渋谷毅を偲ぶ〜「イースト・トーキョー・トゥードルー 」 細川周平
渋谷毅さんの訃報からエリントニアンとしての側面を思い出した本誌読者は多いと思う。ライブでも録音でもエリントン・ナンバーをよく演奏していたからだ。ビッグバンドのリーダーならともかくピアニスト、コンボのリーダーとしてエリントンを掌中に収めるミュージシャンは、ほかに思いつかない(他の国にも今どきいるだろうか)。ピアノ・ソロのライブではいつも「ソリチュード」「インナ・センチメンタル・ムード」のような待ってました!の曲で、常連を魅了した。弾く人と曲と楽器がぴたり一体の境地に達している。「ツボにはまった」と言ってわかる人にはわかる。その感想は録音でも変わらない。
渋谷さんの敬愛は、エッセンシャル・エリントンというレパートリーの作曲者を特化した、珍しい楽器の組合せのカルテットで全開している(峰厚介sax、松風鉱一sax、関島岳郎tuba)。品良くドラムス抜きで、ぼくにはビッグバンドよりもぴんとくる。アルバムではソロとカルテット(やデュオ)を交互に配して、ノリで聴き手を持っていくというより、リハに居合わせているような近しさを感じさせる。クラシックのようにも聴こえ「室内コンボ」と呼びたい。アルバムを通してほぼ同じスロー・テンポ、強いていうならアンダンテ~モデラートで通して、下手をすると一本調子に陥りそうなところ、デュークが自宅か旅先のピアノでひとり作曲しているのに色づけしているような自由自在で飽きさせない。何百とある「プレイズ・エリントン」に終わらず、名前の通り、彼の真髄エッセンスを今に伝える稀なプロジェクトと思う。
エッセンシャル・エリントンの一枚目アルバムのなかで、「イースト・セントルイス・トゥードルー」は特別な存在感を誇る。彼を有名にしたジャングル・サウンドの代表曲で、共作者バッバー・マイリーのプランジャー・トランペットがまず迫力だが、メンバー全員が彼に呼応して、アンサンブルがソリストにハッパをかけているようなぶつかり合いで、息をつかせない。一面3分の録音条件にふだんなら10分かかる演奏を凝縮した感じだ。ジャングル感が特別濃い。30年代にはエリントン・オーケストラのテーマだったそうだ。70年代半ば、ぼくは油井正一のFM深夜番組で初めて聴き、エリントン自身を含め、ほかで知っていた戦後のビッグバンド・サウンドとあまりに違うのに仰天した。それから初期録音を集めたLPボックスを買って、突然のジャングル・フィーヴァーでひとり盛り上がった。コンプリート・エリントン・CDボックスでも、かける盤はそのあたり(つまり一枚目)に限られている。
その曲が歴史上重要と教えられても、演奏用に再発見したミュージシャンがどれだけいただろう。スタンダードにはならず、ジャズメン以外のカバーを思い出すだけだ。それを渋谷毅はトランペットもドラムスも抜きで、スローでやり直すというのだから大胆だ。ピアノがいつもながらエリントンのコツを押さえて弾き直している。言うまでもない。それよりもプランジャー・トランペットの野蛮な感じをチューバが代行しているのが独創的だ。サックス二本がそれに絡んだりピアノに愛想をふりまき、模倣に収まらないジャングル調をつくり出している。黒っぽくない。〈アフリカ〉を呼び起こさない。余計な連想と笑われるだろうが、二枚目のアルバム『アイランド・ヴァージン』の墨谷賢(すみたに けん、ベルリン在住)による素朴派ジャングル画ジャケットは、実にうまくその機微を伝えている。冷やかすなら温帯性密林のサウンドで、アルバムのなかでも別世界だ。
そのカルテットが一方でドラムスのにぎやかしに欠くくせに、他方でサードストリーム系の沈着冷静に終わらないのは、チューバの奥深い低音によると思う。コントラバスではない。頭のなかではニューオーリンズだかワシントンだかの街頭バンドに通じる。渋谷さんはアルバムを通してチューバを活かした編曲で、原曲のアイデアをぴたりまとめている。ジャズバンドによるよくあるカバーに終わらない理由だ。そのブラス低音の魅力をアルバム中最も鮮烈に主張しているのが、ぼくの偏った耳には「イースト・セントルイス」だ。残念ながらエッセンシャル・エリントンをライブで聴く機会はなかった。
今年はこの曲の録音百周年にあたる。渋谷さん抜きで追悼再演するなら、馳せ参じます。
