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Monthly EditorialEinen Moment bitte! 横井一江No. 255

#13 Moers Festival 2019
メールス・フェスティヴァル 2019

text & photo by Kazue Yokoi  横井一江

 

十数年ぶりにメールスに足を運んだ。メールス・フェスティヴァルを始め、34年間音楽監督を務めたブーカルト・ヘネンが退いたのが2005年、それ以来なので正確に言えば14年ぶりである。

なぜ再びメールスに行こうと思ったのか。
その前にブーカルト・ヘネン退任後の動向について書いておこう。2006年から2016年まで2代目音楽監督を務めたライナー・ミヒャルケのプログラミングもブーカルト・ヘネン時代の方向性を踏襲したもので、ニューヨークの音楽シーンの動向をいち早く捉え、マタナ・ロバーツのコイン・コイン・プロジェクト、タイショーン・ソーリー、スティーヴ・リーマンなどを紹介するなど、培われたものの違いを感じさせるものだった。しかし、2016年のフェスティヴァル最終日のプレス・ミーティングで任期が残っているにも拘らず突如辞意を表明、その後さらに紆余曲折があり、結局ミヒャルケは辞任する。同年12月になってやっと3代目音楽監督にティム・イスフォートが就任することが決まり、騒動は収束した。イスフォートはマンハイム生まれでメールス育ちのミュージシャン(ベーシスト)で、プロデューサーやキュレイターとしても活動してきた人物である。聞けは10代の頃からメールス・フェスティヴァルを観ていたというから、たぶん私が過去に訪ねた時に同じ場にいたことも多々あったに違いない。また、ミヒャルケ時代にはミュージシャンとして出演している。その彼の「フェスティヴァルを当初の精神をもって続けていきたい」という言葉にはココロを動かされた。昨年ストリーミングで見た幾つかのステージ、ネイト・ウーリーのプロジェクトなどが面白かったことは記憶に残っていた。今年は日本との交流を復活させたいということで、日本からもミュージシャンを招聘していたこともあり、出かけることにしたのである。

ところで、イスフォートの言うところのフェスティヴァルの当初の精神を引き継ぐということはどういうことなのか。それは先駆的なフリージャズ/即興音楽の価値観に束縛されるものではないだろう。メールス・フェスティヴァルがスタートした当初はフリージャズが時代を表象する音楽のひとつだった。だから、ブーカルト・ヘネン時代のフェスティヴァルの名称はインターナショナル・ニュー・ジャズ・フェスティヴァル・メールスである。だが、既に名称はメールス・フェスティヴァルに変わって久しい。ジャズあるいはフリージャズという言葉の呪縛から逃れることは大事だろう。実際、今年のプログラムは多士済々、様々なバックグラウンド、演奏スタイルを持ったミュージシャンの名前が連なっていた。それは、90年代以降のルーツ・ミュージックやワールド・ミュージックの新たな動向を視野に入れていたブーカルト・ヘネン時代後期を引き継ぐものである。ブーカルト・ヘネンには、その時々の音楽状況の動向を見極める鋭さがあった。ある意味、ジャーナリスティックであり、批評的な視座があった。プログラムと幾つかのストリーミングしか見ていないが、ミヒャルケのラインナップは注目すべき音楽家を並べてはいたが、テーマ性、批評性において、ヘネンに比べると弱かった気がする。もっとも、立場上さまざまな妥協を強いられるということはきっとあったと思うが。

フェスティヴァルの会場はサーカス・テントから、それが設営されていた公園近くに建築されたイベントホールに数年前から変わっていた。かつて色とりどりのテントが張られ、屋台が並び、フリーマーケットが出現して賑わっていた公園は極めて静かである。イベントホールはその公園から通りを隔てたところにあり、周辺には屋台などが出店、それに隣接する形でキャンプができるスペースも作られ、フェスティヴァル村が形成されていた。ただ、昔を知る者としてはこじんまりしたなぁという感が否めないが、その自由で開放的な空気は変っておらず、場所のペルソナを強く感じた。一時的に出現するフェスティヴァル村の独特な雰囲気は、地理的にオランダに近いメールスという土地柄も関係しているのかもしれないと。

