れっ子作曲家として活躍していた渋谷さんの話を聞きビックリ。ある日I氏にCM音楽の依頼があり、「この仕事、三田君やってみる?」と言って頂き任されたので、渋谷さんに作曲をお願いすることを即決。これが僕のCM音楽の初プロデュース・ディレクションだった。
その後自分の会社を起ち上げてからは、ヘーベルハウスや三菱電機のTVなど沢山のCMで作曲をお願いした。渋谷さんの曲はどれも奇をてらう事がなく王道でかつシンプルで分かり易かった。
僕の長女が幼い頃、よく観ていたNHKのTV番組『おかあさんといっしょ』の3枚組のCDを長女にプレゼントした。一緒に聴きながらブックレットを見ていたら、いつの間にか僕も覚えていた曲の多くが渋谷さんの作曲と知り仰天した。「くじらのとけい」「ぼくのミックスジュース」「ちょんまげマーチ」「あしたのあしたのまたあした」「こんなこいるかな」etc.。みんな唄えた。更に由紀さおりのヒット曲「生きがい」「初恋の丘」の作曲も渋谷さんだった事を知り、渋谷さんはそんな大御所だったのだとあらためて認識したのだった。
あるときレコーディング・スタジオに入ると、渋谷さんが何となく照れくさそうに少し微笑みながら「三田くん、僕はスタジオに入ると先生だからね。」と言われた。そうか、僕はジャズ・ピアニストとしての(しかも風体が上がらない…重ねて失礼)出会いだったので、芸能界やCM界のように作曲家の大先生のような対応はしていなかったかもしれず、スタジオにいる代理店やプロデューサーなどにはその対応が失礼に感じていたのかもしれないな、などと反省しながらレコーディング。最後のミックス作業を終えて「渋谷さん(渋谷先生とは言わなかったが)、どうでしょうか」と調整卓から後ろを振り返ると、ディレクター・デスクでしっかり眠っておられました(笑!)。
渋谷さんのジャズ・ピアニストとしての認識をあらたにしたのは、そんなCM音楽でのお付き合いがあった頃だった。僕はCM音楽制作をしながらも頻繁に新宿ピットインに立ち寄り、誰か良いミュージシャンがいないか、良いバンドはないかと物色していた。当時のピットインのブッキング・マネージャーの龍野さん(通称 “怪物さん”)に会うといつも「最近、良いバンドあります?」などと聞いていたのだが、怪物さんが「今、渋谷さんが良いよ」との事だったので早速聴きに行った。メンバーは武田和命(Ts)川端民生(B)藤井信雄(Ds)。その後渋谷さんが渋谷毅オーケストラを結成してからは、いつもそのアルバムを送ってくださった。特にライブでは9名編成ながら、その分厚いサウンドは通常のビッグバンド以上で、曲は主にメンバーの石渡明廣なのだが、その独特な曲調と渋谷さんのアレンジがどこにもない非常にユニークなものだった。
渋谷さんとの仕事は、CM以外では、僕がプロデュースした前田祐希の2枚のアルバム『JAZZ AGE Gershwin Songbook Vol.1&2』にそれぞれ1曲づつ参加して頂いたのと、渋谷さんが担当したアニメ映画の音楽のレコーディングで当日のディレクターとして渋谷さんからご指名を頂いたくらいだが、ライブやコンサートは数多く聴かせて頂いた。
一昨年行われた渋谷伝承ホールのソロ・コンサートでも、いつものアケタの店や新宿ピットインと全く変わらないいでたちで、ピアノ演奏もMCも小さなライブハウスで朴訥に話すスタイルそのままの何も飾らないおよそホール・コンサートらしくない渋谷さんならではの公演だった。そこが渋谷さんの最大の魅力で、多くの人が渋谷さん、渋谷さんと慕う大きな要因なのだろうと思う。
渋谷さん、様々な形で長い間お付き合いさせて頂き、僕の音楽キャリアを彩って頂き本当に有難うございました。
安らかにお休みください。(2026/8/7 )
三田晴夫 みたはるお
ジャズのマネージメント事務所(有)ジャムライスを経て、1985年にCM音楽を中心にした音楽制作会社(有)スーパーボーイを設立(旧社名(有)四宝)。2009年にレコードレーベルTEOREMA、翌年にJUMP WORLDを立ち上げ、自らプロデューサーとしてジャズを中心にするも民謡からJ-POPまで幅広く制作している。
主な作品としては、2017年のteaのデビュー•アルバム「INTERSTELLAR 」がミュージック・ペンクラブの新人賞、2020年の宮本貴奈の「Wonderful World 」が同賞の最優秀作品賞を受賞。近作は2024年1月リリースのクリヤ・マコト/安井源之新 RHYTHMATRIX『BRIGHTNESS』、2025年5月リリースの高遠彩子『触れもせで』、最新作は2026年5月リリースのTOKU『TRIBUTES』。
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