追悼 ラルフ・タウナー 稲岡邦彌
ラルフ・タウナーが主たる表現の場としたドイツのレーベルECMにはじつに多くのギタリストが去来した。ECMは専属制をとらないのでオーナー/プロデューサーであるマンフレート・アイヒャーとの信頼関係がすべてである。
10年間のECM担当として最初に出会ったギタリストはノルウェーのテリエ・リプダルだった。独占契約する前に日本で引き取り手のいなかった4枚のアルバムとワン・ショット契約したがその中に『Terje Rypdal』(ECM1016) というアルバムが含まれていた。最近ECMから届いたニュースはテリエのアルバムの周年記念を告げるものだった。1996年2月に録音された『Skywards』(ECM1608) の30周年、2006年2月にリリースされた『Vossabrygg』(ECM1984) が20周年というわけだ。じつはテリエの前にECMに登場したギタリストがかのデレク・ベイリーだ。1970年に録音・リリースされた『The Music Improvisation Company』(ECM1005)。翌1971年にもデレクとデイヴ・ホランドのデュオ『Improvisations for Cello and Guitar』(ECM1013)が発売。テリエはひとつ前のヤン・ガルバレク・クインテットの『SART』(ECM1015) にも参加していた。
ラルフ・タウナーは、ノルウェーのテリエ・リプダル、イギリスのデレク・ベイリーに次ぐECM3番目のギタリストして、1972年録音の Ralph Towner with Glen Moore 『Trios/Solos』(ECM1025) で登場している。このアルバムは事実上、当時タウナーが率いていたユニット「オレゴン」のメンバーによるものだが、契約上のトラブルを避けるためにポール・マッキャンドレスとコリン・ウォルコットの二人をゲスト扱いとして制作された。マンフレート・アイヒャーがどれほどタウナーに執心していたを物語るアルバムである。ジョン・アバークロンビーが登場するのは1975年の『Timeless』(ECM1047)、パット・メセニーは1976年の『Bright Size Life』(ECM1073)、エグベルト・ジスモンチの『Dança das cabeças』(ECM1089) は1977年。
ECMのギタリスト3人が結集した 1979年の『ECMスーパー・ギター・フェスティバル』に参加したのは、ジョン・アバークロンビー、パット・メセニー、エグベルト・ジスモンチの3人。ラルフ・タウナーが初めて日本のファンの前に姿を現したのは1994年の「ECM25周年記念フェスティバル」の3回目。ゲイリー・ピーコックとのデュオ・アルバム『Oracle』(ECM1490)をリリースしたばかりだった。このフェスは3ヶ月にわたって毎月2グループが来日、東京、名古屋、神戸の3箇所でコンサートを開催した。僕はすべてのツアーにアテンドしたのだが3回目はチャールス・ロイドのカルテットとのダブルビルで2グループでの移動だったのでタウナーと個人的に話をした記憶がない。むしろ、旧知のゲイリー・ピーコックと言葉を交わすことが多かった。神戸から帰国まもなく阪神淡路大震災が発生、参加したミュージシャンから次々に問合せや見舞いのコメントが届いた。デザイナーの古賀賢治、当時ポリドールでECM担当だった五野洋、NYのオスカー・デリック・ブラウンとの共同プロジェクトでベネフィット・アルバム『レインボウ・ロータス〜ビッグ・ハンド・フォー神戸』を制作することになった。キース・ジャレットを筆頭に、神戸コンサートに参加したチャールス・ロイドとタウナー=ピーコックからも音源提供があった。両者とも神戸での演奏で、タウナーとピーコックが亡くなった今、アルバムに収録された<ナーディス>がECMの録音と共に彼らを偲ぶ縁(よすが)となっている。。
2001年の7月に当時水戸芸術館の学芸員だった矢澤孝樹さんの肝入りで渡辺香津美をゲストに迎えたラルフ・タウナーのコンサートが開催されたが詳細については矢澤さんが寄稿されている。
温厚で内省的ともいえるタウナーがシシリアに移住したと聞いた時は意外な印象を持ったが、結婚したイタリアの女優の希望らしい。その後、ローマに移住し、ローマで息を引き取った。