イベントホールの外見は普通だったのだが、中に入って驚いた。ステージ上には木製の戦車が置かれ、上を見れば天井から子供の人形が吊るされているではないか。客席はステージに対してやや斜めに配置され、ステージ前には座ったり、寝転んで観れるようにカーペットを敷いたスペースも用意されていて、見世物小屋のようでさえある。プログラム・アナウンスは毎回異なった関係者やジャーナリストなどがそのハリボテ戦車から頭を出して行い、その後、出演者の名前が書かれた黄色い風船がホール内に放たれた。また、ステージ上には椅子が置かれ、誰かが座ってそこで演奏を観ていたり(特等席ではあるが同時に観客から見られる場所でもある)、舞台転換と並行して客席での演奏/パフォーマンス(それを拒否したピーター・エヴァンスはPAコンソールで演奏した)も行われていた。このようなセッティングにはダダ的な既成の価値観への対抗精神を感じたのだが、それは現代社会に対する批評精神にも通じているのだろう。

主会場以外にもフェスティヴァル村には小さなステージが用意されて、幕間転換の時間を利用して無料ライヴが行われていたり、メールス・フェスティヴァル発祥の地である古城の庭や古城内の劇場、教会、また他にもメールス市内の幾つかの会場で同時進行でコンサートが行われていた。ディスカッションやDJイベントも含めると100を超えるプログラムが用意されていたが、その全てを観ることは不可能だ。また、Rabatz! というバンドがあちこちを練り歩き、フェスティヴァル村では小型ピアノと演奏者を荷台に乗せた小型トラックがゆっくりと移動していたりと祝祭気分を盛り上げていた。フェスティヴァル村から市街地へとアメーバのようにその関連イベントは増殖していたのである。そうなるといつどこで誰が演奏しているか非常にわかりづらい。ウェブサイトはお世辞にも見やすいとは言えなかったが、それを補っていたのがアプリである。これがあればGoogleマップを使って辿りつけるというわけだ。聞くところによると、これを作ったのは十代のボランティアということだった。

ところで、肝心のプログラムはどうだったのか。各ステージにそれぞれタイトルがつけられていたが、中にはジョークとしか思えないものもある。目についたのはメールス独自のセッションやプログラムで、意外な組み合わせが多かったが、異なるバックグラウンドを持つミュージシャンを引き合わせることでケミストリーが起こったことが印象的だった。初日の「マーシャル・アレン (as) ロドリーゴ・ブランド (spoken word) 中村としまる (elec) ギュンター・ベビー・ゾマー (dr)」はその好例で、2人のレジェンド、マーシャル・アレンとギュンター・ゾマーだけなら安定的なフリー・ミュージックに落ち着いたかもしれないが、そこにジャズとは接点のない中村やスポークン・ワードのブランドがいることで、ぐっと音世界が広がった。最後にタオルを用いてのパフォーマンスで祝祭空間を盛り上げていたのも印象的だった。それにしても95歳のマーシャル・アレンは「凄い」としか言いようがない。自身の音宇宙を築いた唯一無二のサックス奏者でありながらも、95歳にして異質なミュージシャンを受け入れ、呼応していく懐深さがあるとは。彼のキーボードになんとなくサン・ラの幻影を見たように思ったのは気のせいだろうか。

レジェンドでは、トロピカリアの重鎮トン・ゼーも出演していた。メールスの舞台装置は彼のパフォーマンスにはお似合いだった。残念なのは彼の言葉や歌詞がポルトガル語に不案内な私には(以前から彼のCDは聴いているので多少曲は知っているにせよ)十分には理解できなかったこと。今年10月末のトン・ゼー来日公演が決まったようだが(→リンク)、そこでは「彼の歌う詩や言葉を日本語訳しスクリーンに投影」するらしい。これはとてもよいアイデアで、彼の言葉を日本のファンに伝えるよい手助けになるだろう。また、フィル・ミントンは客席でのパフォーマンスだったが、その環境を受け入れた彼のソロ・ヴォイスはドラマ的な空間を創造した特筆に値するものだった。やはり、自身の世界、ヴォイスを築いたミュージシャンはそこに居るだけで何がしらのオーラを発しているものだなと思った次第である。

