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From the Editor’s Desk 稲岡邦彌No. 283

From the Editor’s Desk #4「二足のわらじと二刀流」

text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌

「二足のわらじ」という成句はもはや死語かと思っていたが、週刊文春の矢部太郎(芸人・マンガ家)の新刊漫画『ぼくのお父さん』の紹介記事の中に「今後も、芸人と二足の草鞋を続けていくつもりだ」とあった。さすがに出版社系の高齢者の読者が多い(と思われる)週刊誌だ、わらじを草鞋と漢字で表記している。まず、この成句を理解するためには「わらじ」を知る必要があるが、すぐ思いつくのは四国八十八ケ所巡りのお遍路さんだ。と思って念のためにネットをあたってみたところ昨今は舗装道路が多く、履物はトレッキング・シューズを勧めている!「二足のわらじ」の語源はというと、江戸時代、博打打ちが岡っ引きの手伝いをして博打打ちを取り締まることがあったそうで、本来はできそうもない二つのことを掛け持ちすると否定的な意味合いを込めて使われたとある。
メジャーリーガーの大谷翔平選手の活躍で一挙にクローズ・アップされた言葉に「二刀流」がある。こちらは、剣豪の宮本武蔵が有名で、左右の手に刀を持ち、攻守に使い分ける手法が語源といわれる。大谷のようにひとりの野球選手がふた通りのスキルを使い分けることをいう。その世界ではバイセクシュアルをも指すので注意が必要との但し書きがあった。
英語の表現を調べると、「二足のわらじ」は、double-jobber、文字どおり二種の仕事の掛け持ちとわかりやすい。大谷の二刀流は two-way playerで二種のスキルの使い分けだ。

ジャズの世界を見渡すと、「二足のわらじ」が意外に多い。しかも、医師との掛け持ちだ。今でも現役を続けているピアニストのデニー・ザイトリン (1938~) は、デビュー当時、精神科医であることが喧伝されていた。ジャズ評論家の粟村政昭、安斎雅夫、小川隆夫の本業は医師である。医師との兼業でジャズの世界でも本格的な活動を続けたのはドクター・ジャズこと内田修。岡崎市に内田外科病院を経営しながらテレコを担いでクラブに録音に出かけ、ピアノ付きの録音スタジオを持つ病院には多くのミュージシャンが入院、治療を受けた。コンサートの企画・監修を含め、活動の範囲は余人の及ぶところではなかった。故人となった現在は岡崎市が音源や資料の寄贈を受け、ライブラリーを設け一般の利用に供している。その歴史的な音源の一部はCD化もされた。

最近、心療内科医として知られる海原純子がCDをリリースした。2枚組で1枚はヴォーカルだがもう1枚は彼女のトークが収められている。ヴォーカルに最中を押され、トークにこころ癒されるリスナーが多いと聞く。このコロナ禍の中での録音だからスタッフを含め関係者全員が予め抗原検査を済ませ、スタジオの中ではマスクが外せなかったという。アルバム完成まで平時以上に困難な作業が続いた。
数年前、彼女が初めてのジャズ・アルバム『Rondo』をリリースした際、本誌でメール・インタヴューを試みたことがある。医局員時代、学資稼ぎにクラブで歌っていたそうだが、女医ということでまずバッシングを受け、シンガーということで二重のバッシングを受けたそうだ。医業に専念するためしばらく離れていた歌手活動を再開したところ、やはり現場で強い圧力を感じたという。つまり、医師が余技で歌っている、という非難。プロの職場に余技の歌で出てくるな、ということだろう。しかし、コロナ禍の中であえてリリースしたアルバム『Then And Now』のインタヴューを読むとその非難は当たらないようだ。心療内科医としてこころのケアに当たっている彼女は医療行為とともに歌やトークはそれを補完するものだと主張する。コロナ禍の最中(さなか)、彼女はZOOMやYoutubeを通じた配信による演奏活動を「musicure」、ミュージキュア、つまり、ミュージック+とキュア(治療)と称していた。つまり、心療内科医の海原純子が歌うということは「二足のわらじ」ではなく、「二刀流」ということ。執筆活動も同じことではないか。心療内科医としての知見をエッセイという形で発表する、一種の啓蒙活動だろう。恋愛小説を書けば「二足のわらじ」になるのだろうが、医師としての知見を広めるエッセイは「二刀流」だ。このことにこだわる出来事が最近あった。『Then And Now』が完成してPRのためにFacebookをオープンした。まもなく、狙いすましたように「医者のくせに歌を歌っている場合か!」とクレームが彼女に届いたという。Facebookはすぐに閉じられた。ネットのクレーマーは執拗だからだ。コロナ禍で増加し続けるこころの患者の対応に支障をきたすことは避けなければならない。Facebookをオープンしたのも閉じたのも僕自身である。アート・ディレクターとしてこのプロジェクトに参加し、僕が主宰する Nadja21というプラットフォームを提供した者として、このアルバムを広く知らしめるのは使命と感じたからだ。本来であれば徹底抗戦するところだが、ネットという不案内の世界では戦う武器を持たない。
『Then And Now』をラヂオ盛岡で取り上げた金野吉晃の例だ。歯学博士の資格を有し、矯正歯科のエキスパートである彼は、CDを何枚も出す即興音楽の演奏家であり、本誌でも健筆を振るう博覧強記の文筆家でもある。立派な「二足のわらじ」だ。番組のゲストである金野に対しオーナーは一度も本名に触れることなく「オニックさん」と呼び続ける。違和感を覚えた。機会を見つけて本人に尋ねてみた。大学の勤務医時代、ミュージシャンとして地方のマスコミに名前が登場し出した彼は職場での居心地が大変悪くなっていったという。二足目のわらじを脱ぐ代わりに彼は芸名を使う対策をとった。本名のスペルを逆読みしたオニックがそれだ。今では海外でも通用するほどすっかり定着した。
「働き方改革」「多様性の時代」...呪文のように唱えるだけでなく、誰もが「刀」や「わらじ」を自由に使える時代の到来を急ぎたい。

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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