クリスタル・サウンドを求めて〜from NEW YORK to OSLO

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text & photo by Ken’ichi Komoguchi  菰口賢一

2004年9月上旬のこと。北欧の国ノルウェーの首都オスロを目指した。そこにはレインボー・スタジオがある。ヨーロピアン・ジャズを創り出して来たECMレーベルの録音拠点でもある極めてクリエイティヴなスタジオだ。しかし、何故、レインボーなのか? それは、自分にとっても確かめてみたいことの一つだった。そして、オスロに発つ、数日前のこと。たまたま立ち寄った渋谷のタワーレコードのジャズ・フロアで一冊の本を見つけた。稲岡邦弥氏著『ECMの真実』だ。これから向かうオスロへの飛行機の中で読むにはうってつけの本だと思いすぐレジに向かった。

さて、時は変わって、約3年前のこと。ニューヨークの名門アヴァター・スタジオでレコーディングを行っていた。当時、ニューヨークに在住していたアキコ・グレースのデビュー・アルバムの録音のためだ。それは自分にとっても本格的なジャズの録音として最初のことだったと思う。アヴァターは経営者が代わって名前も変わったが元はパワー・ステーションと呼ばれた有名なスタジオで、録音にあまり詳しくなくない人でも名前ぐらいは聞いた事があるに違いない。かつてはジョン・レノンやスティングなど、ロック・スター達がここでレコーディングをしている。否、今でも名門の名に恥じない素晴らしいスタジオだ。そこにロン・カーターとビル・スチュアートがやってきた。ロン・カーターは言わずと知れたジャズ・ベースの巨人。ビル・スチュアートとて今やパット・メセニー・トリオのドラムスとして大活躍する最もフロント・ラインに立つファースト・コールである。ジャズの拠点ニューヨークで一流のジャズメンと録音するというビッグ・チャンスに恵まれた訳だ。

しかし、オスロの話なのに何故ニューヨークなのか?とそろそろいぶかし気に思われる貴兄もいらっしゃることだと思う。勿論それには理由がある。アキコ・グレースのピアニズムはクラシック生まれのジャズ育ち。実はクラシカル・タッチでニューヨーク・ジャズを奏でたら独自のオリジナリティを得られるのではないかと思っていた。だからニューヨークで録音しながらもサウンド的にはもともとECMサウンドに近いイメージを持って臨んだのだった。自分でも多少弾いたピアノのサウンドにはクリアなイメージが最初からあったので、ジャズにもそれを求めてみたかったからだ。ぼちぼち本題にもどるとしようか。

3枚のニューヨーク録音作の後。次の録音地、或はスタジオを何処にするか考えたとき、ECMの拠点がオスロにあることを知った。否、噂は聞いていたのだが、詳しいことはあまり分からなかったのだ。ドイツのレーベルであるECMが何故オスロ迄行く必要があったのか。詳しいことは、稲岡さんの著書にお任せするとして、レインボー・スタジオには辣腕のエンジニア、ヤン・エリック・コングスハウクがいる。写真で見る彼はちょっと強面のやり手という印象だった。ECMレーベルの約1/3の作品にヤン・エリックは関わっているという。キース・ジャレットも勿論例外ではない。ECMの総帥マンフレート・アイヒャーは、マスターテープを持って、よくオスロを訪れるらしい。

さて、いよいよ、アイヒャーを追ってオスロに降り立ちましょうか。初めて降りたオスロ空港の最初の印象は、ウッディーなグッド・デザインで作られた空港内の雰囲気にノルウェー人のセンスを感じたこと。自然を生かした木のぬくもりが感じられる建築はこれまでに行った米国や西欧のどの国よりもアコースティックな感性を感じたのだった。空港から約40分くらいだったろうか、自然の中を抜けるフリーウェーを走ると落ち着いた首都オスロの街が現れる。土地勘のないオスロのホテルはレインボーに任せていたが、そこはアイヒャーも訪れるというレインボーの定宿だった。宮殿から北西に位置するウエストホテルは高級という訳でもなく飾らないこじんまりとしたホテルだ。

レインボー・スタジオはというと市内で移転したばかりだった。約30年の歴史を持つレインボーだが昨夏最新の録音に対応した設備を有する真新しいスタジオに生まれ変わった。そして、ヤン・エリックは会ってみると気さくなグッド・ガイだった。我々にとって予想外だったのは、ノルウェーのベテラン・トップ・ドラマー、ヨン・クリステンセン。キース・ジャレットのヨーロピアン・カルテットのメンバーとしても知られる巨匠の一人だ。アキコ・グレースのアルバムとして音楽的な繋がりを持たせるためあえてわざわざアメリカから呼んだベースのラリー・グレナディアと初めてのトリオを組むことになった訳だが、これが、一筋縄ではいかなかった。スコア通りにまともにビートを刻まない独自のスタイルを貫くヨンに最初は戸惑いもあったものの、サウンドは予想外のパーカッシブなクリエイティヴィティを生む事になったのだ。アキコ・グレースの新しい側面と可能性を引き出したとも言える。その新しいメロディーとリズムをヤン・エリックの手で収められたサウンドはレインボーならではの空間を生かした透明感のある音、つまり、我々が目指したクリスタル・サウンドだ。結果的に当初の予定よりオリジナル曲が多くなったが、それは新しいトリオが生み出したものがスタンダードでは収まりきらないものだったからだと言える。

約一週間の旅程の最終日。クラシカルなタッチとレインボーのサウンドが醸し出すハーモニーを収めたCD-Rを聴きながらオスロを後にした一行は勿論その出来に満足顔で帰路に着いたのだった。そして、そのアルバムのタイトルは勿論『フロム・オスロ』。ところで、後日談になるが、オスロから帰国後しばらくして稲岡さんからお電話を頂いた。『ECMの真実』を読みながら一度お会いしてみたいと思っていたので何故か偶然とも思えなかった。それで一ジャズ人として今回の原稿執筆も快諾させて頂いた次第である。(2005年1月1日)

[写真]左より:アキコ・グレースとラリー・グレナディア/ヨン・クリステンセン/ニュー・レインボウ・スタジオ・コントロール・ルーム
口絵:『アキコ・グレース/フロム・オスロ』(Jroom=SAVOY/コロムビア・ミュージック・エンターテインメント COCB-53265 )


菰口賢一
コロムビア・ミュージック・エンターテインメント J-Room ジャズ・プロデューサー(当時)

*初出:JazzTokyo #13   (2005年1月16日)

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