では、若手・中堅世代はどうだったのか。メールス市は2008年にインプロヴァイザー・イン・レジデンスという制度を設けた。その最初のレジデンシーがアンゲリカ・ニーシャーで、今年度はヴァイブラフォン奏者のメキシコ人でベルリン在住のエミリオ・ゴルドアである。今年はこの2人と、昨年度のレジデンシーでリコーダー奏者のジョセフィン・ボーデ、また2015年度のレジデンシーのヘイデン・チスホルムが出演していた。アンゲリカ・ニーシャーは自身のニューヨーク・トリオとトロンハイムの女性コーラスとの共演という不思議な組み合わせ。それぞれ確立された音楽性を持つ2グループだが、アブストラクトなサウンドと構成が功を奏したステージだった。現在ベオグラード在住というヘイデン・チスホルムはその地のミュージシャンとの共演でバルカン色いっぱいの演奏。フェスティヴァル村内のテントでも演奏しているのを見かけたのだが、そこはベオグラードの街角の空気が漂っているようだった。それにしても、チスホルムのサックスは艶かしい。ニルス・ヴォグラムのルート70の時はあまりそう感じなかったのだが、音楽性によって余計そう感じたのだろうか。ベテランの巧者ぶりもさることながら、ジョセフィン・ボーデとエミリオ・ゴルドアを知ることが出来たのは収穫だった。彼らは暗黙の了解がつくる即興演奏の既成概念をものともしないチャレンジャブルな音楽家だからである。それはとりわけBETYと名付けられた「ジョセフイン・ボーデ (fl, voc) ピーター・エヴァンス (tp) 津山篤 (b) 吉田達也 (dr)」のステージによく現れていて、津山のアプローチとボーデのアグレッシヴな呼応がよくある即興セッションになることを回避したといえる。吉田と津山がフリージャズの語法を用いるミュージシャンでなかったことも吉と出たのだろう。ピーター・エヴァンスのトランペッターとしての巧者ぶり(→特集ピーター・エヴァンス)は言わずもがなだったが、彼の場合はPAコンソールでのソロ演奏のほうが凄みがあった。

今年は日本人ミュージシャンが複数呼ばれていた。ノーインプット・ミキシング・ボードの中村としまるはマーシャル・アレン、ギュンター・ゾマー、ロドリーゴ・ブランドとのセッションだけではなく、ソロ他でも演奏。古城にあるミュージアムのホワイエのような場所でのソロは、空間に放たれた繊細に変化するサウンドに包まれる貴重な時間だった。「ジャパン・ニュー・ミュージック・フェスティヴァル(吉田達也、津山篤、河端一)」は1日で3人のミュージシャンが様々な組み合わせで演奏するプロジェクトだが、なぜかメールス・フェスティヴァルではバラバラに解体されてあちこちの会場で演奏することになってしまっていた。バラすことで観客が彼らを見る機会は増えたが、プロジェクト本来の狙いが薄れたのは残念としかいいようがない。フェスティヴァル側とのコミュニケーションが上手くとれなかったのだろうか。会場がバラけていたので、移動がままならず見ることが出来たのは「ルインズ・アローン」と「赤天(吉田達也、津山篤)」だけである。「赤天」のジッパーや大根おろしやペットボトルや歯磨きなどなどを駆使した即興パフォーマンスは観客に大いに受けていた。また、久しぶりに見た「ルインズ・アローン」では吉田のコアな部分が堪能できた。日本からは、もう1グループ、マーク・ジュリアナとも共演しているヤセイコレクティブ(斎藤拓郎、中西道彦、松下マサナオ)が出演。リーダー松下の現代的な感性に基づくドラミングは只者ではない。天候の関係で会場が狭い場所に変更されたのが気の毒だったが、それは仕方がないとしても、彼らの音楽はもっとスタイリッシュなヴェニューのほうが似合うのにと、そこが残念だった。

最もジャズらしい演奏をしたのは、言うまでもなくジョシュア・レッドマンを迎えたヴィンス・メンドゥーサ率いるWDRビッグバンド+ムジーク・ファブリークNRKだ。WDR(西ドイツ放送)はメールスがあるノルトライン=ヴェストファーレン州のラジオ局で、そこのビッグバンドである。WDRに限らず、欧州の放送局のビッグバンドは様々なミュージシャンや指揮者を招聘してコンサートを行っている。「メールス・アブストラクションズ」という今回のプロジェクトのタイトルが示唆するように、モンクや「ジャズ・アブストラクションズ」に対する回答なのか。現代音楽のバンドとWDRビッグバンドとの共演がメールスらしいと言える。メンドゥーサの非凡な才覚がビッグバンド・サウンドの最も上質なアンサンブルを聴かせてくれた。レッドマンの好演は言うまでもない。この時ばかりはスタンディング・オベイションだった。ラージ・アンサンブルでは、ヤン・クラーレ率いるミャンマー、アルゼンチン、ベラルーシを含む9カ国の異なるバックグラウンドを持つミュージシャンによるグローバル・インプロヴァイザー・オーケストラも出演していた。このような編成でのオーケストラの音楽的な可能性はまだまだ未知数だが、グローバル化が進み今までは難しかった国の人々との交流が可能になった現代ならではの動向を見た気がした。

本会場の公演を締めくくった「アングイッシュ」にも触れておかないといけない。ラッパーのウィル・ブルックス、サックスのマッツ・グスタフソン(→記事)などによる「アングイッシュ」の過激さを孕んだ演奏は現代の苦悩そのものを表出させていた。作家の田中啓文が『聴いたら危険!ジャズ入門』(アスキー新書)(→レヴュー)で「ゴジラ級の大怪獣」とグスタフソンのことを表していたが、その立ち姿はまさにそう。カメラを持ってかぶりつきにいたためか、PAモニターの音圧を直に受け、破壊獣ぶりを体感する羽目になったのである。このグループの持つメッセージ性といい、ある意味これは今年のメールス・フェスティヴァルの締めくくりにふさわしかったといえる。他にもサンパウロのミュージシャンが本会場も含め編成を変えてあちこちで演奏していたり(ジュサーラ・マルサウの唄は魅力的だった)、スロベニアのグループ Ṧirom 、イギリスのアンダーグラウンド・シーンからは「ブラック・ミディ」、フランスからは演奏と同時進行で照明を効果的に変化させることを試みていたABACAXI、高瀬アキのグループにも参加しているドラマー、オリバー・スティドルのグループなども出演していた。

70年代のフリージャズはフリー・ミュージック、インプロ、即興演奏など様々な呼ばれ方をしながら変容してきたが、既存の価値観もまだまだ有効だ。そして、小さな音楽コミュニティは世界中に散らばっていて、どこかで繋がりながら増殖し続けいる。それはリゾーム的であり、今年のメールス・フェスティヴァルのプログラミングもまたそうだった。ジャンルが細分化され、それ自体が変節している現代であればこそ、音楽スタイルやバックグラウンドを異にするミュージシャンが共生する空間にこそ今日的な冒険の余地が残されているのではないか。そういう視座に立てばこそ、場をつくりだすメールス・フェスティヴァルの存在価値があり、メールス精神は(単に音楽的な方向性を踏襲することではなく)そこにこそ生きていると思ったのである。

 

写真撮影できたステージと会場周辺の様子を下記ページにスライドショーとしてまとめてあるので、ご覧いただければと思う。

第1日目&第2日目
Moers Festival 2019 ~ Photo Document Part 1
https://jazztokyo.org/column/reflection-of-music/moers-photo-1/

第3日目&第4日目
Moers Festival 2019 ~ Photo Document Part 2
https://jazztokyo.org/column/reflection-of-music/moers-photo-2/

会場周辺のスナップショット
Moers Festival 2019 ~ Photo Document Part 3
https://jazztokyo.org/column/reflection-of-music/moers-photo-3/

横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。ドイツ年協賛企画『伯林大都会-交響楽 都市は漂う~東京-ベルリン2005』、横浜開港150周年企画『横浜発-鏡像』(2009年)、A.v.シュリッペンバッハ・トリオ2018年日本ツアー招聘などにも携わる。フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)、共著に『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング)他。メールス ・フェスティヴァル第50回記。本『(Re) Visiting Moers Festival』(Moers Kultur GmbH, 2021)にも寄稿。The Jazz Journalist Association会員。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

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